274-050_須流神社

比定社:須流神社

式内社コード:274-050
神名帳社名:須流神社、スルノ
社格:小
所在地:668-0352 兵庫県豊岡市但東町赤花632
plus code:F2C7+XM 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

するじんじゃと読む。
赤花集落の谷筋の南の奥の山裾に鎮座。
京都府道・兵庫県道701号加悦但東線沿いに一の鳥居があるので見つけやすい。
そこからさらに南へ山に入り700M集落が途切れたところに鎮座。
獣よけの電撃柵があるので開けたら必ず締めること。
周囲に駐車可能。

ハイライト

古社らしい巨岩、巨木、苔むした社域。

写真

京都府道・兵庫県道701号加悦但東線沿いに一の鳥居がある。ここから700メートルほど奥(南)に鎮座。社標には式内とある。
京都府道・兵庫県道701号加悦但東線沿いに一の鳥居がある。ここから700メートルほど奥(南)に鎮座。社標には式内とある。
最後の分岐を右側へ農道のような道を行くとこんな感じで実質行き止まりになる。獣よけの電撃柵がある、開けたら必ず締めること。
最後の分岐を右側へ農道のような道を行くとこんな感じで実質行き止まりになる。獣よけの電撃柵がある、開けたら必ず締めること。
小さな橋を渡る。すでに苔むしているっ。神社自体は西向きとなっている。
小さな橋を渡る。すでに苔むしているっ。神社自体は西向きとなっている。
橋の上より右側(南)を望む。神社前までは護岸工事されている。ここは現在の主樓谷の一番奥にあたる場所。かつてはこの川沿いの道は薬王寺峠へ繋がっていたようだ(未確認)。
橋の上より右側(南)を望む。神社前までは護岸工事されている。ここは現在の主樓谷の一番奥にあたる場所。かつてはこの川沿いの道は薬王寺峠へ繋がっていたようだ(未確認)。
橋の上より左側(北)を望む。集落が見える、これより奥は人家は無い。
橋の上より左側(北)を望む。集落が見える、これより奥は人家は無い。
橋を渡ると石段が見えてくる。石灯籠は新しい。
橋を渡ると石段が見えてくる。石灯籠は新しい。
石段の上に社殿が見える。
石段の上に社殿が見える。
石段を登りきると左脇に手水鉢。
石段を登りきると左脇に手水鉢。
石段を登りきったところの拜殿を右側より望む。苔むしている。
石段を登りきったところの拜殿を右側より望む。苔むしている。
拜殿を正面より望む。雪で色あせて少々傷んでいるように見受けられる。社殿は文化14年(1817年)建築とある。
拜殿を正面より望む。雪で色あせて少々傷んでいるように見受けられる。社殿は文化14年(1817年)建築とある。
拜殿内部を望む。きれいに片付けられているのが分かる。
拜殿内部を望む。きれいに片付けられているのが分かる。
拜殿の後ろの本殿を右側より望む。
拜殿の後ろの本殿を右側より望む。
本殿の左後方より拜殿を望む。
本殿の左後方より拜殿を望む。
本殿左にある巨石を本殿裏から望む。
本殿左にある巨石を本殿裏から望む。
本殿左にある巨石を前より望む。大小の2つの石がある。これがご神体の「朱楼石」だろうか、ご神体なら社殿との位置がおかしいので別にあるのだろう。
本殿左にある巨石を前より望む。大小の2つの石がある。これがご神体の「朱楼石」だろうか、ご神体なら社殿との位置がおかしいので別にあるのだろう。
石段脇にはこのような巨岩がゴロゴロある。石と木が一体化しているのでかなり古いと思う。
石段脇にはこのような巨岩がゴロゴロある。石と木が一体化しているのでかなり古いと思う。
まだまだいっぱい巨岩がある、しかも苔むしている。
まだまだいっぱい巨岩がある、しかも苔むしている。
神社前の橋の上流は護岸工事がされていない。川沿いには巨岩がゴロゴロあるので相当な暴れ川だったようだ。
神社前の橋の上流は護岸工事がされていない。川沿いには巨岩がゴロゴロあるので相当な暴れ川だったようだ。

感想

由緒書はないので詳細不明。

以下の記録が残る。
ご祭神は、伊弉諾尊・伊弉册尊。
創建は不明。
正徳2年(1712年)造営。
文化14年(1817年)造営。
明治6年(1873年)村社。
江戸時代までは「朱楼明神」「主楼明神」と呼ばれていた。

赤花という地名は珍しいと思う、現在はそばの花が赤いからというお話もある、そばのうまい地域だ。
だが、古代なら赤というと、朱や丹を連想する。

当地は但馬の東の端、西に出石、東に加悦谷、南に福知山ひいては京都につながる街道筋でもある。
須流神社が鎮座している谷筋は主樓谷といい、発音は「するだに」だと思う。
ちなみに、中国語で主樓谷=本館という意味らしい、豪族の館の本館があったのだろうか。

江戸時代までの「朱楼明神」「主楼明神」呼ばれ方も気になる。
須流神社のご神体は「朱楼石」と呼ばれる石ということだ。
「朱楼石」を祀る神社だから「朱楼明神」だったのだろうか。

「朱」という文字が入っているので、鉱物の朱を連想する。
周囲にそういった痕跡は無いようだが、鉱物が採取されていたのかもしれない(個人的見解です)。
こうした文字が転訛して現在の須流という文字になったのだと思う(個人的見解です)。

一の鳥居が京都府道・兵庫県道701号加悦但東線にあり、そこから南へ谷の奥へ入っていく。
一番奥で道が左に曲がっているが、こちらは先が民家で突き当りになる、右に農道のような道を進む。
すると川向うに石灯籠と石段が見えてくる。
獣よけの電撃柵が設置してあるので開けたら必ず締めること。

橋を渡り石段を登ると社殿の前に出る。
社域は巨岩と古木が多く秘境感が漂う。
特に前を流れる川のそばには巨岩が多く、かなりの暴れ川だったのだろう。

確かに、本殿の左側に大小2つの巨岩があるが、ご神体の「朱楼石」はどれか分からなかった。
もっと山の奥にあるのかもしれない。
社域はよく手入れされているようで気持ちよく参拝できる。
社殿は文化14年(1817年)建築だが雪のせいで色あせてしまっており状態は良くない。

古木、巨岩、苔と古社好きにはたまらない神社。

注意点

獣よけの電撃柵は開けたら必ず締めること。

訪問ノート

訪問日:2019/7/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3