比定社:村岳神社
式内社コード:271-140
神名帳社名:村岳神社、ムラヲカノ
社格:小
所在地:629-3414 京都府京丹後市久美浜町奥馬地201
plus code:HVMM+WH 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「むらおかじんじゃ」と読む、地名の奥馬地は「おくまじ」と読む。
奥馬地集落の中ほどの平地に鎮座、神谷神社と関係の深い神社。
国道178号線より久美谷川沿いに南へ1.7kmほど神社前に到着する。
口馬地より続く谷の一番奥にあたり、谷筋を遡り峠を越えると但馬国という地域。
神社横に駐車スペースあり。
ハイライト
非常にオープンな社域で集落に溶け込んでいるところ。
写真
感想
神社謹製の石仏の伝説によると
石仏の伝説 熊野郡誌より
伝説によるに村岳神は太刀宮の臣下にして、四道将軍旦波道主命山陰巡見に際し 前途の武運を祈らんが為め、出雲国なる八千矛神々を勧請し給ふ。此の時臣下に命じ社地を選定せしめらる。村岳神其の良地を秘す。依て神谷に社地を定め給ふ。後、此の事露見し、太刀宮憤り剣を抜いて追ふ。臣の神逃れて小字「イシボトケ」に至り、大石の陰に隠る。太刀宮斬らんとして誤て石を斬る石分れて二となる。臣和を乞ふ両神大根を下物として和睦の宴を開かる。其の地を「ナカラガヒ」と言ふ。蓋し「仲直り」の意ならん。
以下略
追記、平成六年当区の土地改良事業により馬地谷小字「イシボトケ」より、村岳神社境内にこの石を移したものである。
とある
以下のデータがある。
ご祭神は、思兼神・倉稻魂命・武甕槌命。
創建年代不明。
元慶元年(877年)従五位下。
寛延2年(1749年)再建。
神谷神社(神谷太刀宮)との関係が面白い、上司と部下ということだったらしい。
しかも上司に情報を隠して後でバレてしまい上司の怒りを買う、という失敗談が残っているのは興味深い。
当地は久美浜より続くいくつかある谷筋の1本の最奥となる地域。
京都丹後鉄道宮豊線がこの谷を通っており豊岡方面へと抜けている。
かつては豊岡方面との街道があったのかもしれない。
神谷神社(神谷太刀宮)とは距離にして2.7kmの地点にある。
社域はフラットでオープンな作りで囲いは無い、周囲に石垣があるにはあるが低い。
神社自体は北西を向いており明確な理由は不明だ。
古木が多くあり古くからここに鎮座している様子が伺える。
鳥居を入ると割拝殿があり本殿は覆屋の中に入っている。
社域に囲いが無いため集落と一体化しているような印象のある神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日:2022/1/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。