比定社:(論)熊野神社(福知山市大江町)
式内社コード:267-130
神名帳社名 :三宅神社、ミヤケノ
社 格:小
所 在 地 :620-0312 京都府福知山市大江町公庄269
Plus Code :94GJ+4P 福知山市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「みやけじんじゃ」と読む、地名の公庄は「ぐじょう」と読む。
由良川沿い南北に長い公庄集落の中ほど由良川尾西岸の中腹に鎮座。
国道175号線沿いに鳥居と社標があるので見つけやすい。
駐車場が無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
立派な正面の構え。
覆屋に入った2つの本殿。
写真
感想
神社謹製の狛犬の説明書によると
公庄 熊野神社の狛犬
銘文は普通、基壇に書くことが多いのですが、この狛犬は胸や腹などの身体部分に彫られています。
石は笏谷(しゃくだに)石で別名、越前石といわれます。現在の福井市足羽山で産出した。軟質で、加工が容易にできる凝灰岩です。福井から海岸の三国湊まで船で素材の石を運び、三国の石工が狛犬に仕立て上げ、由良川河口まで運びそして由良川を上がってきたと考えられます。
宝暦九年(1759)の作品で、像高は53センチの小像ですが、少しの傷みもなく保存されています。古い作品なので見た目には簡素に見えますが魔除けや守護獣としての役割を存分に果たしていたと思われます。
両足を斜め前に出し、向かって右側の阿形(獅子)は上向き加減に頭を上げ、大きな口を開いています。左側の吽形(狛犬)は口を閉じているのですが、2本の牙と歯を見せています。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、櫛御氣野命・伊邪奈岐命・伊邪奈美命。
麻呂子親王の臣等によって造営。
その後の由緒不詳。
宝暦9年(1759年)狛犬奉納(追加)。
明治・大正期に社殿造営?、権次橘正胤による彫り物(追加)。
江戸時代までは「熊野若宮社」と呼ばれていた。
大原美能理の「丹後國式内神社考」に「公莊村ニアリ今村中32社アリ其中二熊野若宮社イト古シ社傳記二麻呂子親王ノ臣等ヲシテ御造営アリシ由其後今ノ地二遷座云々」とある。
とある。
延喜式神名帳・丹後国・加佐郡「三宅神社」の論社3社のひとつ。
当地の地名の「公庄」は「ぐじょう」と発音する、「公荘」とも書いたようだ。
「ぐじょう」と聞けば、郡上八幡を連想するが関係は無さそう…。
創建は、麻呂子親王(まろこしんのう)の臣が造営したということだ。
麻呂子親王と言えば、鬼退治で有名だが6世紀後半から7世紀前半にかけての皇族で、聖徳太子の異母弟と言われている人。
丹後国に多くの足跡が残る、式内社で言えば竹野神社が代表だろうか。
ご祭神の、櫛御氣野命(くしみけぬのみこと)は須佐之男命だと考えられている。
このあたりの詳細は不明だが、確かに熊野の神さまだ。
国道175号線沿いに鳥居と社標があるのですぐに見つかる。
だが駐車スペースが無いため難儀するので注意していただきたい。
熊野神社の当初の鎮座地は別の場所で詳細は不明。
遷座時期も分からない。
ちょっといびつな社域と関係しているのかもしれない。
正面から見る熊野神社は非常に立派な構えをしている。
左右に社標と巨大な石燈籠を配し、鳥居があり石段が続く。
石段を登ると、突き当りになり右へ曲がり広場に到達する。
石組みが適度なカッチリ感と粗さがあり、江戸時代くらいのものかと思われる。
広場には参集殿のような建物がある。
さらにもう1段登って社殿がある。
拝殿はなく、大きな覆屋の中に本殿が2つ入っている。
扁額等もなく由緒書もないので詳細は不明だ。
本殿は左側が大きく立派、権次橘正胤(1854~1928年)による素晴らしい彫り物が施されており一見の価値がある。
右側の本殿は小さいが、こちらも小さいながらも彫り物が施されているので同年代に建築されたものと思える。
両方の社殿とも状態は良い。
もし権次橘正胤(1854~1928年)が作った彫り物であるなら、本殿の建築時期は明治~大正期にかけての建築だと思われる(個人的見解です)。
狛犬はよく見ると体に文字が入っている珍しいタイプ。
宝暦9年(1759年)の銘が入っている。
由緒が分からないのが少し残念だ。
立派な彫り物を持つぐじょうの地に鎮座する熊野神社。
注意点
駐車場はないので注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/7/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。