271-130_神谷神社(神谷太刀宮)

比定社:神谷神社(神谷太刀宮)

式内社コード:271-130
神名帳社名:神谷神社、カムタニノ
社格:小
所在地:629-3410 京都府京丹後市久美浜町小谷
plus code:JV3V+J2 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

久美浜駅の北西250メートルの集落の中の平地に鎮座。
参道は久美浜駅側の京都府道670号久美浜停車場線に入口があり参道が250メートルほど続く。
周辺は人家、西側の道路の向かい側に磐座がある。
駐車場は久美谷川を西側に渡り社殿の前にある。
車で訪問すると駅側に続く参道は見落としてしまいそう。

ハイライト

長い参道と社殿の位置関係。

写真

神谷神社(神谷太刀宮)の西側の入口の鳥居。奥に見えるのが久美浜駅より続く250メートルほどの未舗装の参道。この鳥居は鳥居には宝永年間とあり京都府登録文化財指定。ただし宝永年間とあるのはこちら側、通常は鳥居の後ろ側に年を入れると思う。社殿は鳥居の奥の左側にある。元は道路向かいの八幡宮の鳥居だったのではないだろうか。社標はこちら側に式内村社とある。
神谷神社(神谷太刀宮)の西側の入口の鳥居。奥に見えるのが久美浜駅より続く250メートルほどの未舗装の参道。この鳥居は鳥居には宝永年間とあり京都府登録文化財指定。ただし宝永年間とあるのはこちら側、通常は鳥居の後ろ側に年を入れると思う。社殿は鳥居の奥の左側にある。元は道路向かいの八幡宮の鳥居だったのではないだろうか。社標はこちら側に式内村社とある。
右側(南)を望む。周囲は人家でこちら側は豊岡方面。
右側(南)を望む。周囲は人家でこちら側は豊岡方面。
左側(北)を望む。こちら側は久美浜湾方面。鳥居の正面に八幡神社と磐座がある。
左側(北)を望む。こちら側は久美浜湾方面。鳥居の正面に八幡神社と磐座がある。
鳥居をくぐると右側に駐車場と建物は考古館で旧久美浜県庁舎玄関棟の建物の一部で京都府指定文化財。
鳥居をくぐると右側に駐車場と建物は考古館で旧久美浜県庁舎玄関棟の建物の一部で京都府指定文化財。
鳥居のすぐ右脇には手水舎。
鳥居のすぐ右脇には手水舎。
手水舎の隣には京丹後市教育委員会謹製の由緒書。式内社であること、ご祭神は丹波道主命であること、神谷神社本殿・神谷神社神門・八幡神社本殿・鳥居・参考館が京都府指定文化財、文化財環境保全地区であることが書いてある。
手水舎の隣には京丹後市教育委員会謹製の由緒書。式内社であること、ご祭神は丹波道主命であること、神谷神社本殿・神谷神社神門・八幡神社本殿・鳥居・参考館が京都府指定文化財、文化財環境保全地区であることが書いてある。
参考館の左には蔵。
参考館の左には蔵。
さらに左には参道からの入り口がある。
さらに左には参道からの入り口がある。
手水舎の前より左手の拝殿を望む。
手水舎の前より左手の拝殿を望む。
拝殿内部(神門)を望む。雪囲いで全面が覆われている。京都府指定文化財。
拝殿内部(神門)を望む。雪囲いで全面が覆われている。京都府指定文化財。
覆屋に入った本殿を右側より望む。
覆屋に入った本殿を右側より望む。
本殿を望む。豪華な彫り物組物が施されているのが分かる。天明元年(1781)の建築だが状態は非常に良い、京都府指定文化財。
本殿を望む。豪華な彫り物組物が施されているのが分かる。天明元年(1781)の建築だが状態は非常に良い、京都府指定文化財。

感想

京丹後市教育委員会謹製の由緒書によると

神谷神社(かみたにじんじゃ)
 神谷神社は、通称「神谷太刀宮(かみたにたちのみや)」「太刀宮(たちのみや)」と称し延喜式の神名帳に記される神社である。現在の本殿は天明元年(一七八一)に建てられた。桁行き 二間 入母屋造の桧皮葺の出雲地方に多い大社造の系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており「太刀宮造」と称され この地方では例のない神社建築である。神門も切妻造の四脚門で格天井を張るなど意匠に優れ、 境内社八幡神社本殿も 小規模なこけら葺、一間社流造で孔雀の彫刻を施すなど装飾豊かな建物である。
 祭神として 丹波道主命(たにわみちぬしのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、天神玉命(あまのかみたまのみこと)、天種子命あまのたねのみこと)を祀る。丹波道主命は 四道将軍として丹波に派遣されたと「日本書紀」に記される。神社では丹波道主命が 丹波平定の後、明神谷に出雲国より八千矛神、天神玉命、天種子命の三座の神々を迎え 出雲の人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まると伝えられる。
 丹波道主命は、丹波河上摩須郎女(たにはかわかみますのいらつめ)をめとり、五子を授かる。その娘の 日葉酢媛(ひばすひめ)は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は 旧郷社であり、社蔵文書によると文禄五年(一五九六)城主 松井康之から用地寄進を受けていることがわかる。
 鳥居は 石造明神鳥居で、宝永四年(一七〇七)に建てられたものである。八幡山の山麓に巨石を擁し、自然崇拝の「磐座」の様相を呈し、境内地一帯は、京都府文化財環境保全地区に指定されている。
 境内の参考館(考古館)は、旧久美浜県庁舎 玄関棟の建物の一部で、明治初期の武家屋敷の流れをひく役所建築として貴重である。
神谷神社本殿 京都府指定文化財 昭和六十年指定
神谷神社神門 京都府登録文化財 昭和六十年登録
八幡神社本殿 京都府登録文化財 昭和六十年登録
鳥居 京都府登録文化財 昭和六十年登録
参考館(旧久美浜県庁舎玄関の一部) 京都府指定文化財 昭和六十年指定
文化財環境保全地区 京都府指定文化財 昭和六十年指定
京丹後市教育委員会

とある

崇神天皇10年(BC88年、諸説あります)四道将軍のひとり丹波道主命により創建。
ご祭神は当初は八千矛神・天神玉命・天種子命で、後から丹波道主命が加わったと思われる。

丹波道主命をご祭神としてお祀りする神社は全国でもここだけということだ。
神谷神社は元々西へ1.5kmほどの久美浜町神谷小字明神谷に鎮座していたが、中世に兵火により社殿が破壊されたので小字小谷の太刀宮に合祀と言われている。
太刀宮についても、丹波道主命の国見の剣を国人が太刀宮に祀ったのが始まりと言われており、両社とも丹波道主命ち関わりがある。
いずれにしても熊野郡では丹波道主命の一族が創建に関わりがある式内社が多く、熊野郡を活動の中心に据えていたのではないだろうか。

現在の社域はちょっと違和感のある配置となっていて、久美浜駅方面より北西に250メートルほどの未舗装の参道が川をまたいで続いている。
この参道に対して90度の方向、南西に面して社殿が建てられている。
参道は元々突き当たりにある、八幡神社および磐座のものだったのではないだろうか(個人的見解です)。
そして当地に集まっている神谷神社・太刀宮・八幡神社・それに磐座は別々の成り立ちなのだろう。

社域はかなり広く、石垣で囲まれた社殿がある場所と、駐車場や参考館がある場所に分かれている。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成されていて天明元年(1781)の建築だが非常に状態は良い。
非常にきれいに保たれており気持ち良く参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/1/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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