271-140_村岳神社

比定社:村岳神社

式内社コード:271-140
神名帳社名:村岳神社、ムラヲカノ
社格:小
所在地:629-3414 京都府京丹後市久美浜町奥馬地201
plus code:HVMM+WH 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「むらおかじんじゃ」と読む、地名の奥馬地は「おくまじ」と読む。
奥馬地集落の中ほどの平地に鎮座、神谷神社と関係の深い神社。
国道178号線より久美谷川沿いに南へ1.7kmほど神社前に到着する。
口馬地より続く谷の一番奥にあたり、谷筋を遡り峠を越えると但馬国という地域。
神社横に駐車スペースあり。

ハイライト

非常にオープンな社域で集落に溶け込んでいるところ。

写真

村岳神社を正面より望む。ご覧の通りオープンな社域。
村岳神社を正面より望む。ご覧の通りオープンな社域。
右側(西)を望む。ガードレースのある所が集落のメインストリート。
右側(西)を望む。ガードレースのある所が集落のメインストリート。
左側(東)を望む。少し行くと駐車スペースがある。
左側(東)を望む。少し行くと駐車スペースがある。
社標には式内・村社とある。
社標には式内・村社とある。
鳥居をくぐると正面に割拝殿。きちんと雪かきがしてあるのが分かる。
鳥居をくぐると正面に割拝殿。きちんと雪かきがしてあるのが分かる。
鳥居右脇に手水鉢。
鳥居右脇に手水鉢。
拝殿の前の左側は何もない。1段下がって道路となっている。駐車スペースが奥に見える。
拝殿の前の左側は何もない。1段下がって道路となっている。駐車スペースが奥に見える。
割拝殿より覆屋に入った本殿を望む。
割拝殿より覆屋に入った本殿を望む。
覆屋に入った本殿を正面より望む。こちらも雪かきがしてある。
覆屋に入った本殿を正面より望む。こちらも雪かきがしてある。
覆屋に入った本殿の右側には摂社末社。
覆屋に入った本殿の右側には摂社末社。
覆屋に入った本殿の左側にも摂社末社。と倉庫のような建物。
覆屋に入った本殿の左側にも摂社末社。と倉庫のような建物。
覆屋に入った本殿を右側より望む。側面上部に明かり取りが付いている。
覆屋に入った本殿を右側より望む。側面上部に明かり取りが付いている。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
覆屋に入った本殿をガラス越しに望む。左右に相殿が並ぶ。状態は非常に良いように見える。明かり取りの窓が効いている。
覆屋に入った本殿をガラス越しに望む。左右に相殿が並ぶ。状態は非常に良いように見える。明かり取りの窓が効いている。
覆屋に入った本殿の左奥より割拝殿を望む。
覆屋に入った本殿の左奥より割拝殿を望む。
覆屋に入った本殿より割拝殿を望む。社域には古木が多い。
覆屋に入った本殿より割拝殿を望む。社域には古木が多い。
割拝殿の横にある太刀宮が両断したという伝説のふたつに割れた石と説明書きをブランコ越しに望む。
割拝殿の横にある太刀宮が両断したという伝説のふたつに割れた石と説明書きをブランコ越しに望む。
神社謹製の石仏の伝説。神谷神社(神谷太刀宮)との関係が深いようだ。
神社謹製の石仏の伝説。神谷神社(神谷太刀宮)との関係が深いようだ。
太刀宮が両断したという伝説のふたつに割れた石。確かに割れている、太刀宮は右利きのようだ。
太刀宮が両断したという伝説のふたつに割れた石。確かに割れている、太刀宮は右利きのようだ。
鳥居脇の石灯籠には文化年間(1804~1818年)とある。
鳥居脇の石灯籠には文化年間(1804~1818年)とある。
割拝殿より鳥居を望む。
割拝殿より鳥居を望む。

感想

神社謹製の石仏の伝説によると

石仏の伝説 熊野郡誌より
 伝説によるに村岳神は太刀宮の臣下にして、四道将軍旦波道主命山陰巡見に際し 前途の武運を祈らんが為め、出雲国なる八千矛神々を勧請し給ふ。此の時臣下に命じ社地を選定せしめらる。村岳神其の良地を秘す。依て神谷に社地を定め給ふ。後、此の事露見し、太刀宮憤り剣を抜いて追ふ。臣の神逃れて小字「イシボトケ」に至り、大石の陰に隠る。太刀宮斬らんとして誤て石を斬る石分れて二となる。臣和を乞ふ両神大根を下物として和睦の宴を開かる。其の地を「ナカラガヒ」と言ふ。蓋し「仲直り」の意ならん。
以下略
 追記、平成六年当区の土地改良事業により馬地谷小字「イシボトケ」より、村岳神社境内にこの石を移したものである。

とある

以下のデータがある。
ご祭神は、思兼神・倉稻魂命・武甕槌命。
創建年代不明。
元慶元年(877年)従五位下。
寛延2年(1749年)再建。

神谷神社(神谷太刀宮)との関係が面白い、上司と部下ということだったらしい。
しかも上司に情報を隠して後でバレてしまい上司の怒りを買う、という失敗談が残っているのは興味深い。

当地は久美浜より続くいくつかある谷筋の1本の最奥となる地域。
京都丹後鉄道宮豊線がこの谷を通っており豊岡方面へと抜けている。
かつては豊岡方面との街道があったのかもしれない。
神谷神社(神谷太刀宮)とは距離にして2.7kmの地点にある。

社域はフラットでオープンな作りで囲いは無い、周囲に石垣があるにはあるが低い。
神社自体は北西を向いており明確な理由は不明だ。
古木が多くあり古くからここに鎮座している様子が伺える。
鳥居を入ると割拝殿があり本殿は覆屋の中に入っている。

社域に囲いが無いため集落と一体化しているような印象のある神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2022/1/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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