268-130_(論)阿知江𡶌部神社(与謝郡与謝野町)

比定社:(論)阿知江𡶌部神社(与謝郡与謝野町)

式内社コード:268-130
神名帳社名 :阿知江𡶌部神社、アチヘイソヘノ
社    格:小
所 在 地 :629-2314 京都府与謝郡与謝野町岩屋761
Plus Code  :G3GC+48 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あちえいそべじんじゃ」と読む、地名の岩屋は「いわや」と読む。
岩屋集落の西南の山裾に鎮座。
京都府道2号宮津養父線より雲岩自然公園の看板を目印に南へ入り250メートルほどで見えてくる。
周辺は田畑と人家が半々の地域、
駐車場は無いが鳥居前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

少々いびつな参道と社殿の配置。

写真

阿知江𡶌部神社を正面より望む。神社自体は東を向いている。右側の道路により社域が削られたようだ。神社前にはちょっとした広場になっている。
阿知江𡶌部神社を正面より望む。神社自体は東を向いている。右側の道路により社域が削られたようだ。神社前にはちょっとした広場になっている。
右側(北)を望む。この先が京都府道2号宮津養父線。
右側(北)を望む。この先が京都府道2号宮津養父線。
左側(南)を望む。この先が雲岩自然公園となる。駐車場は無いが神社前の広場に駐車させていただいた。
左側(南)を望む。この先が雲岩自然公園となる。駐車場は無いが神社前の広場に駐車させていただいた。
鳥居脇の社標には式内とある。
鳥居脇の社標には式内とある。
鳥居をくぐると参道が続く。参道の途中に右側からの通路もある。
鳥居をくぐると参道が続く。参道の途中に右側からの通路もある。
右側の通路(北)には鳥居がある。北側の鳥居に安政二年(1855年)とある、東側の鳥居は大正年間となっているので参道の改修が行われたようだ。
右側の通路(北)には鳥居がある。北側の鳥居に安政二年(1855年)とある、東側の鳥居は大正年間となっているので参道の改修が行われたようだ。
手水舎。
手水舎。
休憩所のような建物。近隣の方が掃除の時に休憩するようなスペース。薪ストーブが渋い。
休憩所のような建物。近隣の方が掃除の時に休憩するようなスペース。薪ストーブが渋い。
神社謹製の由緒書。創建は不明、ご祭神は長白羽命、現在の社殿は明治4年で讓られた建物とある。
神社謹製の由緒書。創建は不明、ご祭神は長白羽命、現在の社殿は明治4年で讓られた建物とある。
拝殿を正面より望む。お寺のような作りで比較的シンプル。
拝殿を正面より望む。お寺のような作りで比較的シンプル。
拝殿を左側より望む。左側には神饌所のような建物が付随している。
拝殿を左側より望む。左側には神饌所のような建物が付随している。
拝殿を右側より望む。拝殿の後ろには幣殿のような建物がある。
拝殿を右側より望む。拝殿の後ろには幣殿のような建物がある。
本殿を右側より望む。大きな建物だが装飾が少なくシンプル。残念ながら覆いが付いていて細部を見ることができない。
本殿を右側より望む。大きな建物だが装飾が少なくシンプル。残念ながら覆いが付いていて細部を見ることができない。
拝殿より参道を望む。参道は右手が山の斜面、左手が道路で低くなっておりいびつな形状をしている。本来は左の北側から入る作りになっていたと思われる。
拝殿より参道を望む。参道は右手が山の斜面、左手が道路で低くなっておりいびつな形状をしている。本来は左の北側から入る作りになっていたと思われる。
東側の鳥居を望む。この鳥居は大正年間とある。
東側の鳥居を望む。この鳥居は大正年間とある。

感想

神社謹製の由緒書によると

式内社 阿知江𡶌部神社 由緒
○祭神 長白羽命
当社は元雲巖あたりに祀られていたのを後現在地に遷したという。
醍醐天皇の延喜五年(紀元九〇五)勅命によって調査記録された延喜式五拾巻の内九巻と十巻が神名帖であり全國の主な神社が載せられている。当社は第十巻に記載されている。所謂延喜所載の式内社である。
延喜式の作成された年から考察すると当社の創立或いは遷座は千数百年前と考察される。
現在の神殿は明治四年宮津城主木荘家の主護神の神殿を譲り受け造営されたもので、其の後数回増改築され今日に至っている。
祭神長白羽命は、天照大神の岩戸隠れの時青和幣(織物)を作って奉献されたことから、代々白鬚大明神と尊稱され崇敬されている。
昭和十八年五月二十四日 神饌幣帛料供進神社に指定された。
○例祭日 四月二十五日
○境内社 一.恵美須神社、祭神事代主命
     二.若宮神社 祭神、市杵島命、保食神
昭和五十年四月十四日 宮司坂根富軌 謹書

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、長白羽命。
由緒不詳
明治3年(1870年)再建。
明治6年(1873年)村社。
昭和18年(1943年)神饌幣帛料供進神社指定。
江戸時代までは「白髪大明神」と呼ばれていた。
『特選神名牒』には「道志流倍に但馬出石郡へ越る山をアチエ峠と云其南につづきたる麓に白髪大明神と云ありよろしき社地也前に川あり後ろの山に廢寺の趾あり上に雲岩とて遙に見上るばかり高く聳えたり云々とみえたる所在の証とすべし」とある。

とある。

延喜式神名帳の丹後国・与謝郡「阿知江𡶌部神社」の論社2社のうちの1つ。

当地は、岩屋峠を介して加悦谷と但馬を結ぶ街道筋にあたる。
岩屋峠は古くはアチエ峠と言われていたようだ。
由緒書には、元の鎮座地は雲巖とあるが、現在のツツジで有名な雲岩公園のあたりのことだろうか(雲岩という磐座がある)。
遷座時期等は分からないようだ。
ご祭神の長白羽命(ながしらはのみこと)は、麻を育て青和幣(あおにぎて)を織ったという神さま。
創建の由緒や鎮座地をはじめデータがまったく無い神社。

阿知江𡶌部神社へのアプローチは、京都府道2号宮津養父線より雲岩自然公園の看板を目印に南へ入り250メートルほど、非常に分かりやすい。
集落の中の道もそれほど狭くない。

社域は東を向いており周辺の道路よりも1段高くなっている。
片側は道路、反対側は山の斜面が迫り、特に参道部分はバランスが悪い配置となっている。
参道の途中の北側から入るための古い鳥居があるので本来はこちらが入り口だったのだろうと思われる。

社殿は明治3年(1870年)に造営とあり拝殿・本殿共に立派な作り。
拝殿は左手に神饌所が付く形式。
本殿は幣殿が付いてるのと囲いが付いているのでよく見えないのが残念。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
岩屋区では、神楽舞や太鼓屋台巡行が祭礼行事として行われるようだ。
長く続けてほしいと思う。

雲巖と浅からぬ関係のある神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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