313-030_庭田神社

比定社:庭田神社

式内社コード:313-030
神名帳社名 :庭田神社、ニハタノ
社    格:小
所 在 地 :671-4142 兵庫県宍粟市一宮町能倉1286
Plus Code  :4J75+95 宍粟市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「にわたじんじゃ」と読む、地名の一宮町能倉は「いちのみやちょうよくら」と読む。
能倉集落の中央部の染河内川沿いの平地に鎮座。
バイパス形式となった新しい兵庫県道8号加美宍粟線に「日本酒発祥の地 庭田神社」の案内看板が建っているのですぐに分かる。駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

伊和神社との距離感。
最初の日本酒が作られたぬくゐの泉。

写真

庭田神社を正面より望む。ありがたいことに鳥居前には大きな駐車場がある。
庭田神社を正面より望む。ありがたいことに鳥居前には大きな駐車場がある。
鳥居より山門を望む。
鳥居より山門を望む。
神社謹製の由緒記。大国主神が諸神々を招集えて酒を醸し山河の清庭の地を撰び慰労のため饗宴を為し給えりとある。
神社謹製の由緒記。大国主神が諸神々を招集えて酒を醸し山河の清庭の地を撰び慰労のため饗宴を為し給えりとある。
社標には式内村社とある。
社標には式内村社とある。
鳥居をくぐりしばらく進むと山門がある。山門の左側には舞台、正面に見えているのは拝殿。
鳥居をくぐりしばらく進むと山門がある。山門の左側には舞台、正面に見えているのは拝殿。
山門をくぐると舞台の右側より拝殿前の広場に入る形となる。
山門をくぐると舞台の右側より拝殿前の広場に入る形となる。
拝殿前より振り返って舞台を望む。舞台と拝殿の間には土俵、舞台に向かって右側には水路があり豊かな水量の水が流れているのが印象的。
拝殿前より振り返って舞台を望む。舞台と拝殿の間には土俵、舞台に向かって右側には水路があり豊かな水量の水が流れているのが印象的。
舞台の内部を望む。
舞台の内部を望む。
カッチリとした作りの拝殿を正面より望む。昭和49年(1974年)に手が入っている。拝殿に掲示されているのは当地域の日本酒を楽しむ会のイベントだったりする。
カッチリとした作りの拝殿を正面より望む。昭和49年(1974年)に手が入っている。拝殿に掲示されているのは当地域の日本酒を楽しむ会のイベントだったりする。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部を望む。キレイに保たれている。
拝殿内部を望む。キレイに保たれている。
拝殿後方の幣殿と本殿を左側より望む。本殿は明治4年(1871年)の建築、幣殿は昭和43年(1968年)に手が入っているので状態は良い。
拝殿後方の幣殿と本殿を左側より望む。本殿は明治4年(1871年)の建築、幣殿は昭和43年(1968年)に手が入っているので状態は良い。
本殿の千木鰹木のアップ。ご神紋は五三の桐と菊のようだ。
本殿の千木鰹木のアップ。ご神紋は五三の桐と菊のようだ。
本殿後方より一旦外に出ると「ぬくゐの泉」がある。『播磨国風土記』に大神の粮に糆が生えたので、酒を醸造し、神酒(みき)として大神に奉ったとある。考えてみれば今に生きる我々にも恩恵が続いていて素晴らしいことだと思う(日本酒おいしい)。
本殿後方より一旦外に出ると「ぬくゐの泉」がある。『播磨国風土記』に大神の粮に糆が生えたので、酒を醸造し、神酒(みき)として大神に奉ったとある。考えてみれば今に生きる我々にも恩恵が続いていて素晴らしいことだと思う(日本酒おいしい)。
「ぬくゐの泉」の記念碑と奥に「ぬくゐの泉」を望む。
「ぬくゐの泉」の記念碑と奥に「ぬくゐの泉」を望む。
「ぬくゐの泉」を正面より望む。
「ぬくゐの泉」を正面より望む。
「ぬくゐの泉」内の石標にはなにやら書いてあるが読み取れなかった。
「ぬくゐの泉」内の石標にはなにやら書いてあるが読み取れなかった。

感想


神社謹製の由緒記によると

 式内 庭田神社由緒記

一、鎮 座 地 一宮町能倉一二八六番地
一、創  立 第十三代成務天皇甲申二月十一日
一、祭  神 事代主命 末社 両大神宮社、稲荷社、荒神社、祇園社、蛭子社、五社五行神
一、境内面積 千三百七十九坪
一、伝  記

 古伝によると大国主命が天之日矛命と国土
経営を爭い給いし時伊和の地に於て最後の交
渉を終えられ大事業達成に力を合わせられた諸神
々を招集えて酒を醸し山河の清庭の地を撰び
慰労のため饗宴を為し給えり
 この地が即ち庭酒の里現在の庭田神社奉祀
の霊地なるにより社殿を造営その御霊を鎮
祭れリと云う然るに当社安永縁起に成務天皇
の御代に神託に依り新に神殿を建て広く尊崇
せらる延喜式の制小社に列し江戸時代寛文
十一年社殿改造、元禄十五年本殿屋根替、
享保八年本殿屋根替、元文三年拝殿屋根替
中略、明治四年本殿棟上再建、昭和四十三年
五月敞殿改築、昭和四十九年十月拝殿改築
現在に至る

一、霊  石 亀石 社殿右面にあり
一、霊  地 ぬくいの泉 社殿後方五十米

とある。


神社謹製のWebサイトによると

縁起

開  創 第十三代成務天皇 甲申二月十一日
祭  神 事代主命 両大神宮社 稲荷社 荒神社 祇園社 蛭子社 五社五行神
境内面積 千三百七十九坪

古伝によると大国主(おおくにぬし)命が天乃日槍(あめのひぼこ)命と国土経営を
争い給いし時 伊和の地に於いて最後の交渉を終わられ大事業達成に力を合わせられた
諸神々を招集えて酒を醸し山河の清庭の地を撰び慰労のため饗宴を為し給えり
この地がすなわち庭酒の里 現在の庭田神社 奉祀の霊地なるにより社殿を造営その
御霊を鎮祭れりと云う然るに当社 安永縁起に成務天皇の御代に神託に依り
新たに社殿を建て広く崇敬せらる延喜式の制小社に列す

寛文 十一年 社殿改造
元禄 十五年 本殿屋根替
享保  八年 本殿屋根替
元文  三年 拝殿屋根替
明治  四年 本殿棟上再建
昭和四十三年 敞殿改築
昭和四十九年 拝殿改築

とある。


神社謹製の「庭多神社(にわたじんじゃ)のぬくゐの泉と造酒」によると

 庭田神社は、平安時代の延長(えんちょう)五年(九二七)に成立した「延喜式(えんぎしき)」神名帳(じんみょうちょう)の宍粟郡七座(しちざ)のうちに数え
られる古社で、古代・中世には播磨国一宮伊和神社(はりまのくにいちのみやいわじんじゃ)と深いつながりがありました。現在、神社の背後に玉垣を
めぐらした清らかな湧き水「ぬくゐの泉」がありますが、かつて庭田神社の氏子には、宵宮祭(よいみやさい)の当日早朝に
家々で醸した白酒を神前に供え、五穀豊穣を祈る風習があったそうです。和銅(わどう)六年(七一三)五月に編纂の
命令が下り、平成二十七年(二〇一五頃)に編纂完了から一千三百年を迎える『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』には、
造酒に関わるおもしろい伝承が多く記載されています。

 なかでも、宍禾郡比治里庭音村(しそうのこおりひぢのさとにわとのむら)の条には、次のとおり記されていています。
  庭音村。[本の名は庭酒(にわき)なり。]大神(おおかみ)の御粮(みかれひ)枯れて糆生(かむた)ちき。即ち、酒を醸(か)ましめて庭酒(にわき)を
献りて宴(うたげ)しき。故(かれ)、庭酒の村と日(い)う。今の人、庭音村と云(い)う。(『播磨国風土記』山川出版社)

  [大神の粮(糒ほしいい)に糆(糀こうじ)が生えたので、酒を醸造し、神酒(みき)として大神に奉ったので、
  庭酒(にわき)の村といったが、今の人は庭音(にわと)の村という。(現代語訳)]

 また郡末(ぐんまつ)の伊和村条(いわのむらじょう)には、次のとおり記されています。
  伊和(いわ)村。[本の名は神酒(みき)なり。]大神(おおかみ、酒を此(こ)の村に醸(か)みたまひき。故(ゆえ)、神酒(みき)村と日(い)う。又、
  於和(おわ)村と云う。大神、国作訖(くにつくりお)へたまひて以後(のち)に云ひたまひしく、「おわ、我(あ)がみきに等し」と
  いひたまひき。(『播磨国風土記』山川出版社)

  [大神が酒をこの村で醸造したので神酒(みき)の村という。一説には於和(おわ)村というが、それは(伊和)
   大神が国づくりを終えられ、「(国づくりは)終わった。私の神酒と同じくらいよくできた」と
   おっしゃった(現代語訳)]

というようなお話です。
 これらの由緒をもって、平成二十五年に宍粟市(しそうし)は、日本酒による「乾杯」の習慣を広めることで市の歴史
と伝統・文化を後世に継承し、地域の振興及び発展に寄与していくことを目的として、「日本酒発祥の地
宍粟市日本酒文化の普及の促進に関する条例」を制定しました。
  平成二十六年三月

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、事代主命。

成務天皇の御代甲申(131年)2月11日神託で神祠を建立。
寛文11年(1671年)8月造営(修正)。
元禄15年(1702年)本殿屋根替(追加)。
享保8年(1723年)本殿屋根替(追加)。
元文3年(1738年)拝殿屋根替(追加)。
文久3年(1863年)11月焼失。
明治4年(1871年)本殿棟上再建(追加)。
明治7年(1874年)2月村社。
明治19年(1886年)10月伊和神社末社。
明治45年(1912年)3月27日神饌幣帛料供進神社指定。
昭和43年(1968年)敞殿改築(追加)。
昭和49年(1974年)拝殿改築(追加)。

成務天皇14年2月11日神託によって社殿を建てて祀られたという。
播磨風土記に大名持大神(大国主大神)が国土経営の大業をなされ伊和の地で最後の交渉を終えられた時、其の大挙に係わった諸神を招集して酒を醸し山河の清庭の地(当社所在地)を選びて慰労のため饗宴をなしたという。
また、もとは、庭酒神社と呼ばれており、庭というのは宮中を表す字で、庭の酒、宮中に納める酒の神社という意味であった。
播磨風土記には、庭田神社の裏にあるぬくい川に米を漬けていたところカビが生えておいしいお酒になったという記述がある。米で作った酒(日本酒)に関する日本でもっとも古い記述で、日本酒のルーツは庭田神社であるといわれている。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:事代主命(コトシロヌシノミコト)

祭記事:
1月 1日 元旦祭
1月10日 恵毘須祭
5月 3日 春祭、神祭
6月30日 大祓式
9月 1日 油万灯祭
10月18日 例祭
11月25日 新嘗祭
12月30日 大祓式

由 緒:
 古伝(播磨風土記)に大名持大神(大国主大神)が国土経営の大業をなされ伊和の地で最後の交渉を終えられた時、其の大挙に係はれる諸神を招集へて酒を醸し山河の清庭の地(当社所在地)を選びて慰労のため饗宴をなし給えりし霊跡なるにより、社殿を造り奉りて其の御魂を鎮祭れりと云う。
 又当社安永縁起に、人皇十三代成務天皇の御代甲申(131)2月11日は神託により神祠を建て崇敬せらる。
 後神功皇の時に殊に霊験有るをもって、本殿及諸殿を造営とあり、社殿の興廃は度重なるも明らかでないが、寛文11年(1663)8月本殿をはじめ修営なるも文久3年(1863)11月に焼失せしにより村民等議りて明治4年(1870)12月に社殿等再建さる。
 昭和43年(1968)4月幣殿改築、昭和49年(1974)10月18日御鎮座1800年祭執行記念事業として拝殿及末社等改築落成現在に至る。

とある。


庭田神社のある当地は、揖保川の上流部に当たる場所、古くから開かれた場所のようでおおいに興味深い地域でもある。
伊和神社のある一宮町須行名から東へ染河内川の谷筋を3.5kmほど遡った能倉集落中央部の染河内川沿いの平地に鎮座。
当地は北・東・南を1000m級の山々に囲まれ東へは坂の辻峠を越えると神河町、西は伊和神社のある須行名まで3.5kmほどという場所にある。
実際に訪問してみると豊かな水が印象的で水路が縦横無尽に走りきれいな水が流れている。
庭田神社については鉱物資源というよりもこのきれいな水が重要なのかもしれない。
宍粟市一宮町には次に上げるたくさんの遺跡等があるようだ。
高取城跡・・森ノ元遺跡・草置城跡・百千家満遺跡・家原遺跡・公文遺跡・森添遺跡・上町遺跡・宇奈手1号墳~14号墳・井田1号墳~4号墳・福野遺跡・河原田東遺跡・河原田千尾遺跡・河原田椿下遺跡・河原田平遺跡・御形城跡・樅木遺跡・溝谷遺跡・手洗淵遺跡・阿舎利遺跡・池垣内遺跡・深河谷遺跡・生栖遺跡・楽里遺跡・明泉山城跡・嵯峨山遺跡・安積1号墳~3号墳・古山城跡・安積山遺跡・三林遺跡・安積金山1号墳~7号墳・宮ノ下遺跡・中安積遺跡・安積館跡・安積条里遺跡・土居ノ元遺跡・閏賀銅鐸出土地・秋姫祠遺跡・閏賀遺跡A地点・閏賀遺跡B地点・岩ヶ口古墳・岩ヶ口遺跡・乗取遺跡・杉田遺跡・西安積遺跡・一つ山古墳・伊和遺跡・伊和中山1号墳~19号墳・安黒御山1号墳~16号墳・嶋田湯ノ郷山1号墳~13号墳・池岩1号墳~3号墳・嶋田湯ノ郷山14号墳~15号墳・瀧ノ内経塚・岡城跡・伊和厳島遺跡・白倉山磐座遺跡・宮山磐座遺跡・高畑山磐座遺跡・花咲磐座遺跡・阿舎利東遺跡・梨ノ木遺跡・富土野銅山遺跡・富土野遺跡・生栖城山城跡・滝ケ谷遺跡・横住銅鏡出土地・一つ山古1基・庭田神社のケヤキの大木1本安積のカヤの古木1本・池王神社のアカガシ林 等(兵庫県考古博物館資料による)。

庭田神社のご祭神は、事代主命。
当地にからむ事代主命についてのお話はよく分からないが、大国主神と関係が深いのは間違いなさそうだ。
なにより興味深いのは大国主神が当地の事業を終えた際に協力してくれた神々に対して饗宴を開き、その時のお神酒を担ったのが庭田神社のある当地であるというお話で庭音村(にわとのむら)・庭酒(にわき)の村との名前も見える。
いずれにしても日本酒発祥の地の候補のひとつとなっており酒造業者の尊崇も厚いようだ。

庭田神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
能倉集落内のバイパス形式となった新しい兵庫県道8号加美宍粟線に「日本酒発祥の地 庭田神社」の案内看板が建っているのですぐに分かる。
ありがたいことに大きな駐車場が完備されている。

庭田神社の社域は事代主命を祀る神社らしく南西を向いており、駐車場側に鳥居が建っており濃い社叢が印象的。
鳥居をくぐると社域内に水路が整備されていてびっくりするような水量で水が流れている。
流れを見ながら進むと山門と舞台がある。
山門をくぐると正面に拝殿、舞台の右後方より拝殿前の広場に入る形となる。
舞台前には盛り上がった土俵が設えてある。
カッチリした印象の拝殿は昭和49年(1974年)に手が入っており非常に状態が良い。
拝殿には日本酒関係の掲示があったり菰樽が奉納されていて日本酒発祥の地ということを感じ取れる。
拝殿の後方には幣殿、その後方に本殿がある。
本殿は明治4年(1871年)の建築、幣殿は昭和43年(1968年)に手が入っておりこちらも非常に状態は良い。
社域はきれいに清められ気持ちの良い状態を保っている。
本殿後方から一旦外に出ると「ぬくゐの泉」があり、ここが日本酒発祥のおおもとのようだ。
現在でもきれいに整備され大切にされているのがよく分かる。

神々が特別な時に飲むお神酒作りは神聖なものだったのだろう。
ひょとしたら地域のお神酒作りをこの地で一手に引き受けていたのかもしれない(個人的見解です)。

事代主命を祀る日本酒発祥の地とされる神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/5/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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