274-020_御出石神社

比定社:御出石神社

式内社コード:274-020
神名帳社名:御出石神社、ミツシノ/ミイツシノ
社格:名神大
所在地:668-0242 兵庫県豊岡市出石町桐野986
plus code:CVXW+GW 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

みいずしじんじゃと読む。
出石川の南岸の桐野集落の中の平地に鎮座。
国道482号線の寺坂小学校前交差点に案内看板があるので南に入る。
神社入り口は東側にあり兵庫県道528号寺坂福住線沿いに鳥居があるが建物の陰になり見つけにくいかもしれない。
駐車場は無いが周辺に駐車可能。

ハイライト

気持ちの良い社域。

写真

御出石神社を正面より望む。神社自体は東向き。鳥居が見えにくいかもしれない。
御出石神社を正面より望む。神社自体は東向き。鳥居が見えにくいかもしれない。
鳥居をくぐると土の参道が木々の中を続いている。なんだか江戸時代にタイムスリップしたような感じ。
鳥居をくぐると土の参道が木々の中を続いている。なんだか江戸時代にタイムスリップしたような感じ。
参道を進むと山門がある。山門前には社域を南北に道路が通っている。
参道を進むと山門がある。山門前には社域を南北に道路が通っている。
山門をくぐると社殿がある。
山門をくぐると社殿がある。
拝殿を左側より望む。拝殿・本殿ともかなり大きい。
拝殿を左側より望む。拝殿・本殿ともかなり大きい。
拝殿内部を望む。扁額には御出石大社・賀茂□大神宮とある(□は不明)。
拝殿内部を望む。扁額には御出石大社・賀茂□大神宮とある(□は不明)。
拝殿後方の本殿を右側より望む。
拝殿後方の本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
社殿は大正5年(1916年)の建築だが色あせた感じ。
社殿は大正5年(1916年)の建築だが色あせた感じ。
本殿右奥より拝殿を望む。山門・拝殿・本殿が一直線のレイアウト。
本殿右奥より拝殿を望む。山門・拝殿・本殿が一直線のレイアウト。
本殿を左側より望む。彫り物が施してある。
本殿を左側より望む。彫り物が施してある。
拝殿左側より山門を望む。
拝殿左側より山門を望む。
拜殿より山門を望む。向こうの方に鳥居。
拜殿より山門を望む。向こうの方に鳥居。
山門より鳥居を望む。
山門より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

以下のデータがある。
ご祭神は、日矛神。
創建は不明。
神武天皇6年(BC655年、諸説あり)出石丘に鎮座(諸説あり)。
永禄11年(1568年)再建。
天正8年(1580年)羽柴秀吉社領没収。
萬治2年(1659年)本殿修理。
安永6年(1777年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正5年(1916年)造営。
江戸時代までは「加茂大明神」と呼ばれていた。
とある。

ご祭神の日矛神は天日槍のこと。
天日槍の娘の伊豆志袁登売神も奉斎されているという説もあるそうだ。
御出石神社は名神大社で、距離にして4.3kmほど離れた出石神社と大いに関連がありそうだ。

鎌倉時代は加茂社領になっており、拝殿内の扁額にも「御出石大社・賀茂□大神宮とある(□は不明)」とあり加茂社との関係を示している。
室町時代には山名氏、江戸時代には出石領主の小出氏や仙石氏に庇護された。

桐野集落のある谷筋は南にある東床尾山に向かって延びている。
東床尾山の西には西床尾山、南側には鉄鈷山がある。
その谷筋の入り口に位置している。

東床尾山の周囲には鉱山が多くあり、南側の糸井川・米地川の流域は、東床尾山を中心に多数の鉱山が存在し、江戸時代の慶長(1596~1615年)~寛永(1624~1645年)年間に大いに栄えた。
それらの開発は戦国時代と伝えられているが、古くから様々な鉱物が採取されていたのだろう(個人的見解です)。

社域はかなり大きく、大きな木が多く古社を感じさせる。
東側に鳥居があるが建物の陰になり見つけにくいかもしれない。
さらに東へ川を渡った場所に石灯籠がある。

鳥居をくぐると未舗装の素朴な参道で非常に良い雰囲気だ、江戸時代まではこんな感じだったのだろうと思わせてくれる。
山門をくぐると、拝殿と本殿は大きく立派、大正5年(1916年)の建築だが色あせた感じだ。

非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/7/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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