275-150_神門神社

比定社:神門神社

式内社コード:275-150
神名帳社名 :神門神社、カムトノ
社    格:小
所 在 地 :669-5356 兵庫県豊岡市日高町荒川309
Plus Code  :FP6C+4J 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「かむとじんじゃ」と読む、地名の荒川は「あらかわ」と読む。
荒川集落の中央部の平地に鎮座。
兵庫県道268号十戸養父線に面しているのですぐに見つかる。
位置的には植村直己冒険館の西1kmほどの場所にある。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古木の多く残る素晴らしい社叢。
中井権次橘正貞による本殿の彫り物。

写真

神門神社を正面より望む。前の道路は兵庫県道268号十戸養父線、荒川集落の中央にある。
神門神社を正面より望む。前の道路は兵庫県道268号十戸養父線、荒川集落の中央にある。
右側(南)を望む。そぐそこに荒川のバス停がある。
右側(南)を望む。そぐそこに荒川のバス停がある。
左側(北)を望む。駐車場が無いので県道の広い場所に駐車させていただいた。
左側(北)を望む。駐車場が無いので県道の広い場所に駐車させていただいた。
正面より鳥居を望む。県道に社域を削られてしまったのだろうか、県道から斜めに神社に入る形になる。
正面より鳥居を望む。県道に社域を削られてしまったのだろうか、県道から斜めに神社に入る形になる。
鳥居をくぐると片拝殿のような山門のような建物が見えてくる。周囲は古木が多い素晴らしい社叢だ。
鳥居をくぐると片拝殿のような山門のような建物が見えてくる。周囲は古木が多い素晴らしい社叢だ。
左手には手水鉢。
左手には手水鉢。
山門の右前には倉庫のような建物がある。
山門の右前には倉庫のような建物がある。
片拝殿のような山門のような建物より本殿を望む。
片拝殿のような山門のような建物より本殿を望む。
片拝殿のような山門のような建物をくぐると本殿がある。さらに濃い社叢で巨木がそびえる。素晴らしい雰囲気だ。
片拝殿のような山門のような建物をくぐると本殿がある。さらに濃い社叢で巨木がそびえる。素晴らしい雰囲気だ。
本殿を正面より望む。本殿の周囲には胸の高さくらいの石積みがある。
本殿を正面より望む。本殿の周囲には胸の高さくらいの石積みがある。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿を望む。光背には中井権次橘正貞による彫り物、素晴らしい迫力。扁額には神門神社とある。
本殿を望む。光背には中井権次橘正貞による彫り物、素晴らしい迫力。扁額には神門神社とある。
本殿左奥より割拝殿のような山門を望む。
本殿左奥より割拝殿のような山門を望む。
社域には古木・巨木が多く古くよりここに鎮座していることが分かる。
社域には古木・巨木が多く古くよりここに鎮座していることが分かる。
本殿より割拝殿のような山門を望む。
本殿より割拝殿のような山門を望む。
本殿より割拝殿より鳥居を望む。
本殿より割拝殿より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大国主命・武夷鳥命・大山咋命。
創立年は詳らかでない。
天和4年(1684年)本殿再建。
天保3年(1832年)本殿補修。
明治3年(1870年)神門神社と復称。
明治6年(1873年)村社。
明治33年(1900)瓦葺に屋根替(追加)。

江戸時代までは「山王大権現」と呼ばれていた。

神門神社の謂れは、鵜濡渟命が初代の出雲国造であることから、出雲国神門にちなんだものではないかと想像される。
近世には神仏混合思想の影響で山王大権現と称していたが、明治3年に神門神社に復称する。

※補足:天和4年(1684年)=貞享元年

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大国主命(オオクニヌシノミコト)
配祀神:武夷鳥命(タケヒナドリノミコト)・大山咋命(オオヤマクイノミコト)

創立年月不詳なれども延喜式の制小社に列し貞享元4年(1684)本殿を修理し明治3年(1870)山王大権現の称呼を神門神社と改称し同6年(1873)10月村社に列し同33年(1900)瓦葺に屋根替したり。

とある。


当地が含まれる地域は、奈良時代には但馬国・気多郡の「太多郷(ただごう)」「三方郷(みかたごう)」「楽前郷(ささのくまごう)」に分かれていた。
中世には荘園となり、太多郷は神宮(伊勢神宮)、三方郷は比叡山延暦寺、楽前郷は貴族が統治する地となった。
江戸時代では、幕府直轄地・旗本領・出石藩領・豊岡藩領が入り混じった地域となった。
近世においては、現在の神鍋高原より北側は西気地区、神鍋高原の南側は清滝地区、当地から西側の蘇武岳までを三方地区と呼ばれている。
西気地区には万場(まんば)金山、三方地区には阿瀬(あせ)金山・銀山があった。
なかでも阿瀬銀山は江戸末期まで操業し、阿瀬千軒と言われ繁栄したようだ。

地図を見てみれば、当地は交通の要衝であることがよく分かる。
東は円山川、少し北へ行けば但馬国府、西は金山峠経由で村岡、南は八鹿と街道が集まる場所。
谷筋(川筋)が集まり、山間部には貴重な盆地を形成している。

また、山陰の妙見信仰の中心である名草神社への登拝口としても賑わっていたようだ。
当地から南西に伸びる谷筋の日高町観音寺より名草神社を目指すルートだ。

現在からは想像できないが、当地は近世まで交通の要衝であり、経済活動も非常に盛んな地域だった。

神門神社へのアプローチは、国道482号線の植村直己冒険館より西へ入り、さらに南北に走る兵庫県道268号十戸養父線に入れば県道沿いに鳥居があるのですぐに分かる。
駐車場は無いので周辺に駐車するしかない。

兵庫県道268号十戸養父線に対して斜めになった鳥居をくぐると緑豊かな古木の多い社叢が広がる。
県道で社域が削られているのが惜しい気がするが素晴らしい社叢を形成している。

社殿は割拝殿のような山門と本殿で構成される。
本殿は降雪地帯としては珍しく覆屋には入っていない。
本殿の周囲は胸くらいの高さのカッチリした石積みで囲まれており、コンパクトだが守られている感の強い社域だ。
本殿は天保3年(1832年)の建築とあり、向拝には中井権次橘正貞による彫り物が施され一見の価値がある。

但馬国西部の交通の要衝・経済の中心地にある神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/5/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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