267-140_日原神社

比定社:日原神社

式内社コード:267-140
神名帳社名 :日原神社、ヒハラノ
社    格:小
所 在 地 :624-0831 京都府舞鶴市女布353
Plus Code  :C8F8+26 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「ひはらじんじゃ」と読む、地名の女布は「にょう」と読む。
女布集落の西の端の山裾に鎮座。
集落の中の道は極狭小で曲がるにも難儀するほどなので要注意。
集落の中心にちょっとした駐車スペースがあるのでそこに駐車するか、集落の外に駐車し徒歩でアプローチが必要。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

江戸時代の雰囲気をよく残す集落。
神社自体の立地。

写真

日原神社を正面から望む。集落の一番奥にありクルマで神社前まで入るのは難しい、離れた場所に駐車し徒歩でのアプローチが必要。
日原神社を正面から望む。集落の一番奥にありクルマで神社前まで入るのは難しい、離れた場所に駐車し徒歩でのアプローチが必要。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。木製の両部鳥居で朱色、狛犬が古社を醸し出している。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。木製の両部鳥居で朱色、狛犬が古社を醸し出している。
短い石段を上がると拝殿前の広場。社域は広くはないが全体的に苔むしていて良い雰囲気。
短い石段を上がると拝殿前の広場。社域は広くはないが全体的に苔むしていて良い雰囲気。
拝殿を正面から望む。拝殿と覆屋に入った本殿は1段高いところに作ってある。
拝殿を正面から望む。拝殿と覆屋に入った本殿は1段高いところに作ってある。
手水舎。
手水舎。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側から望む。拝殿は非常にシンプルでフルオープンな形、本殿は覆屋に入っている。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側から望む。拝殿は非常にシンプルでフルオープンな形、本殿は覆屋に入っている。
覆屋に入った本殿を右側から望む。覆屋は礎石の上に建っており古いものであることが分かる。
覆屋に入った本殿を右側から望む。覆屋は礎石の上に建っており古いものであることが分かる。
覆屋に入った本殿を左側から望む。周りは山林で植林ではないようだ。
覆屋に入った本殿を左側から望む。周りは山林で植林ではないようだ。
本殿を望む。覆屋はシンプルで古いもの。
本殿を望む。覆屋はシンプルで古いもの。
覆屋の中の本殿を望む。シンプルな形状だがかなり大きい。状態は良さそうだが扉に欠けているところが気になる…。
覆屋の中の本殿を望む。シンプルな形状だがかなり大きい。状態は良さそうだが扉に欠けているところが気になる…。
本殿脇から拝殿を望む。拝殿の正面にあるのは参集殿のような舞台のような建物。
本殿脇から拝殿を望む。拝殿の正面にあるのは参集殿のような舞台のような建物。
拝殿の正面にある参集殿のような舞台のような建物。この建物も古そうだ。社域の苔が良い感じ。
拝殿の正面にある参集殿のような舞台のような建物。この建物も古そうだ。社域の苔が良い感じ。
本殿前の苔をパチリ。古社の苔が大好きだ。
本殿前の苔をパチリ。古社の苔が大好きだ。
広場から二の鳥居を望む。
広場から二の鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、天日腹大科度美神・倉稻魂。
 また次の説もあるようだ。
  日臣大神『神社由來書』
朱鳥元年(686年)創建。
寛文年中(1661~1673年)牧野因幡守冨成公再建。
安政6年(1859年)造営。
明治6年(1873年)村社。
『女布史』によれば、「天武天皇ノ朝朱鳥元年(686年)、丹後國加佐郡二天之日原大科度美命ヲ祀ル」とあり、「又天平年中、僧行基金峰山二菩提寺ヲ建立シ山頂二素盞鳴命多紀理比売命大年命ヲ合祀シ牛頭天皇ト称へ奥院二天之御中主命ヲ祀り禰布ノ神ト云フ」とある。

とある。

「女布史」によると以下のデータが残る。

延長五年(927年)式内社として延喜神名帳に記載される。
寛文年中(1670年ころ)田辺藩主牧野因幡守富成公願主となり再建、あるいは延宝2年(1674)再建ともいう。
宝暦元年(1751年)氏神号を日原大明神と申す。
安政5年(1858年)本殿の上屋を新築する。
文久元年(1862年)仁和寺総法務宮より御染筆「日原宮」の御額面を御下賜される。
明治6年(1873年)当勝神社を境内に祭祀する。
明治13年(1880年)篭屋(舞堂)を新築する。
明治32年(1899年)石段を新築する。
明治34年(1901年)石灯篭笠石を今田青谷石と取り替える。
明治44年(1911年)本殿を後へ寄せ、敷地を前へ広げて拝殿を新築。
昭和6年(1931年)石鳥居を嵯峨根熊蔵が奉納。
昭和26年(1951年)本殿屋根を檜皮にて葺き替える。
昭和41年(1966年)小宮四社を一棟に建て替え祭祀する。
昭和43年(1968年)村尾安亮の奉納により本殿の屋根がトタン葺となる。
(境内社)
稲荷神社 大川神社 水無月神社 当勝神社
神社来歴書
一、日原神社  延喜式内(加佐郡十一社之一)
  鎮座 丹後国加佐郡高野村大字女布小字日原
  祭神 日臣大神
  社格 村社 氏子人数 三百余
  右社霊額文久元年4月仁和寺総法務宮御染筆 日原宮ノ御額面御下賜相成候処維新の際宮号ヲ取止ニ相成 神社号となる仍テ本額不用ト相成候
一、金峰神社
  鎮座 丹後国加佐郡高野村大字女布小字桂ケ谷
  祭神 素盞男命
  右社創立以来祀事天平年間行基菩薩牛頭天王ヲ勧請ス自来時の領主ヨリ天王領米下賜候処維新ニ付無額トナル信徒申合セ万人ノ講社尊崇シテ当社維持致居候
  右之通御座候
  京都府加佐郡高野村字女布
  日原神社氏子総代 兼 金峰神社信徒総代
  森脇治平 印
  明治21年2月

とある。

ご祭神は、天日腹大科度美神・倉稻魂 という説と 日臣大神という説の2つがあるようだ。
天日腹大科度美神(あめのひはらおほしなどみのかみ)は大国主神の子孫にあたり、古事記にしか登場しない。
一方の、日臣大神とは、大伴連の祖先、はじめは日臣命(ひのおみのみこと)、後に道臣命(みちのおみのみこと)と呼ばれた。
神武東征の際、大久米命(おおくめのみこと)とともに軍を指揮統帥した武神。

当地地名の女布の読み「にょう」は珍しい読みだと思う、普通なら女布を「めふ」と読んでしまうだろう。
その由来は不明だが「にゅう」が転訛したということも考えられるかもしれない(個人的見解です)。
日原神社の付近の尾根筋には愛宕神社や金峯神社もあり鉱物の匂いもする。
北東900メートルほどの場所には、日原神社の御旅所である下森神社が鎮座する。
下森神社附近は、弥生期の女布遺跡で弥生~平安にかけての集落遺跡である。

日原神社へのアプローチ集落の中の道は極狭小で曲がるにも難儀する。
集落の中心にちょっとした駐車スペースがあるのでそこに駐車するか、もしくは集落の外に駐車するかしなければならない。

小さな川の横に神社入口があり、一の鳥居は石造り、二の鳥居は木造の両部鳥居となっている。
短い石段を上がると広場があり正面にフルオープンの拝殿がある、この建物は舞殿なのかもしれない。
その奥に覆屋に入った本殿がある、建築年代は不明だ。
広場の手前には参集殿のような舞台のような建物がある。

社域はたいへんきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。

「にょう」という地に鎮座するのに鉱物と関係の無さそうな神社。

注意点

集落内と神社前は道が狭小、少し離れた場所に駐車し徒歩でアプローチが無難。

訪問ノート

訪問日 :2021/4/10
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM