275-070_久刀寸兵主神社

比定社:久刀寸兵主神社

式内社コード:275-070
神名帳社名 :久刀寸兵主神社、クトワ-/クトムラ-/クトネ-
社    格:小
所 在 地 :669-5342 兵庫県豊岡市日高町久斗491
Plus Code  :FQ74+Q5 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「くとすひょうずじんじゃ」と読む、地名の久斗は「くと」と読む。
久斗集落の中の平地に鎮座。
国道482号線の1本南側の集落の中を通る道沿いにあるので見つけやすい。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

非常に整った社域。

写真

久刀寸兵主神社を正面より望む。非常に整った印象を受ける神社。
久刀寸兵主神社を正面より望む。非常に整った印象を受ける神社。
右側(東)を望む。周囲は久斗の集落、非常に整った町並み。こちらがわは日高市街方面。
右側(東)を望む。周囲は久斗の集落、非常に整った町並み。こちらがわは日高市街方面。
左側(西)を望む。きれいな町並み。こちらがわは植村直己冒険館の方向。
左側(西)を望む。きれいな町並み。こちらがわは植村直己冒険館の方向。
鳥居の右側にある社標には式内とある。
鳥居の右側にある社標には式内とある。
鳥居の左側にある社標には八幡神社とある。
鳥居の左側にある社標には八幡神社とある。
鳥居をくぐると広場があり、その向こうに社殿がある。
鳥居をくぐると広場があり、その向こうに社殿がある。
広場の右側には手水舎。たくさんの摂社末社がある。
広場の右側には手水舎。たくさんの摂社末社がある。
社殿を右側より望む。
社殿を右側より望む。
拝殿の向拝の部分。彫り物が施されていてなかなか豪華。
拝殿の向拝の部分。彫り物が施されていてなかなか豪華。
拝殿の扁額には久刀寸兵主神社とある。
拝殿の扁額には久刀寸兵主神社とある。
拝殿より本殿を望む。拝殿はフルオープンな形式。
拝殿より本殿を望む。拝殿はフルオープンな形式。
拝殿後方の本殿を右側より望む。本殿は覆屋には入ってない。本殿にも彫り物が施されているのが分かる。
拝殿後方の本殿を右側より望む。本殿は覆屋には入ってない。本殿にも彫り物が施されているのが分かる。
本殿を左側より望む。本殿は明治45年(1912年)に再建、拝殿は同年に改修とある。
本殿を左側より望む。本殿は明治45年(1912年)に再建、拝殿は同年に改修とある。
拝殿左側より鳥居を望む。「久斗兵主神社のケヤキ」と名付けられた豊岡市指定天然記念物の古木。
拝殿左側より鳥居を望む。「久斗兵主神社のケヤキ」と名付けられた豊岡市指定天然記念物の古木。
拝殿より鳥居を望む。神社は南向き。
手水鉢の後ろ側には、久斗婦人會・昭和六年とある。
手水鉢の後ろ側には、久斗婦人會・昭和六年とある。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、素盞嗚尊・大己貴命。
大化3年(647年)創立。
安政2年(1855年)本殿再建。
明治2年(1869年)社名を旧称に復す。
明治45年(1912年)本殿を再建、拝殿を改築。
江戸時代は「鳴瀧大明神」と称していた
寸は村の省字とされている。
孝徳天皇大化3年(647年)、気多郡の軍団に兵庫を設けてその鎮守として祀られたと云われる。
「傳ヘ云ふ孝徳天皇大化3年(647年)氣多郡の軍団に兵庫を設け其の鎭守として當社を創立せり延喜式の制小社に列し中古以來鳴瀧大明神と称す南龍城主山名氏、垣谷氏共に當社を崇め例祭には幣帛を捧げ安政2年(1855年)には本殿を再建せり明治2年(1869年)社名を旧称に復し同45年(1912年)本殿を再建し拝殿を改築せり」『兵庫県神社誌』

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大国主尊(オオクニヌシノミコト)
配祀神:素盞鳴尊(スサノオノミコト)
孝徳天皇大化3年(647)、気多郡の軍団に兵庫を設けてその鎮守として祀られたと云われる。

とある。


“孝徳天皇大化3年(647年)、気多郡の軍団に兵庫を設けてその鎮守として祀られた”とある。
兵庫とは、「ひょうご」「へいこ」「つわものぐら」と読むようだ。
文字通り、兵器を格納しておく倉や倉庫、つまり兵器庫のこと。
その兵器庫に兵主神(大巳貴命や素戔嗚命)を祀ったという内容になっている。

兵器庫が必要だということは、そのあたりが紛争中あるいは紛争が起きるかもしれない地域なのだろう。
有事の際に素早く対応しようと思えば、現場に近い場所に兵士と兵器を用意すると思う。
そこで、延喜式神名帳に出てくる「兵主神社」を抜き出してみると次のような結果になった。
大和国・城上郡・018-030・穴師坐兵主神社 ・名神大月次新嘗_相嘗
大和国・城上郡・018-230・穴師大兵主神社 ・小
和泉国・和泉郡・037-050・兵主神社    ・小
三河国・賀茂郡・076-030・兵主神社    ・小
近江国・野洲郡・152-040・兵主神社    ・名神大
近江国・伊香郡・159-170・兵主神社    ・小
丹波国・氷上郡・264-110・兵主神社    ・小
但馬国・朝来郡・272-040・兵主神社    ・小
但馬国・養父郡・273-090・兵主神社    ・小
但馬国・養父郡・273-230・更杵村大兵主神社・小
但馬国・出石郡・274-130・大生部兵主神社 ・小
但馬国・気多郡・275-070・久刀寸兵主神社 ・小
但馬国・城崎郡・276-110・兵主神社    ・小
但馬国・城崎郡・276-130・兵主神社二座  ・小
因幡国・巨濃郡・280-050・佐弥乃兵主神社 ・小
因幡国・巨濃郡・280-070・許野乃兵主神社 ・小
播磨国・飾磨郡・310-010・射楯兵主神社二座・小
播磨国・多可郡・317-020・兵主神社    ・小
壱岐島・壱伎郡・422-050・兵主神社    ・名神大

これを見ると但馬国は他の国に対して突出して多いことが分かる。
他の国は多くても2つ、但馬国は7つある、これはもう異常事態だと言えるだろう。
但馬国が緊張状態にあったのだと推測できる(個人的見解です)。

ちなみに現在の兵庫県という名前はこの「兵庫(つわものぐら)」を由来としているそうだ。

式内社の兵主神社の分布をプロットしたもの。三河国・近江国の各1ヶ所づつは場所が特定できずプロット無し。壱岐島も除外した。紛争地域!?は兵庫県北部に集中している。
式内社の兵主神社の分布をプロットしたもの。三河国・近江国の各1ヶ所づつは場所が特定できずプロット無し。壱岐島も除外した。紛争地域!?は兵庫県北部に集中している。
同じく式内社の兵主神社の分布をプロットしたものの但馬国のアップ。ほぼ円山川沿いの朝来から豊岡あたりに集中している。大和朝廷へ最後まで従わない氏族や地域があったのだろうか。
同じく式内社の兵主神社の分布をプロットしたものの但馬国のアップ。ほぼ円山川沿いの朝来から豊岡あたりに集中している。大和朝廷へ最後まで従わない氏族や地域があったのだろうか。

個人的に、兵主神社というのはなかなか実像が非常に掴みにくい神社ではある。
久刀寸兵主神社に巻しては、そもそも久刀寸(くとす)という名前が気になる。
地名の久斗(くと)と神社名の久刀寸(くとす)、そもそも地名自体が久刀寸だったのかもしれない(個人的見解です)。

久刀寸兵主神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
国道482号線の1本南側の集落の中を通る道沿いにある、ただし駐車場が無いのでどうしても路上駐車になってしまう。
周辺は人家だが非常にきれいな町並みでビックリする。

神社の構えは立派なもので、石の垣で囲まれ古木・大木が目立つ社域。
鳥居の脇にある社標は、式内というものと八幡神社という2本が建っている。

社域はそれほど広くはないが建物がたくさんある。
摂社末社も大きいものがある。

社殿は、拝殿と本殿で構成される。
拝殿はフルオープン形式で舞殿のような感じ。
本殿には覆屋は無くかなり立派な作りで状態は非常に良い、明治45年(1912年)本殿を再建とある。
拝殿・本殿共に彫り物が施され豪華に見える。

社域には「久斗兵主神社のケヤキ」と名付けられた豊岡市指定天然記念物のけやきの大木がある。
ややこしい。

神社名の久刀寸がよく分からない兵主神社。

注意点

駐車場が無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100