比定社:新次神社
式内社コード:316-010
神名帳社名 :新次神社、ニヒツキノ/ニヒスキ
社 格:小
所 在 地 :679-2122 兵庫県姫路市豊富町御蔭2477
Plus Code :VPCV+M6 姫路市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「にすきじんじゃ/にいすぎじんじゃ」と読む、地名の豊富町御蔭は「とよとみちょうみかげ」と読む。
播但自動車道の豊富ICを降りて少しだけ南下し曽坂集落に入り、集落の中を山に向かって北へ突き当りまで行くと鳥居が見える。
駐車場は無いので注意、周辺に邪魔にならないように駐車すること。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
拝殿扁額の「葛城一言主命」とあるところ。
写真




帳(えんぎしきしんめいちょう」にみえる式内社・新次神社と認め改称したものである、とある。由緒は不明のようだ。





















感想
姫路市教育委員会謹製の説明書きによると
江戸時代に葛城(かつらぎ)権現社とよばれ
ていた神社を、明治初年に姫路藩
が「播磨国風土記」「延喜式神名
帳(えんぎしきしんめいちょう」にみえる式内社・新次神社と
認め改称したものである。
境内の伊部(いんべ)焼狛犬は、大正十三
年五月に奉納されたもので市内で
は、新次神社、林田町の梛(なぎ)神社の
二例があるだけである。また、曽
坂(そさか)地区には秋祭りの宵宮に誕生し
た子供の氏子入りに際して新次
神社に絵馬を奉納するという当子(とうご)
祭りという珍しい氏子入りの習俗
が今日に伝えられている。
平成四年三月
姫路市教育委員会
とある
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、葛城大神。
由緒不詳。
文政9年(1826年)本殿建立。
明治7年(1874年)2月村社。
明治32年(1899年)本殿再建。
大正6年(1917年)幣殿を改築(追加)。
江戸時代までは「葛城権現社」と呼ばれていた。
社伝によると、往古、大和葛城の役の行者がこの地に来て留り、行場をつくつて行をなしたという。やがて周辺地域の信仰を集めて愈々さかんになつてきたので、葛城の行者は故郷で縁故のある高鴨阿治須岐詫彦根命神社の祭神味鋤高彦根命(葛城大神)を勧請してこの地に奉齋した。
「往古は現在地の北方約一里にある神埼郡山田村に鎮座し、神宮寺と並んで勢さかんであつたが、中世に至つて急激に衰微し、その後いつしか消滅してしまつた。そこで式内社の衰亡を恐れてその分霊を移して奉齋したのが現在の社であるという。その旧跡も今では全く不明である。」との伝承がある。
現在新次神社を管理する「甲八幡神社」の宮司によると「そのような言い伝えは知らない」ということである。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:葛城大神(カズラキノオオカミ)
由 緒:
当社は豊富町の南東に位置する曽坂地区の氏宮であり、豊富町では甲八幡神社の氏子と異なり、独自の祭礼を行っている。
新次神社の創建は不詳であるが、阿遅須伎高比古尼命を祀り、江戸時代榊原式部大輔は当社を崇敬して弊帛料を捧げ、提灯一対を寄進した。文政9年(1826)本殿を建立し、天保10年(1839)本殿覆を建て、明治7年(1874)2月村社に列せられた。同32年(1899)本殿を建て直し大正6年(1917)幣殿を改築した。『延喜式』神名帳に小社祭神葛城大神(味鋤高彦根神、賀茂大神、一言主神と同一神とされる)とある。
現在は2497坪の境内に二間半×二間の本殿と三間四方の幣殿、二間四方の舞殿、三間半×三間の拝殿から成り、奉賽物は寛政8年(1796)及び大正3年の石灯籠、明治10年(1877)の石鳥居、明治40年(1907)の石造の狛犬、大正13年(1924)の備前焼の狛犬などがある。
曽坂地区では当子祭という前年の例祭以後、当年例祭までに生まれた子供の氏子入りを祝い、盛装して神饌を供え、絵馬を奉納する神事が例祭に先立って行われている。
とある。
新次神社のある当地は、姫路城の北東直線距離にして5.6kmほど、市川の東岸の小高い山の南側山裾に鎮座している。
古代山陽道は姫路城のあたりを東西にあったと思われ水運や街道の便に恵まれた地域。
ただし、かつて新次神社は神埼郡山田村にあったというお話もあり元の鎮座地や遷座時期がハッキリしない。
周囲には下記のような史跡が多く存在し古くから開けた地域だということが分かる。
玉塚古墳・甲丘古墳・砂川古墳・横山1~11号墳・曾坂古墳/2号墳・池の下1~2号墳・塩淵1~5号墳・太尾古墳・奥の垣内古墳・横山遺跡・御蔭遺跡・岩屋寺境内石棺所在地・岩屋大池窯跡・太尾城跡・中池窯跡・山ノ下遺跡・湿ノ道上遺跡(兵庫県考古博物館資料による)。
新次神社のご祭神は、葛城大神。
大和国以外では葛城系の神様を祀るのは非常に珍しい、大和国以外では但馬国気多郡の「275-060 鷹貫神社」が鷹野姫命(葛城高額比賣命)を祀っている。
役の行者がこの地域で行場を作ったことからこのようになっているようだ。
新次神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
播但自動車道の豊富ICを降りて少しだけ南下し曽坂集落に入り、集落の中を山に向かって北へ突き当りまで行くと鳥居が見える。
鳥居前には石灯籠と神社の由緒書がある。
参道はまっすぐに伸びているがアスファルトの車道が参道を横切ることになっている。
鳥居をくぐると左手に曽坂公園があり地域に溶け込んでいる。
鳥居からはコンクリート舗装された参道が続いており山裾の傾斜地を登っていく。
さらに石段を登ると社殿のある場所に出る。
社殿のある場所は山の谷筋を平にしたような形状で左右に山が迫っており社叢が濃い。
正面に絵馬殿、その奥に拝殿、その奥に覆屋に入った本殿という構成になっている。
全体的に建物の状態は良くよく手入れされている様子が見て取れる。
記録によると明治32年(1899年)本殿再建とあるので比較的新しい。
拝殿の扁額には「葛城一言主命」とあるのに少しだけビックリしたりする(個人的見解です)。
新次神社の本殿を取り囲むように東側と西側に摂社末社が配置されている。
絵馬殿の瓦には鯱が乗っていたり鬼瓦が使われていたりして目を楽しませてくれる。
また絵馬殿内部の奉納絵馬を見ると古くは明治から令和まで地域に大いに大事にされている様子が分かる。
播磨国で役小角の足跡を残す神社。
注意点
駐車場は無いので注意、周辺に邪魔にならないように駐車すること
訪問ノート
訪問日 :2023/8/11
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7S3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7M3 + 35-150mm F2-2.8 Di III VXD
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。