271-110_衆良神社

比定社:衆良神社

式内社コード:271-110
神名帳社名:衆良神社、モロヨシノ/オホヨシ
社格:小
所在地:629-3579 京都府京丹後市久美浜町須田132
plus code:HW7G+V8 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

兵庫県道・京都府道706号町分久美浜線沿いの須田集落の西の山の中腹に鎮座。
須田集落より西は伯耆谷川沿い(伯耆谷、「王家の谷」とも呼ばれる)に道があるが、現在は行き止まりとなっていて湯舟坂古墳群や須田平野古墳(国指定の重要文化財の出土品がある)がある。
伯耆谷は川上摩須の館のあった場所とされていて非常に重要な場所だ。
現在の神社へのアプローチは須田集落より鳥居をくぐり未舗装の畦道のような参道(150メートルほど)でアプローチ。
この参道は未舗装で幅も狭いためクルマで入らないほうが良い。
須田集落の鳥居前に駐車スペースがある。

ハイライト

こんな場所に「王家の谷」があるなんてと思うところ。

写真

衆良神社の入り口を望む。この道は須田の集落を東西に走る道のうち南側の道路で西側を見たところ。
衆良神社の入り口を望む。この道は須田の集落を東西に走る道のうち南側の道路で西側を見たところ。
神社入り口より北側を望む。須田集落の南の端にあたる場所。
神社入り口より北側を望む。須田集落の南の端にあたる場所。
神社入り口より東側を望む。
神社入り口より東側を望む。
神社入口の前に駐車スペースがあるのでココに駐車させていただいた。
神社入口の前に駐車スペースがあるのでココに駐車させていただいた。
一の鳥居の手前にある社標には式内・衆良神社とある。
一の鳥居の手前にある社標には式内・衆良神社とある。
参道はほぼ未舗装で左に曲がりながら続いている。
参道はほぼ未舗装で左に曲がりながら続いている。
一の鳥居をくぐり進んでいくと、ほぼ畦道のような雰囲気になる。狭くて未舗装、クルマで入らないほうが良い。
一の鳥居をくぐり進んでいくと、ほぼ畦道のような雰囲気になる。狭くて未舗装、クルマで入らないほうが良い。
参道をしばらく行くと左手に二の鳥居が見えてくる。奥に社殿も見える。
参道をしばらく行くと左手に二の鳥居が見えてくる。奥に社殿も見える。
鳥居前より右側(西)を望む。この道は行き止まりになっていて先には進めない。
鳥居前より右側(西)を望む。この道は行き止まりになっていて先には進めない。
鳥居前より左側(東)を望む。来た方向を振り返った形。神社前は舗装されている。
鳥居前より左側(東)を望む。来た方向を振り返った形。神社前は舗装されている。
二の鳥居をくぐると右手に休憩所のような建物、左手に手水舎。
二の鳥居をくぐると右手に休憩所のような建物、左手に手水舎。
手水舎。
手水舎。
拝殿を手水舎の前より望む。社域は3段に構成され石垣が組んである。社殿自体は北西を向いている。
拝殿を手水舎の前より望む。社域は3段に構成され石垣が組んである。社殿自体は北西を向いている。
拝殿を正面より望む。拝殿は完全にオープンな形状、寒い地方にしては珍しい。拝殿の屋根瓦には龍胆のご神紋が付く。
拝殿を正面より望む。拝殿は完全にオープンな形状、寒い地方にしては珍しい。拝殿の屋根瓦には龍胆のご神紋が付く。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部を正面より望む。拝殿は完全にオープンな形式で寒い地方には珍しい。扁額の文字は達筆すぎて読み取れない…。本殿の扉は固く閉ざされていて見ることができないのが残念。
拝殿内部を正面より望む。拝殿は完全にオープンな形式で寒い地方には珍しい。扁額の文字は達筆すぎて読み取れない…。本殿の扉は固く閉ざされていて見ることができないのが残念。
覆屋に入った本殿を右側より望む。明治18年(1885)に八坂神社を末社として、別に社殿を造営したとあるので比較的新しい。
覆屋に入った本殿を右側より望む。明治18年(1885)に八坂神社を末社として、別に社殿を造営したとあるので比較的新しい。
本殿の左側より拝殿を望む。
本殿の左側より拝殿を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。きれいに草が刈られていて手入れが行き届いているのが分かる。
拝殿より二の鳥居を望む。きれいに草が刈られていて手入れが行き届いているのが分かる。
休憩所のような建物前より二の鳥居を望む。かつてはこの鳥居の向こうに真っ直ぐ参道が延びていたのだろうか。
休憩所のような建物前より二の鳥居を望む。かつてはこの鳥居の向こうに真っ直ぐ参道が延びていたのだろうか。
二の鳥居を出て参道を一の鳥居へ戻る途中。左側には1段下に田畑が広がる。
二の鳥居を出て参道を一の鳥居へ戻る途中。左側には1段下に田畑が広がる。
二の鳥居を望む。
二の鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

ご祭神は、川上摩須。
垂仁天皇の時に勧請。
※備考:垂仁天皇の時代、BC29年~70年、諸説あります
文化元年(1804)造営とある。
江戸時代までは「牛頭天王社」と呼ばれていた。
明治18年(1885)に八坂神社を末社として、別に社殿を造営したとある。

川上摩須は熊野郡で数多くの神社を勧請しているが、ついに川上摩須自身をご祭神とした神社である。
当地、須田の伯耆谷は川上摩須邸のあった場所とされている。
川上摩須は、丹波の国王である丹波道主命の妻で、景行天皇の祖母、日本武尊の高祖母(祖父母の祖母)にあたる。
上記の通り、当地は古代丹後では非常に重要な地域ではあるが、現在の姿からは想像もできないところが非常に興味深い。
伯耆谷(「王家の谷」)沿いの道はかつては豊岡方面への街道だったようだ。
京都府道・兵庫県道703号永留豊岡線の「いざみ峠」を越えた豊岡側へ抜けていたと思われる。

古代丹後において非常に強力な一族が当地に本拠地を置いていた。
現代的な感覚から言うと非常に交通不便で、どちらかというと僻地的な場所ではある。
だが古代丹後では川上谷川流域の川上谷は水が入っていたと思われ水運が便利だったのだろうと想像する。
また、「王家の谷」と呼ばれる通り古墳が多数存在しているところを見ると、このあたりで鉱物資源が採れていたのかもしれない。
さらに、山を挟んで西側には豊岡、南西には出石という立地も見逃せないポイントだと思う。

神社へのアプローチは須田の集落に鳥居がある。
この鳥居は神社の北側に位置していて鳥居前にクルマを置いて徒歩で150メートルほどの参道を山に分け入る感じとなる。
この参道は小さな車なら入れると思うが、未舗装で非常に狭いのでクルマで入らないほうが良いだろう。
路面状況は畦道のようになっており、雨が降るとぬかるみとなる。
この参道は神社の正面には位置しておらず、後世に取り付けられたように思える。

非常に見つけにくく行きにくい神社ではあるが、社域は綺麗に手入れされているのが印象的で雰囲気がすごく良い、気持ち良く参拝できる。
社域は小さいが古木が多く古社の雰囲気がよく出ている。

明治18年(1885)造営とされている社殿は小さいが風雪に晒されて色は褪せているが比較的状態は良いようだ。
残念ながら厳重な覆屋に入った本殿は見ることができない。

「王家の谷」を全面に打ち出して地域や神社を盛り上げるのも良いのではないかと思った。

注意点

参道は狭く未舗装なのでクルマでは入らないほうが良い。

訪問ノート

訪問日:2021/5/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM