271-100_売布神社(美浜町女布)

比定社:売布神社(美浜町女布)

式内社コード:271-100
神名帳社名:売布神社、ヒメフノ
社格:小
所在地:629-3552 京都府京丹後市久美浜町女布724
plus code:HXX5+GM 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

神社名は「ひめふじんじゃ」、地名の女布は「にょう」と読む。
女布集落の東の端の山裾に鎮座。
東側の山は女布権現山という。
京都府道668号野中小天橋停車場線に社標と石灯籠があり東へ300メートルほど。
集落の中は道が狭いので注意が必要。
神社横に駐車場がある。

ハイライト

伝説の船石。

写真

京都府道668号野中小天橋停車場線に社標と石灯籠があるので分かりやすい。
京都府道668号野中小天橋停車場線に社標と石灯籠があるので分かりやすい。
京都府道668号野中小天橋停車場線を東へ曲がり集落の中を300メートルほどで売布神社に到達する。
京都府道668号野中小天橋停車場線を東へ曲がり集落の中を300メートルほどで売布神社に到達する。
売布神社を正面より望む。
売布神社を正面より望む。
右側(西)を望む。こちらは京都府道668号野中小天橋停車場線の方向。左手に駐車場がある。
右側(西)を望む。こちらは京都府道668号野中小天橋停車場線の方向。左手に駐車場がある。
正面を望む。正面は人家。
正面を望む。正面は人家。
左側(東)を望む。狭くなっているが道は続いている。
左側(東)を望む。狭くなっているが道は続いている。
京丹後市教育委員会謹製の由緒書。ご祭神は豊受姫命・大屋媛命・狐津媛命、創建は垂仁天皇のときの川上摩須の勧請とある。
京丹後市教育委員会謹製の由緒書。ご祭神は豊受姫命・大屋媛命・狐津媛命、創建は垂仁天皇のときの川上摩須の勧請とある。
手水舎。右にちょこっと見えているのが伝説の「船石」と思われる。
手水舎。右にちょこっと見えているのが伝説の「船石」と思われる。
鳥居をくぐり拝殿を正面より望む。拝殿の屋根には五三の桐の紋が付いている。
鳥居をくぐり拝殿を正面より望む。拝殿の屋根には五三の桐の紋が付いている。
拝殿前の広場の右手には公民館。
拝殿前の広場の右手には公民館。
拝殿前の広場の左手には考古殿。
拝殿前の広場の左手には考古殿。
考古殿の中にはなにやら祭事に使用するものとかがある。
考古殿の中にはなにやら祭事に使用するものとかがある。
拝殿を正面より望む。白く見えているのは鉄骨の補強。
拝殿を正面より望む。白く見えているのは鉄骨の補強。
拝殿には1年分の当番が記入してある。氏子である地域の方々の力により維持されているのが分かる。
拝殿には1年分の当番が記入してある。氏子である地域の方々の力により維持されているのが分かる。
拝殿を左側より望む。鉄骨で補強されている様子が分かる。
拝殿を左側より望む。鉄骨で補強されている様子が分かる。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を望む。
本殿の右側には摂社末社。杉の大木が素晴らしい。
本殿の右側には摂社末社。杉の大木が素晴らしい。
覆屋に入った本殿を望む。覆屋はスリットになっていて珍しい形状。
覆屋に入った本殿を望む。覆屋はスリットになっていて珍しい形状。
覆屋内部の本殿を望む。扁額には売布神社とある。彫り物組物はほとんど施されておらずシンプル。明和6年(1769)の造営とあるが状態は良い。
覆屋内部の本殿を望む。扁額には売布神社とある。彫り物組物はほとんど施されておらずシンプル。明和6年(1769)の造営とあるが状態は良い。
本殿の後ろには古木があり迫力がある。
本殿の後ろには古木があり迫力がある。
本殿左側より拝殿を望む。
本殿左側より拝殿を望む。
拝殿左側より鳥居を望む。
拝殿左側より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。

感想

京丹後市教育委員会謹製の由緒書によると

式内村社 売布神社
祭神 豊受姫命(とようけひめのみこと) 大屋媛命(おおやひめのみこと) 狐津媛命(こずのひめのみこと)
由緒 当社の創立は丹後一覧記によると垂仁天皇(十一代)代川上麻須の勧請に係るものと云う。
伝承に依れば久美浜町谷の足洗井戸があり祭神が始めて留りし地であり野中、安養寺を経て船にて女布に着き小字舟處に上陸されたという。この附近に幟立(のぼり)の小字があり道路そばに船石がある舟を埋めたという。
延宝三年(一六七六)女布明細帳によれば通称長船大明神と言えりとあり南方一七〇米の地には布杜神社があり売布神社を大宮、布杜神社を小宮とよんでいる。
明治五年四月氏子調査に依れば九ヶ村あつたがその後七村となり女布、丸山、郷、野中、安養寺、円頓寺、谷の七村を云う。
元祭は旧九月二日牛の日である。
文化十年(一八一三)久美浜代官塩谷大四郎正義氏の奉納刀がある。
昭和五十九年三月
京丹後市教育委員会

とある
※備考:垂仁天皇の時代、BC29年~70年、諸説あります

当社も垂仁天皇のときの川上摩須の勧請である、数多くの神社を勧請し大活躍である。
元々は現在地より西南になる「谷」という所の山中、足洗井戸に鎮座あったとする説があるようだ。
また、南に200メートルほどの場所に、当社の元宮とも考えられている布杜神社がある。

記録によると社殿は、宝永4年(1707)再建、明和6年(1769)造営とある。
江戸時代は「姫布大明神」と呼ばれていた。

京都府道668号野中小天橋停車場線の社標から300メートルほど、女布(にょう)の集落の中を進んでいくと道路に対して斜めに参道がある。
社域は広くはないが良く手入れされている様子が見て取れ、献燈当番表が掲示してあり地域と密接だということがよく分かる。
古木もあり重厚な社叢となっていて気持ち良く参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2021/5/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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