比定社:(論)楯縫神社(斎神社摂社:養父市長野)
式内社コード:273-080
神名帳社名:楯縫神社、タテヌヒノ
社格:小
所在地:667-0145 兵庫県養父市長野265
plus code:7QP4+J4 養父市、兵庫県
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アプローチ&ロケーション
長野集落の東の山裾に鎮座。
兵庫県道70号十二所澤線に面しており鳥居があるのですぐに分かる。
鳥居の東側にバス乗り場と公園があり、バス乗り場の裏に駐車可能。
兵庫県道70号十二所澤線は朝来と養父を結ぶ街道にあたる。
ハイライト
斎神社:斎神社本殿に施された三代目松本義廣の彫り物。
楯縫神社:楯縫神社の社殿は元斎神社本殿で兵庫県登録文化財、宝暦10年(1760年)に作られたもの。
写真
感想
神社謹製のお走り祭り説明書によると
養父町文化財指定
お走り祭り絵馬の里
斎神社(いつき-)
祭神 天太玉命(あまのふとだまのみこと) 手置帆負命(たおきほおいのみこと) 彦狹知命(さこさしりのみこと)
由緒 聖武天皇の天平二年(西暦七三〇年)の創立と伝えられ、足利時代山名氏の崇敬を受け、江戸時代は生野代官の信仰を得たり。
お走り祭りの伝説
お走り祭りは、養父神社の神輿が四月十五日・十六日の二日間「ハットウ、ヨゴザルカ」と掛け声を掛けあいながら、斎神社までの往復四十キロの道のりを練り歩く祭りである。神輿は重さ百五十キロもあり、途中川渡御をしながら進む奇祭である。斎神社拝殿に奉納されている絵馬から、江戸時代の祭りの様子がうかがえる。この祭りの由来については「神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地にならないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ、土木の神様である斎明神にお願いしてはということになり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。斎明神は快く引き受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走(十二月)の未の日と申の日にかけてお礼参りされた」のが、お走り祭りの始まりと伝えられている。なお、明治十年より四月十五日・十六日に祭日が変更された。
とある
以下の記録が残る。
天平2年(730年)創建。
永承16年(1061年)現在地に遷座(元は現在地より300メートルほどの丘陵に鎮座していた)。
宝暦10年(1760年)本殿再建(現在の楯縫神社社殿)。
明治6年(1873年)村社。
昭和10年(1935年)郷社。
昭和12年(1937年)本殿新築。
平成21年(2009年)昭和12年新築の本殿倒壊。
※補足:永承16年(1061年)とあるのは、永承6年(1051年)だと思われる
斎神社と楯縫神社の情報が入り混じりややこしい。
延喜式神名帳・但馬国・養父郡の「楯縫神社」の論社2社のうちの1つ。
北へ850メートルほどの場所に、同じく論社である楯縫神社が鎮座し、両社の距離が近い。
現在は斎神社(いつきじんじゃ)の摂社だが、斎神社が楯縫神社の論社であるとの説もあるようだ。
斎神社のご祭神は、天太玉命・手置帆負命・彦狹知命となっている。
楯縫神社のご祭神は、彦狹知命だ。
斎神社の本殿は平成21年(2009年)の台風による土砂崩れで倒壊し修復なったもの。
オリジナルをできる限り使用して復活させたようだ、三代目松本義廣の彫り物が施されている、一見の価値あり。
また斎神社の摂社である楯縫神社の現在の本殿は、元斎神社の本殿で宝暦10年(1760年)に作られた、兵庫県登録文化財となっている。
但馬の奇祭「お走り祭り」の目的地となっていて養父神社から神輿が出て斎神社を目指す。
なんと遠い場所まで出掛けるのだろうと、現代の感覚でも思ってしまう。
それほど恩が深いということだろうと思う。
長く保存してほしいと思う神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日:2018/10/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。