275-180_山神社

比定社:山神社

式内社コード:275-180
神名帳社名 :山神社、ヤマノ
社    格:名神大
所 在 地 :669-5368 兵庫県豊岡市日高町山宮409-3
Plus Code  :FPQ3+V7 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「やまじんじゃ」と読む、地名の山宮は「やまのみや」と読む。
山宮集落の東の端の谷筋に鎮座。
国道482号線より1本北側の清滝トンネルへ通じる道沿いにある。
道路からは低い位置にあり鳥居が見えないので見つけにくい。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

谷筋に位置する社域。
中井権次正胤による拝殿の彫り物。

写真

山神社を正面より望む。
山神社を正面より望む。
豊岡市教育委員会謹製の山神社社叢説明書には豊岡市指定・天然記念物とある。
豊岡市教育委員会謹製の山神社社叢説明書には豊岡市指定・天然記念物とある。
鳥居をくぐると石段を下る形になっている。たぶん土地改良だとか道路の建設で周辺の土地が盛土されてこうなっているのだろう。
鳥居をくぐると石段を下る形になっている。たぶん土地改良だとか道路の建設で周辺の土地が盛土されてこうなっているのだろう。
石段を降りると谷筋に沿った細長い社域となる。
石段を降りると谷筋に沿った細長い社域となる。
細長い社域には古木・巨木が数多くある。正面に社殿が見える。
細長い社域には古木・巨木が数多くある。正面に社殿が見える。
右側に社務所。
右側に社務所。
拝殿を正面より望む。光背には中井権次正胤による彫り物が施され一見の価値がある。
拝殿を正面より望む。光背には中井権次正胤による彫り物が施され一見の価値がある。
拝殿の扁額には式内・大社・山神社とある。
拝殿の扁額には式内・大社・山神社とある。
拝殿より覆屋に入った本殿を望む。明治27年(1894年)に再建とある。
拝殿より覆屋に入った本殿を望む。明治27年(1894年)に再建とある。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。拝殿と覆屋は回廊で繋がっている。覆屋はかなり大きい。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。拝殿と覆屋は回廊で繋がっている。覆屋はかなり大きい。
覆屋に入った本殿を望む。扁額には式内・山神社とある。残念ながら覆屋の内部は見れなかった。
覆屋に入った本殿を望む。扁額には式内・山神社とある。残念ながら覆屋の内部は見れなかった。
覆屋に入った本殿の後ろにある御神木の朴の木。
覆屋に入った本殿の後ろにある御神木の朴の木。
神社謹製の御神木説明書。朴の巨木・根廻り九.五米とある。
神社謹製の御神木説明書。朴の巨木・根廻り九.五米とある。
拝殿を左後方より望む。
拝殿を左後方より望む。
拝殿より鳥居を望む。周囲より社域が低くなっているのがよく分かる。
拝殿より鳥居を望む。周囲より社域が低くなっているのがよく分かる。
高低差が随分ある。
高低差が随分ある。
石段より鳥居を望む。
石段より鳥居を望む。

感想

豊岡市教育委員会謹製の山神社社叢説明書によると

豊岡市指定 天然記念物
山神社社叢(しゃそう)
  指定年月日 昭和四十八年三月二十九日
  所 在 地 豊岡市日高町山宮
  所 有 者 山神社
 山神社社叢は、大ケヤキ三本、大カシ一本、大イチョウ一本、をはじめ、ケヤキ、カシ、スギの樹林が六百坪に及びうっそうとしている。
樹勢も旺盛で壮観であり、保存する価値がある。
 ケヤキ根廻り六.四m、目通り幹囲五.一一m。
  平成24年9月 豊岡市教育委員会

とある。


神社謹製の御神木説明書によると

朴の巨木 根廻り九.五米
古来山神社の御神躰は此の朴の木の謹作と言い伝えられ又大日本史神祇志に山神社今在山宮村稱厚朴大明神祀大山祇命と記してあって山神社と朴の木は因縁深きものあり
故に昔氏子は朴歯の下駄を用いざる風習であったと云い伝へられてゐる。

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、句句廼馳命・大山祇神・埴山姫神。
     (合祀)倉稻魂命・保食神・奧津彦神・奧津姫神・櫛稻田姫神・品陀和気命・速素盞嗚命。
欽明天皇2年(511年)創立。
天平神護元年(765年)今の地に遷座(修正)。
承和9年(842年)官社(続日本後紀)。
貞観10年(868年)従五位上(三代実録)。
源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進
宝永2年(1705年)本殿建立。
明治6年(1873年)村社。
明治27年(1894年)本殿を再建(追加)。
明治41年(1908年)三柱・八幡・八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎(追加)。

当初、宮の北山なる聖岩に鎮座。
天平神護元年(765年)4月8日今の地に遷座。

本来の神の性格としては、聖岩に神が鎮座したという伝えや、地理的環境から、かつてこのあたりの生業であつた山仕事や焼畑を営んできた人々の、守護神的なものと自然神崇拝が混したものと思われる。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:句々廼馳命(ククノチノミコト)
配祀神:大山祇神(オホヤマツミノカミ)・埴山姫神(ハニヤマヒメノカミ)・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・保食神(ウケモチノカミ)・奥津彦神(オキツヒコノカミ)・奥津姫神(オキツヒメノカミ)・櫛稲田姫神(クシイナダヒメノカミ)・品陀和気命(ホンダワケノミコト)・速素盞鳴命(ハヤスサノオノミコト)

欽明天皇2年(540)2月9日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年(765)4月8日今の地に遷座された。
承和9年(842)官社に預り、貞観10年(868)神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。
宝永3年(1706)本殿を建立し、さらに明治27年(1894)本殿を建立し、さらに明治27年(1952)本殿を再建されたのが現在の本殿である。
明治6年(1873)10月村社に列し、同41年(1908)三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。

とある。


気多郡の名神大社4社(山神社・戸神社・雷神社・㯮椒神社)のうちのひとつ。
なぜこの4社が気多郡の中で名神大社なのか、どうにも分からない。
時の朝廷がこの地方の土着の神に敬意を払ったということなのだろうか。
それともよほど重要な役割を果たしていたのだろうか、不明だ…。

気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。
気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。

近世において現在の神鍋高原より北側は西気地区、神鍋高原の南側は清滝地区、当地から西側の蘇武岳までを三方地区と呼ばれている。
当地は、清滝地区にあたる。
西気地区には万場(まんば)金山、三方地区には阿瀬(あせ)金山・銀山があった。

山神社へのアプローチは、国道482号線より1本北側の清滝トンネルへ通じる道沿いにある。
道路からは低い位置にあり鳥居が見えないので見つけにくい。

山宮集落と山神社の社域は基本的に谷筋にある。
社域は少々違和感のある作りとなっていて、車道から低い場所にあり階段を降りて入るようになっている。
これは土地改良だとか道路の建設で周辺の土地が盛土されてこうなっているのだろうと思われる。
駐車場は無いので周辺に駐車する必要があるので注意が必要。

南を向いている鳥居をくぐるとすぐに下りの石段となる。
石段を降りると谷筋に沿った細長い形の社域となる。
周囲には古木・巨木が多く、豊岡市指定天然記念物にもなっているので古くからここに鎮座しているのが分かる。

社殿はフルオープンの拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。
拝殿には中井権次正胤による彫り物が施され一見の価値がある。
残念ながら本殿は見ることができなかった。

社殿の後ろには、御神木の朴の木がある。
古木・巨木は基本的に谷筋にある、道路との斜面には植林がなされているので、やはり元の社域は谷筋にあったのだろうと思われる。

周辺には、金山・銀山があったところを見れば、このあたりはその他の鉱物も含めて鉱物資源が盛んに採取されたのだろう。
山神社は、かつてそれらを束ねるような役割をしていたのではないだろうか(個人的見解です)。

山という名の鉱物資源を司る名神大社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/4/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3