273-100_男坂神社

比定社:男坂神社

式内社コード:273-100
神名帳社名:男坂神社、ヲサカノ
社格:小
所在地:667-0306 兵庫県養父市大屋町宮垣196
plus code:9P85+H4 養父市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

おさかじんじゃと読む。
宮垣集落の中央部の小高い丘の上に鎮座。
兵庫県道6号養父宍粟線と兵庫県道272号宮垣八木線の交差する地点の東側にこんもりとした丘がある。
鳥居は木々で見えにくいが丘はそこだけなので比較的見つけやすい。
兵庫県道6号養父宍粟線の反対側(南)に駐車スペースがある。

ハイライト

城としても機能する小高い丘に鎮座。
中井権次正胤(1854~1928年)による本殿の彫り物。

写真

男坂神社を正面より望む。兵庫県道6号養父宍粟線の北側の小高い丘になっていて東側に入り口がある。訪問した日は秋季例大祭のお昼時。
男坂神社を正面より望む。兵庫県道6号養父宍粟線の北側の小高い丘になっていて東側に入り口がある。訪問した日は秋季例大祭のお昼時。
西側を望む。この道路は兵庫県道6号養父宍粟線の大屋町方面。
西側を望む。この道路は兵庫県道6号養父宍粟線の大屋町方面。
南側を望む。南側には大屋川、山の上には三方城址。西側は兵庫県道272号宮垣八木線があり琴引峠を越え八鹿町につながる交通の要衝。
南側を望む。南側には大屋川、山の上には三方城址。西側は兵庫県道272号宮垣八木線があり琴引峠を越え八鹿町につながる交通の要衝。
石段を上がると神社の入り口。
石段を上がると神社の入り口。
ワイルドな社標には式内とある。後ろの白い杭には兵庫県指定文化財「男坂神社のシラカシ林」とある。
ワイルドな社標には式内とある。後ろの白い杭には兵庫県指定文化財「男坂神社のシラカシ林」とある。
大屋町宮垣区・養父市教育委員会謹製の説明書。兵庫県指定文化財「男坂神社のシラカシ林」、男坂城跡があること、菅原道真公もお祀りするとある。
大屋町宮垣区・養父市教育委員会謹製の説明書。兵庫県指定文化財「男坂神社のシラカシ林」、男坂城跡があること、菅原道真公もお祀りするとある。
鳥居は両部鳥居で立派。
鳥居は両部鳥居で立派。
両部鳥居をくぐると一直線の石段。男らしい。
両部鳥居をくぐると一直線の石段。男らしい。
石段を登りきると平坦になっており社殿がある。秋季例大祭だったようで飾り付けられている、ちょうどお昼時だったみたいで誰もいない。狛犬のところの石碑には菅原道真公と見える。
石段を登りきると平坦になっており社殿がある。秋季例大祭だったようで飾り付けられている、ちょうどお昼時だったみたいで誰もいない。狛犬のところの石碑には菅原道真公と見える。
拝殿より本殿を望む。フルオープンで畳敷きの拝殿。神事の準備は万端という感じ。
拝殿より本殿を望む。フルオープンで畳敷きの拝殿。神事の準備は万端という感じ。
拝殿と本殿は回廊で繋がっている。
拝殿と本殿は回廊で繋がっている。
本殿を右側より望む。幕に染められているのは五三の桐のご神紋。中井権次正胤の彫り物がキチンと撮れてないのが残念。
本殿を右側より望む。幕に染められているのは五三の桐のご神紋。中井権次正胤の彫り物がキチンと撮れてないのが残念。
本殿左後ろより拝殿を望む。
本殿左後ろより拝殿を望む。
本殿を左側より望む。遠目にも彫り物と組物が豪華なのが分かる。
本殿を左側より望む。遠目にも彫り物と組物が豪華なのが分かる。
本殿の屋根には丸に梅鉢のご神紋が付いている。
本殿の屋根には丸に梅鉢のご神紋が付いている。
参集殿のような建物ではご神事の準備がされている。
参集殿のような建物では神事の準備がされている。
拝殿前より石段を望む。直角に曲がっている。
拝殿前より石段を望む。直角に曲がっている。
一直線の石段より両部鳥居を望む。
一直線の石段より両部鳥居を望む。
石段より両部鳥居を望む。
石段より両部鳥居を望む。

感想

大屋町宮垣区・養父市教育委員会謹製の説明書によると

兵庫県指定文化財 男坂神社のシラカシ林
指定年月日 昭和六十一年三月二十五日
所在地 養父市大屋町宮垣天満山一九六番地

 男坂神社(おさか-)は、宮垣の約八十戸が守る大きな神社です。
平安時代には神社名が知られる式内社で、天満山と呼ばれる小高い丘陵の頂上に本殿があります。
 神社の境内には、高木層ではシラカシ、カゴノキが優勢で、それにホウノキ、ムクノキ、エゾエノキ、エゴノキなどの落葉樹が混成しています。蛇紋岩地帯に多いヤマカシウも生育して植物層も豊富です。
 境内には幹廻りが一五〇cmをこえるシラカシ、カゴノキが約二〇本も生えています。本殿を含めた六六二五㎡の範囲が、県指定の天然記念物です。杉の植林などで失われた但馬の里山の原形が残る貴重な森です。
 また男坂城跡と呼ぽれる山城もあります。本殿のある場所が本丸にあたる主郭です。そこから 下の広場まで続く二段の平坦地が城跡の曲輪です。そして城の西側は堀切で守られています。宮垣区には男坂城と三方城の二城があり、大屋の入口を防御しています。
 県指定文化財のシラカシ林、天正五年の但馬攻めに備えた男坂城跡、菅原道真公もお祀りする男坂神社がある天満山の森は、様々な自然と歴史を伝えています。
平成十七年三月十五日
大屋町宮垣区・養父市教育委員会

とある

情報は極端に少ないが次の記録があるようだ。
明治6年(1873年)村社。
明治25年(1892年)社殿再建。

当地は東は養父、北側は琴引峠を越え八鹿町と繋がり山陰道に接続する。
また、西側は若杉峠を越え因幡街道および若桜街道に接続する。
まさに交通の要衝だ。

男坂神社と琴引峠(琴引山)には次のようなお話も残っている。
上古、少彦名命、大名持神と協力してこの国土を経営された時、琴引山袖ヶ池という所に来て自ら六張の弓を張りこれを掻き引きならし松風に合わせて神楽を遊ばれたと言う。それよりこの山を琴引山と言い、この縁によって少彦名命の神霊を留めて社頭を創立したと言う。

天正年間の秀吉の但馬・因幡攻めにより、男坂神社には記録が全く残っていないそうだ。
現在の社地は、天正年間には男坂城があって曲輪なども残る、大屋川を挟んだ南側には三方城があった。
神社と城というのは時々関係することがある。
・神社と城が共存
・神社がある場所に城を作った
・城があった場所に神社を作った
と、パターンは様々だ。
共通するポイントは、地域で重要な場所であるということだと思う(個人的見解です)。

説明書きによると現在のご祭神は、菅原道真公となっている。
元々のご祭神は諸説あり、黒坂大神・少彦名命・彦坐命が上がっているがはっきりしたことは分からない。

訪問した日は秋季例大祭のお昼時だったようで皆さん食事に戻られたようなタイミングだった。
お祭りなのに誰もいないという不思議な時間だった。

兵庫県道6号養父宍粟線に面して東側に神社入り口があり両部鳥居がある。
続く石段はなんだか男っぽくて一直線となっている。
社殿は拝殿と本殿で構成されている。
拝殿はフルオープンな形式で屋根の反りが美しい。
本殿は五三の桐が染め抜かれた幕が掛かっているが屋根には丸に梅鉢のご神紋が付いている。
本殿は彫り物組物が素晴らしく、彫り物は中井権次正胤の手になるものだ。
残念ながらキチンと写真が撮れていない…。

社叢は「男坂神社のシラカシ林」という兵庫県指定文化財で今では貴重な植生となっている。
社域は非常にきれいで気持ち良く参拝できる。
長く保存してほしい神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/10/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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