273-210_桐原神社

比定社:桐原神社

式内社コード:273-210
神名帳社名:桐原神社、キリハラノ
社格:小
所在地:669-5223 兵庫県朝来市和田山町室尾169-21
plus code:9V54+4J 朝来市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

室尾集落の北西の山裾に鎮座。
兵庫県道274号岡田林垣線より北に入り500メートルほど1本道。
道路左側に社標があり登っていく道があり獣よけフェンスが設置してある。
駐車場は無いので注意。

ハイライト

かつて法宝寺(室尾廃寺)と共に栄えた地域に鎮座。

写真

桐原神社の入り口を望む。社標には式内とある。
桐原神社の入り口を望む。社標には式内とある。
南側を望む。向こうにかつて江戸時代までの街道筋、和田山から出石へ抜けていたようだ。奥(左)には法宝寺(室尾廃寺)があった。
南側を望む。向こうにかつて江戸時代までの街道筋、和田山から出石へ抜けていたようだ。奥(左)には法宝寺(室尾廃寺)があった。
室尾集落が見えるが戸数は少ない。クルマはこのあたりに駐車させていただいた。
室尾集落が見えるが戸数は少ない。クルマはこのあたりに駐車させていただいた。
獣よけフェンスを開けて入る。開けたら必ず締めること。
獣よけフェンスを開けて入る。開けたら必ず締めること。
簡易舗装の参道が続く、結構な斜度がある。
簡易舗装の参道が続く、結構な斜度がある。
手水鉢。道端に打ち捨てられた感がある。
手水鉢。道端に打ち捨てられた感がある。
しばらく進むと覆屋に入った本殿の右後ろから社域に入るという形になる。
しばらく進むと覆屋に入った本殿の右後ろから社域に入るという形になる。
社域は広くはないが、平らに削った場所に良い感じで鎮座する。大正時代に作ったとは思えない。
社域は広くはないが、平らに削った場所に良い感じで鎮座する。大正時代に作ったとは思えない。
石段を登り鳥居を正面より望む。
石段を登り鳥居を正面より望む。
鳥居をくぐると正面に社殿。右側に摂社末社がある。参道はコンクリート製。
鳥居をくぐると正面に社殿。右側に摂社末社がある。参道はコンクリート製。
狛犬は大正時代に作られたものとは思えない。遷座の際に山の上から連れてきたのだろうか。
狛犬は大正時代に作られたものとは思えない。遷座の際に山の上から連れてきたのだろうか。
社殿を右側より望む。拝殿と覆屋が一体化した建物。
社殿を右側より望む。拝殿と覆屋が一体化した建物。
社殿を左側より望む。ちゃんと火災報知器がついている。
社殿を左側より望む。ちゃんと火災報知器がついている。
覆屋に入った本殿の左側より鳥居を望む。よく手入れされていて非常にきれい。
覆屋に入った本殿の左側より鳥居を望む。よく手入れされていて非常にきれい。
拝殿前より鳥居を望む。右側の石灯籠には大正二年八月とある(遷座時期と合わない)が誤差なのだろう。
拝殿前より鳥居を望む。右側の石灯籠には大正二年八月とある(遷座時期と合わない)が誤差なのだろう。
鳥居の前から歩いてきた参道を望む。
鳥居の前から歩いてきた参道を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

以下の記録が残る。
ご祭神は、経津主命。
大同3年(808年)男山石清社水八幡宮から勧請。
天延3年(975年)『但馬郷名記』に記載。
弘安年間(1278~1288年)八幡領室尾別宮として社領あり。
明治6年(1873年)村社。
大正3年(1914年)現在地に遷座、社殿新築。

元は、現在地の東4kmほどの場所にあったが、その後、岡田の八幡宮の地へ遷座。
江戸時代までは「八幡宮」と呼ばれていた。
とある。

現在、当地は行き止まりの谷筋となっていて、谷の奥には室尾野外活動センターがあるのみとなっている。
その奥には室尾山、その手前には男山と山が連なり、奈良時代より法宝寺(ほっぽうじ)が開かれた場所(現在の室尾野外活動センターのあたり)。
法宝寺は天平20年(748年)行基により創建された古刹である。
当地域は、中世には京都と出石間の街道として機能していたようだ。
また、戦国期には室尾城が築かれ、街道間をつなぐ間道の押さえとして機能していた。
竹田城への押さえという意味もあったようだ。

法宝寺(室尾廃寺)は、石清水八幡宮の室尾別宮として大いに興隆していたようだ(山の名前も男山だ)。
桐原神社は、この石清水八幡宮室尾別宮と関係が深いというか一体だったと思われる(個人的見解です)。
石清水八幡宮室尾別宮には、桐原神社とともに八幡神社もあったようだ。

明治6年(1873年)に室尾集落と岡田集落の間で権利争いが起き、桐原神社は室尾、八幡神社は岡田と決まったが室尾集落が維持できないため岡田に譲ったとある。
その後、桐原神社は大正3年(1914年)現在地に遷座、社殿新築。
八幡神社は大正4年(1915年)岡田に遷座。
法宝寺は、昭和9年(1934年)に大雪で庫裏が倒壊し岡田集落に移転し現在にいたる。

現在の状況からは、こうした姿はなかなか想像できない(こうしたところが面白い)。
社標が立っているところから簡易舗装の神社入口がある。
獣よけのフェンスがあるので開けたら必ず締めること。
参道を進んでいくと本殿の右後ろから入っていくことになり違和感がある。
本来は本殿や鳥居の正面に入り口があったのかもしれない。

社域は古木も多く古社の雰囲気があるが、コンクリートで固められた部分も多い。
社殿は覆屋と一体になった拝殿で構成されている。
残念ながら覆屋内の本殿は見ることができなかった。

なかなかに難解な経緯をたどっている神社。
かつての法宝寺(室尾廃寺)は興隆を極めていたようだが、江戸期に新たに街道が開発され中世までの交通の要衝という機能は衰え、それに伴い衰退していったようだ。
かつては、現代の感覚では想像できない世界が広がっていたようだ。
そんな思いを改めて感じた。

こうした歴史とともに残していきたい神社。

注意点

駐車場は無いので注意。
獣よけのフェンスは開けたら必ず締めること。

訪問ノート

訪問日:2020/6/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM