272-040_(論)兵主神社(山東町柿坪)

比定社:(論)兵主神社(山東町柿坪)

式内社コード:272-040
神名帳社名:兵主神社、ヒヤウズノ
社格:小
所在地:669-5143 兵庫県朝来市山東町柿坪972
plus code:7VXQ+CC 朝来市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

柿坪集落の南東の外れの山裾に鎮座。
兵庫県道276号檜倉山東線より与布土川にかかる橋を渡り東に入り1kmほどの山裾にある。
集落の中を通り抜けることになるため少々分かりにくい、西向きの真新しい白い鳥居が目印。
駐車場は無いので注意。

ハイライト

集落との位置関係。

写真

兵主神社を正面より望む。鳥居等は新しい。扁額には式内・兵主神社とあるが社標には式内・兵主大明神とある。
兵主神社を正面より望む。鳥居等は新しい。扁額には式内・兵主神社とあるが社標には式内・兵主大明神とある。
右側(南)を望む。周囲は田畑。
右側(南)を望む。周囲は田畑。
正面(西)を望む。柿坪集落の南東の外れという立地。クルマは周辺の道路に駐車させていただいた。
正面(西)を望む。柿坪集落の南東の外れという立地。クルマは周辺の道路に駐車させていただいた。
右側(北)を望む。
右側(北)を望む。
石灯籠には兵主大明神とある。かつてはこう呼ばれていたのだろう。
石灯籠には兵主大明神とある。かつてはこう呼ばれていたのだろう。
真新しい社標。式内・兵主大明神とある。
真新しい社標。式内・兵主大明神とある。
鳥居をくぐると石段がある。
鳥居をくぐると石段がある。
社域は3段になっている。木々はそれほど大きくない。
社域は3段になっている。木々はそれほど大きくない。
最後の石段を登ると社殿がある。社殿は南を向いている。
最後の石段を登ると社殿がある。社殿は南を向いている。
石段を登ると社殿が2つ。左手には手水鉢。
石段を登ると社殿が2つ。左手には手水鉢。
社殿は右が覆屋に入った兵主神社の本殿。左のお社は不明。
社殿は右が覆屋に入った兵主神社の本殿。左のお社は不明。
覆屋の中の本殿を望む。扁額には兵主大明神とある。彫り物組物はほとんど無く作りは質素。
覆屋の中の本殿を望む。扁額には兵主大明神とある。彫り物組物はほとんど無く作りは質素。
左側のお社。詳細は不明。
左側のお社。詳細は不明。
手水鉢。
手水鉢。
左奥にお堂のような建物があるのが分かる。
左奥にお堂のような建物があるのが分かる。
お堂のような建物も詳細は不明。
お堂のような建物も詳細は不明。
お堂の先にも神社の入り口があり、その先にはお地蔵様が並んでいる。
お堂の先にも神社の入り口があり、その先にはお地蔵様が並んでいる。
石段より鳥居を望む。
石段より鳥居を望む。

感想

由緒書がないので詳細不明。

延喜式神名帳の山陰道・但馬国・朝来郡の兵主神社の論社2社のうちのひとつ。
資料が乏しく情報が全く無いというのが実情で次のような情報がある。
持統天皇四年(690年)創建の説がある。
寛永十年(1633年)創建の説もある。

社殿は南を向いているが鳥居は西向きとなっていて新しい。
周囲の道路状況により社域の変化がいろいろあったのだと想像できる。
また、社域の木々がそれほど大きくなく比較的新しい(江戸時代?)のではないかと思われる(個人的見解です)。

鳥居脇の石灯籠によると、かつては兵主大明神と呼ばれていたようだ。
社殿は大小2つある。
右側の覆屋は大きく中の本殿には兵主大明神と扁額がかかる。
彫り物組物はほとんど無く作りは質素だ。
左側には覆屋のないお社になっていて詳細は不明。
少し離れた場所にお堂のような建物があるがこちらも詳細不明。
裏手(北)側にも入り口があり、出たところにはお地蔵様が多数祀られている。

社域はきれいに掃除されており気持ち良く参拝できる。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日:2019/6/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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