262-010_船井神社

比定社:船井神社

式内社コード:262-010
神名帳社名 :船井神社、フナヰノ
社    格:小
所 在 地 :629-0101 京都府南丹市八木町船枝才ノ上49
Plus Code  :4G3C+WW 南丹市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

八木町の京都府道408号郷ノ口室河原線沿い旧南丹市立新庄小学校の横の平地に鎮座。
旧南丹市立新庄小学校を目指していけば分かりやすい。
周辺は田畑で平地となっている。
船井の名前は船居が転化したようで、大堰川の水運に関連していたようだ。
大堰川の川筋も現在とは異なる場所を流れていたのかもしれない。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

社域にたくさんの説明書きがあり非常に役に立つ。

写真

船井神社を正面から望む。周囲は田畑が多い。
船井神社を正面から望む。周囲は田畑が多い。
礼儀作法も含め神社の基本的なことを教えていただける注意書き。
礼儀作法も含め神社の基本的なことを教えていただける注意書き。
神社謹製の由緒書。神功皇后が住吉明神(舩井神社)を祀った、その後に藤原家保が南都より春日四座の神を勧請して合祀とある。
神社謹製の由緒書。神功皇后が住吉明神(舩井神社)を祀った、その後に藤原家保が南都より春日四座の神を勧請して合祀とある。
上の由緒書の通り住吉神が先だが、春日神が中心になってしまったのだろうか。
上の由緒書の通り住吉神が先だが、春日神が中心になってしまったのだろうか。
舞殿の奥の本殿を望む。現在の本殿は天保年間に再建されたものとある。
舞殿の奥の本殿を望む。現在の本殿は天保年間に再建されたものとある。
端正な印象を受ける本殿。彫り物や組物はあるがそれほど主張していない感じ。
端正な印象を受ける本殿。彫り物や組物はあるがそれほど主張していない感じ。
本殿より舞殿を望む。舞殿は一番シンプルな形をしている。
本殿より舞殿を望む。舞殿は一番シンプルな形をしている。
気になったのが舞殿に飾られていた昔の写真。これは船井神社だと思うのだが規模がすごく大きい。詳細が知りたいものだ。
気になったのが舞殿に飾られていた昔の写真。これは船井神社だと思うのだが規模がすごく大きい。詳細が知りたいものだ。
社務所前のセルフサービスコーナー。授与品は自分で取り出して浄財として収めるというシステムになっている。
社務所前のセルフサービスコーナー。授与品は自分で取り出して浄財として収めるというシステムになっている。
神社から退出する時は感謝の拝礼を。
神社から退出する時は感謝の拝礼を。
船井神社のすぐとなりにある腕守神社(かいなもりしゃ)。前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任(あべのさだとう)の腕を祀っている。
船井神社のすぐとなりにある腕守神社(かいなもりしゃ)。前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任(あべのさだとう)の腕を祀っている。

感想

神社謹製の由緒書によると

船井神社について

祭神 住吉神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
   春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
神徳 航海安全、陸上交通・航空安全、旅行安全、
   五穀豊穣、殖産興業、学業成就、試験合格、
   芸能上達、武道・競技・政治必勝成就、出世開運招福、
   厄除け、災難除け、縁結び、安産、夫婦和合、延命長寿、
   諸願成就
例祭 十月二十一日(近くの日曜日)
式内社(延喜式神名帳-九二七年-に記載されている神社)、郷社
 創建は「神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に守護を祈られたところ、住吉明神が現れて御船を守護し、海路つつがなく航海できたうえ、三韓征伐も成功したので、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神(船井神社)を祀った。」(「和名抄」)とある。
 ここより西北五百米の地、大堰川二十町堰近くに「オコノモリ」と称える塚がある。「瀛居の社」「太古の森」とも書く。ここは曾て大樹が繁り、船井神社前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。
 船井神社の名称は、大堰川を下る船の停泊地「船居」に由来する。
 大堰川の清流近く舟運の守り神として祀られるとともに、
船枝村、清谷村、室橋村、美津村、畑中村、諸木村、野条村の産土神でもあった。
 大堰川の氾濫により、天武天皇の御宇、慶雲二年(七〇五)に此の地に遷宮と伝える。
 その後、崇徳天皇の御宇、保安元年(一一二〇年)丹波国司三条宰相藤原家保卿、南都より春日四座の神を勧請してこの社に合祀される。
 現本殿は天保六年(一八三五年)に再建されたものである。
 平成十七年(二〇〇五年)、遷座千三百年祭を斎行する。
 境内の大杉や大榧、大公孫樹に悠久の時の流れを、立派な本殿や拝殿に奉納されている左甚五郎作の金網に覆われた絵馬をはじめ多くの絵馬等に古来新庄の郷の産土神として敬神崇祖のあつい思いの歴史を感じさせられる。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
慶雲2年(705年)現在地(鹿野森(かやもり))に移された。
保安元年(1120年)丹波国司三条宰相藤原家保卿が春日四座の神を勧請(追加)。
元禄12年(1699年)社域の北に安城寺が建立されて別当となる。
延享元年(1744年)社僧と神官との訴訟事件が発生。
宝暦13年(1763年)大風で社殿にも被害。
明和9年(1772年)造営。
天保3年(1832年)焼失
天保6年(1835年)に再建(追加)。
明治6年(1873年)郷社。
明治10年(1877年)延喜式内社に認定。
平成17年(2005年)遷座千三百年祭を斎行(追加)。
江戸時代までは「かやもり明神」「春日大明神」と呼ばれていた。

船井神社は神功皇后が住吉神をお祀りすることから始まっている。
丹波国では神功皇后が創建に関係した式内社は船井神社だけかもしれない。
それだけ大堰川はこの地域にとって重要な川だったということが分かる。
またそれは裏返せば暴れ川としての大堰川という側面もあったということだ。

平安京へ遷都されてからは木材の水運に関係していたのではないかと思う(個人的見解です)。
水運といえば船木だったり今回の船井(船居)だったり地名に残る場合が多い。
やはり地名は重要で、漢字よりも読みが重要だと思う。

社域は非常にきれいに保たれている。
解説が多く設置してあり参拝者にとっては非常に役に立つ。

社殿は舞殿と本殿のシンプルな構成だが、本殿は天保年間に再建されたものとあるがなかなか豪華で彫り物組物も多く施されている。
当社の横に腕守神社(かいなもりしゃ)があり、ここには前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任(あべのさだとう)の腕を祀っている。
この地域には安倍貞任の伝説が多く興味深い。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日:2018/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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