274-060_佐々伎神社

比定社:佐々伎神社

式内社コード:274-060
神名帳社名:佐佐伎神社、ササキノ
社格:小
所在地:668-0325 兵庫県豊岡市但東町佐々木482
plus code:CXPM+4C 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

ささきじんじゃと読む。
佐々木集落の中央の山裾に鎮座。
兵庫県道252号佐々木小谷線に神社の案内看板が出ているので見つけやすい。
案内看板を東へ入るとすぐに左側に駐車スペースがある。

ハイライト

古木・大木の多い緑豊かな社叢。

写真

兵庫県道252号佐々木小谷線の佐々木集落に神社案内の看板があるので分かりやすい。
兵庫県道252号佐々木小谷線の佐々木集落に神社案内の看板があるので分かりやすい。
右側(南)を望む。集落はまだ奥まで続いている。この先は兵庫県道558号天谷佐田線となり久畑へと繋がっている。
右側(南)を望む。集落はまだ奥まで続いている。この先は兵庫県道558号天谷佐田線となり久畑へと繋がっている。
左側(北)を望む。兵庫県道252号佐々木小谷線の小谷方面、国道426号線に接続する。
左側(北)を望む。兵庫県道252号佐々木小谷線の小谷方面、国道426号線に接続する。
ここに社標もある。ここには郷社とあるようだ。
ここに社標もある。ここには郷社とあるようだ。
曲がって坂を登ると左側に駐車スペースがある。
曲がって坂を登ると左側に駐車スペースがある。
コンクリートの坂を上れば神社。左に社務所のような集会所のような建物。
コンクリートの坂を上れば神社。左に社務所のような集会所のような建物。
正面に石段。
正面に石段。
右手に手水鉢。
右手に手水鉢。
石段を登るとここにも社標。ここには縣社とある。
石段を登るとここにも社標。ここには縣社とある。
左へ方向転換して鳥居がある。長い石段が見える。ええ感じだ。
左へ方向転換して鳥居がある。長い石段が見える。ええ感じだ。
鳥居脇にある社標。ここには式内とある。
鳥居脇にある社標。ここには式内とある。
鳥居をくぐると一直線の石段。古木・大木が多くて素晴らしい社叢だ。
鳥居をくぐると一直線の石段。古木・大木が多くて素晴らしい社叢だ。
木々は非常に大きい。
木々は非常に大きい。
正面に社殿、右手に舞台(神楽殿)が見えてくる。
正面に社殿、右手に舞台(神楽殿)が見えてくる。
石段を登りきると社殿。虎ロープが玉に瑕。
石段を登りきると社殿。虎ロープが玉に瑕。
拝殿を正面より望む。記録によると文久2年(1862年)の建築と思われる。
拝殿を正面より望む。記録によると文久2年(1862年)の建築と思われる。
拝殿前広場の右側を望む。拝殿の正面に舞台(神楽殿)、ただし観客は本殿にお尻を向けることになるので変なレイアウトだ。
拝殿前広場の右側を望む。拝殿の正面に舞台(神楽殿)、ただし観客は本殿にお尻を向けることになるので変なレイアウトだ。
拝殿前広場の左側を望む。左にある建物は神饌所だろうか。
拝殿前広場の左側を望む。左にある建物は神饌所だろうか。
拝殿内部を望む。きれいに片付いている。
拝殿内部を望む。きれいに片付いている。
拝殿にはセルフのお守りの授与やおみくじもある。
拝殿にはセルフのお守りの授与やおみくじもある。
拝殿を右側より望む。拝殿に幣殿が合体した形式。
拝殿を右側より望む。拝殿に幣殿が合体した形式。
拝殿の後ろの本殿を右側より望む。ブルーシートが興ざめだが彫り物が施されているのが分かる。よく見えないのが残念。
拝殿の後ろの本殿を右側より望む。ブルーシートが興ざめだが彫り物が施されているのが分かる。よく見えないのが残念。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
舞台(神楽殿)は大きくはない。昭和2年(1927年)に社務所を神楽殿(舞台)に改造したものらしい。楽屋は床下だったらしい。
舞台(神楽殿)は大きくはない。昭和2年(1927年)に社務所を神楽殿(舞台)に改造したものらしい。楽屋は床下だったらしい。
拜殿より石段を望む。
拜殿より石段を望む。
石段脇の大木に圧倒される。途中にご神木「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれる鹿の子木(かごのき)があるが写真を撮り忘れた…。
石段脇の大木に圧倒される。途中にご神木「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれる鹿の子木(かごのき)があるが写真を撮り忘れた…。
石段より鳥居を望む。
石段より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

以下のデータがある。
ご祭神、少彦名命・大彦命。
崇神天皇11年(BC87年、諸説あり)道主命と比奈良岐が談合し創建。
天平19年(747年)佐々貴山君祖大彦命を佐々貴山に祀る。
延暦3年(784年)佐々貴山君祖佐々貴山命を射坂之丘に祀る。
謙倉時代 神田三町六反三三○歩を有していた。
貞享2年(1685年)造営。
宝暦2年(1752年)ごろ、「ささばやし」の神事再興。
嘉永4年(1851年)社殿炎上。
文久2年(1862年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進神社指定。
大正12年(1923年)郷社。
昭和2年(1927年)拝殿前の社務所を神楽殿(舞台)に変更。
昭和4年(1929年)県社。
江戸時代までは「二宮大明神」「雀岐大明神」と呼ばれていた。

創建については次のお話が伝わっている。
・道主命と比奈良岐が談合して大己貴命と少彦名命を祀る社を創建した。
・天平19年出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を佐々貴山に祀った。
・延暦3年出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻がその祖の佐々貴山命を射坂之丘に祀った。
・但馬国開拓の祖である少彦名神を祀り、大彦命の裔である高橋臣および同族の佐々木山公の居住地であったため、祖神大彦命を合祀して二宮明神と称した(二宮明神とは、雀岐大明神と呼ばれた当社と、須流大明神を一社にまとめたため)。

兵庫県道252号佐々木小谷線を南下していくと佐々木集落に看板が出ている、ここに社標もある。
看板のところで東に入り坂を登ると左手に駐車スペースがある。
ここからはすぐ横のコンクリートの階段を上がると集会所のあるスペース。

正面に石段があり左へ曲がっている、左へ曲がると杉の巨木と石段がある。
素晴らしい社叢だ。
石段の途中に現在の佐々伎神社のご神木「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれる鹿の子木(かごのき)。
写真を撮るのをすっかり忘れてた…。

石段を登りきると小さな広場、正面に社殿がある。
社殿は拜殿と本殿で構成され、文久2年(1862年)の建築と思われる。
本殿はブルーシートで覆われていたが彫り物が施されているのが分かる。

社殿の反対側には舞台(神楽殿)がある。
この建物は昭和2年(1927年)に社務所を神楽殿(舞台)に改造したものらしい。
舞台は狭いので床下を楽屋として使用していたと考えられている。

拝殿にはお守りなんかも置いてありなんだかホッとする。
地域に大事にされている様子がよく分かる。
長く後世に伝えたい神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/7/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

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