279-010_多他神社

比定社:多他神社

式内社コード:279-010
神名帳社名 :多他神社、タタノ
社    格:小
所 在 地 :667-1543 兵庫県美方郡香美町小代区忠宮136
Plus Code  :CGVM+79 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「ただじんじゃ」と読む、地名の忠宮は「ただのみや」と読む。
忠宮集落中央の東向きの山裾に鎮座。
国道482号線に面して鳥居が民家の間にあり比較的見つけやすい。
駐車場は無いので周辺道路に駐車するしかないが路肩が広くなっており邪魔にならないように駐車できる。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古代山陰道との関係。

写真

多他神社を正面より望む。民家と民家の間に石段と鳥居それに真新しい社標がある。
多他神社を正面より望む。民家と民家の間に石段と鳥居それに真新しい社標がある。
右側(北)を望む。前を走るのは国道482号線。神社前の路肩が広くなっており邪魔にならないように駐車させていただいた。
右側(北)を望む。前を走るのは国道482号線。神社前の路肩が広くなっており邪魔にならないように駐車させていただいた。
左側(南)を望む。真っ直ぐ進むと氷ノ山あたりの小代峠を経て鳥取県へ通じる。
左側(南)を望む。真っ直ぐ進むと氷ノ山あたりの小代峠を経て鳥取県へ通じる。
石段の上に真新しい社標、もう1段上に鳥居。
石段の上に真新しい社標、もう1段上に鳥居。
社標には式内社の表記はない。
社標には式内社の表記はない。
社標の側面には略記があり、延喜式内社であると記されている。
社標の側面には略記があり、延喜式内社であると記されている。
社標のところから鳥居を望む。
社標のところから鳥居を望む。
鳥居の左脇に手水舎。
鳥居の左脇に手水舎。
鳥居をくぐると広場がある。さらに1段石積みの上に社殿がある。
鳥居をくぐると広場がある。さらに1段石積みの上に社殿がある。
広場の右手には参集殿のような建物。
広場の右手には参集殿のような建物。
広場の左手には社務所。
広場の左手には社務所。
拝殿を正面より望む。立派な社殿。
拝殿を正面より望む。立派な社殿。
社殿を右側より望む。社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成されている。覆屋は下がフリーになっている形式。
社殿を右側より望む。社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成されている。覆屋は下がフリーになっている形式。
拝殿を左側より望む。拝殿の左手には神饌所がある。隣の住宅との境には垣とかは無い。
拝殿を左側より望む。拝殿の左手には神饌所がある。隣の住宅との境には垣とかは無い。
拝殿より本殿を望む。内部は整理整頓されてキレイ。拝殿は大正6年(1917年)の建築、本殿は万延元年(1860年)造営と記録が残る。
拝殿より本殿を望む。内部は整理整頓されてキレイ。拝殿は大正6年(1917年)の建築、本殿は万延元年(1860年)造営と記録が残る。
覆屋に入った本殿を右側より望む。かなり大きな覆屋。本殿の石積みはカッチリしたもの。
覆屋に入った本殿を右側より望む。かなり大きな覆屋。本殿の石積みはカッチリしたもの。
覆屋に入った本殿を左奥側より望む。本殿の後ろには石積みがあり、かつてはもっと奥に鎮座していたのではないだろうか。
覆屋に入った本殿を左奥側より望む。本殿の後ろには石積みがあり、かつてはもっと奥に鎮座していたのではないだろうか。
拝殿左手に大きな切り株。かつてはここに巨木があったようだ。
拝殿左手に大きな切り株。かつてはここに巨木があったようだ。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。
社務所の建物には地金神の石標がある。珍しい。
社務所の建物には地金神の石標がある。珍しい。
鳥居越しに正面を望む。社域は東を向いていて、前は矢田川の谷筋が左右に走る。河岸段丘になっているのが分かる。

感想


宮司謹製の「多他神社略記」によると

多他神社略記
祭神 素盞嗚尊 太田他根子命 埴安姫命
多他神社はもと三宝荒神と称し、小代庄一の宮で延喜式内神社である。「延喜式」神名帳巻十神祇神名の中に七美郡十座並小、多他神社と記載されている。
「延喜式は延喜五年(西暦九〇五年)編纂に着手されている」

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、素盞鳴命。

貞観元年(859年)9月の創立(追加)。
貞観3年(861年)創祀。
永正3年(1506年)山本新五郎房家神主として着任。
慶長3年(1598年)山本久兵衛房次が神主。
寛文3年(1663年)造営。
享保3年(1718年)藩主(山名大圓院)より米一石の寄進。
元文3年(1738年)造営。
万延元年(1860年)造営(修正)。
明治2年(1869年)神仏分離の際神霊を白川神祇伯により勧請。
明治3年(1870年)社名を多他神社と改称。
明治6年(1873年)村社。
大正6年(1917年)幣殿拝殿を新築(追加)。
大正7年(1918年)神饌幣帛料供進神社指定。
昭和17年(1942年)郷社。

江戸時代までは「三宝荒神」と呼ばれていた。

忠宮集落の南縁部に鎮座している。
道路を挟んで神社のすぐ下を北流する矢田川は、深い切れ込みを造り、所々に見事な河岸段丘を形成している。
神社創建以來、この地を遷つたという記録は無い。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:素盞鳴尊(スサノオノミコト)
配祀神:大田多根子命(オホタタネコノミコト)・埴安命(ハニヤスノミコト)

由緒:
 貞観元年(859)9月の創立と伝え、延喜式の制小社に列せらる。
 近世三宝荒神とも多他大明神とも忠宮とも称し小代庄一の宮と仰ぎたり。
 寛文3年(1663)本殿を建立し元文3年(1738)同殿を造立す。
 文化12年(1815)同殿を修覆し万延元年(1860)之を再興せり。
 明治2年(1869)神仏分離の際、山名藩政務局調査の上、神霊を白川神祇伯より勧請し同3年(1870)正月之を鎮斎して社名を多他神社と改めたり。
 同6年(1873)10月村社に列し大正6年(1917)幣殿拝殿を新築せり。

とある。


多他神社のある当地は矢田川流域にあたる。
矢田川は氷ノ山あたりを源とし北へ流れ日本海へ注ぐ直線で約32kmほどの流域を持つ。
矢田川流域には、日本海側河口(北)から法庭神社、椋橋神社・伊曽布神社と式内社が連なり、途中で古代山陰道の射添(いそう)の駅家を挟みさらに南へ多他神社・小代神社と連なっている。
氷ノ山あたりの鉱物資源を駅家や日本海側へ輸送するにあたって重要なルートに当たっていたのではないかと思われる(個人的見解です)。
多他神社から射添(いそう)の駅家へは北へ約6.7kmほどで矢田川と湯舟川の合流地点にあり、今でも「射添」の地名が残りこの辺りに射添(いそう)の駅家があったと推定されている。
さらにその北側5㎞には「279-040_伊曽布神社(いそうじんじゃ)」がある。
ちょうど射添(いそう)の駅家は北側に伊曽布神社、南側に多他神社に挟まれる形になっている。
古代においては矢田川と湯舟川の合流地点の射添(いそう)の駅家は、この辺りの重要な地点だったと思われる。
多他神社より東へ山を超えると村岡区、西は扇ノ山を超えると鳥取県という現代の感覚からすれば意外と便利な場所だったのかもしれない。
周囲には南川遺跡・城山城址がある(兵庫県考古博物館資料による)。

多他神社のご祭神は、素盞嗚尊・太田他根子命・埴安姫命。
多他神社の創建は貞観元年(859年)もしくは貞観3年(861年)のようだ。
多他神社へのアプローチはそれほど難しくない。
国道482号線に面して鳥居が民家の間にありすぐに分かる。
駐車場は無いので周辺道路に駐車するしかないが路肩が広くなっており邪魔にならないように駐車できる。
周囲は矢田川の河岸段丘上にあり東へ向かって谷へ傾斜した地形。

国道482号線から民家の間に石段、その上に鳥居が見え真新しい社標もある。
石段を登り鳥居をくぐると広場、さらに石積みの上に社殿がありいかにも古社という雰囲気を醸し出している。
広場の右手には参集殿のような建物、左手には社務所がある。
社域には巨木の切り株もありこの場所に古くより鎮座していたことが分かる。
社殿は大きく立派、記録によると拝殿は大正6年(1917年)の建築、本殿は万延元年(1860年)造営とある。
拝殿と覆屋が一体となった作りで拝殿からチラッと見える本殿も立派なもので状態は比較的良いように見える。
拝殿の左側には神饌所のような建物が付随している。
本殿の後ろ側にも石積みがあり摂社末社もある、かつてはもっと奥にあったのではないだろうか。
社域を囲む垣とか塀は全く無く周囲の住宅とは境界がなく地域に溶け込んでいる。
社域はきれいに整理・清掃され地域に大事にされている様子がよく分かり気持ちよく参拝できる。

ひょっとしたらこの辺りを古代山陰道が通っていたのかも知れない場所にある神社。

注意点

周辺道路に駐車する際には邪魔にならないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/8/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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