273-230_(論)十六柱神社

比定社:(論)十六柱神社

式内社コード:273-230
神名帳社名:更杵村大兵主神社、サラキ-
社格:小
所在地:669-5231 兵庫県朝来市和田山町林垣1285
plus code:9R6Q+C7 朝来市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

じゅうろくはしらじんじゃと読む。
林垣集落の中の平地に鎮座。
南に200メートルほど兵庫県道10号朝来出石線の交差点に社標がある。
ここから北の集落の中を進むと正面に鳥居が見えるので分かりやすい。
駐車場は鳥居をくぐり公民館の前に停めさせていただいた。
神社前の斜めの駐車スペースは月極駐車場なので注意。

ハイライト

本殿は珍しい王子造で一見の価値あり。
杉田熊吉による本殿の彫り物も一見の価値あり。

写真

十六柱神社を正面より望む。鳥居の扁額には十六柱神社とある。
十六柱神社を正面より望む。鳥居の扁額には十六柱神社とある。
右側(東)を望む。大きな建物は地域の公民館。
右側(東)を望む。大きな建物は地域の公民館。
正面(南)を望む。兵庫県道10号朝来出石線からこの道で来ることになる。斜めの駐車場は月極駐車場なので駐車しないこと。
正面(南)を望む。兵庫県道10号朝来出石線からこの道で来ることになる。斜めの駐車場は月極駐車場なので駐車しないこと。
左側(西)を望む。
左側(西)を望む。
鳥居をくぐると左手には人家と休憩所のような建物がある。
鳥居をくぐると左手には人家と休憩所のような建物がある。
右手にある公民館の前に駐車させていただいた。
右手にある公民館の前に駐車させていただいた。
鳥居右手にある手水舎。
鳥居右手にある手水舎。
1段高いところに拝殿。
1段高いところに拝殿。
拝殿はお寺のような作り。
拝殿はお寺のような作り。
拝殿越しに本殿を望む。
拝殿越しに本殿を望む。
拝殿の後ろの本殿を右側より望む。拝殿よりも1段高くなっている。
拝殿の後ろの本殿を右側より望む。拝殿よりも1段高くなっている。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿を正面より望む。本殿は王子造、杉田熊吉による彫り物が施されている。遠目にも豪華な感じ。
本殿を正面より望む。本殿は王子造、杉田熊吉による彫り物が施されている。遠目にも豪華な感じ。
精緻な彫り物がいたるところに施されているのが分かる。
精緻な彫り物がいたるところに施されているのが分かる。
本殿の扁額には十六柱大明神とある。扉にも彫り物。
本殿の扁額には十六柱大明神とある。扉にも彫り物。
本殿左後ろより拝殿を望む。彫り物がいっぱい。
本殿左後ろより拝殿を望む。彫り物がいっぱい。
拝殿のもっと右側には摂社末社・蔵・倉庫がたくさんある。
拝殿のもっと右側には摂社末社・蔵・倉庫がたくさんある。
摂社末社のあるところから広場を望む。向こうにあるのは休憩所のような建物、しばし休憩させていただいた。
摂社末社のあるところから広場を望む。向こうにあるのは休憩所のような建物、しばし休憩させていただいた。
拝殿横より鳥居を望む。少し中心がずれているのが分かる。
拝殿横より鳥居を望む。少し中心がずれているのが分かる。

感想

延喜式神名帳の但馬国・養父郡の「更杵村大兵主神社」の論社2社のうちのひとつ。

由緒書はないので詳細不明。
以下のデータがある。
ご祭神は、不詳(兵庫県神社庁によると素盞鳴尊)。
持統天皇4年(690年)養父兵団の置かれていた更杵に兵主神を祀った。
明治4年(1873年)村社。

また「更杵村大兵主神社」の論社に関わるお話として次の内容が残る。
明治の神社改めの際、和田山町寺内の更杵神社は社殿や境内の貧弱さから式外社とされ、代つて林垣の十六柱神社が式内更杵村大兵主神社として報告され、以後諸書はこれに倣うようになった。
とある。

社標を過ぎ林垣集落の中を真っ直ぐ進むと鳥居が見える。
鳥居をクルマのまま通過し右手にある公民館の前に駐車させていただく。
集落と神社が近くて入り混じっているような感じだ。

正面に石積みで1段高い場所に少し左にずれて立派な拝殿があり、手前に休憩所のような建物がある。
拝殿はお寺のような作りになっていて全面格子が付いている。

拝殿の奥、少し離れてさらに石積みで1段高くなったところに本殿がある。
この本殿は王子造というらしく非常に立派なものだ。
加えて杉田熊吉による彫り物が施されており一見の価値がある。
想像するに、明治から大正にかけて作られた社殿ではないかと思う(個人的見解です)。
社域の周囲には摂社末社が多数あり、ひとつひとつがカッチリと作られている。

前を流れる糸井川の流域は、東床尾山を中心に多数の鉱山が存在し、江戸時代の慶長(1596~1615年)~寛永(1624~1645年)年間に大いに栄えた。
それらの開発は戦国時代と伝えられているが、古くから様々な鉱物が採取されていたのだろう(個人的見解です)。

社域には大きな古木の切り株もあり古くからここに鎮座していることを感じさせる。
社域は非常にきれいで気持ちよく参拝できる。
地域に溶け込んだ神社。

注意点

神社前の斜めの駐車スペースは月極駐車場なので注意。

訪問ノート

訪問日:2020/6/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM