270-150_橘枳神社

比定社:橘枳神社

式内社コード:270-150
神名帳社名:発枳神社、カラタチ/ハチキ
社格:小
所在地:627-0001 京都府京丹後市峰山町橋木374
plus code:M347+7M 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

かたらちじんじゃと読む。
橋木集落の西の山の中腹に鎮座。
京都府道663号掛津峰山線を西へ入り100メートルほどアプローチを登る。
道路の突き当りに鳥居が見えてくる。
クルマは周辺に駐車可能。

ハイライト

素晴らしい社叢。

写真

橘枳神社を正面より望む。新緑がきれい。
橘枳神社を正面より望む。新緑がきれい。
正面(東)を望む。道は1本道で行き止まりになっている。橋木の集落が見える。
正面(東)を望む。道は1本道で行き止まりになっている。橋木の集落が見える。
一の鳥居には、「木偏に発」枳神社とある(漢字出ない)。
一の鳥居には、「木偏に発」枳神社とある(漢字出ない)。
一の鳥居をくぐると新緑が素晴らしい。二の鳥居は両部鳥居。
一の鳥居をくぐると新緑が素晴らしい。二の鳥居は両部鳥居。
二の鳥居の左右には杉の巨木がある。素晴らしい社叢だ。
二の鳥居の左右には杉の巨木がある。素晴らしい社叢だ。
二の鳥居は両部鳥居。石段を上がると拝殿がある。
二の鳥居は両部鳥居。石段を上がると拝殿がある。
拝殿を正面より望む。社殿は昭和2年(1927年)の北丹後地震で被害を受けて再建されたもののようだ。
拝殿を正面より望む。社殿は昭和2年(1927年)の北丹後地震で被害を受けて再建されたもののようだ。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。
拝殿内部を望む。きれいに保たれている。
拝殿内部を望む。きれいに保たれている。
本殿の左側にはさらに山の上に登る石段がある。
本殿の左側にはさらに山の上に登る石段がある。
石段を登ると社殿が見えてくる。
石段を登ると社殿が見えてくる。
石段を登りきると平らな広場になっていて覆屋がある。
石段を登りきると平らな広場になっていて覆屋がある。
覆屋の中には何もない…。
覆屋の中には何もない…。
上から本殿を望む。
上から本殿を望む。
拝殿前より二の鳥居を望む。石段は新しい。
拝殿前より二の鳥居を望む。石段は新しい。
参道より一の鳥居を望む。行き止まりなのでクルマはそのあたりに駐車できる。
参道より一の鳥居を望む。行き止まりなのでクルマはそのあたりに駐車できる。

感想

由緒書は無いので詳細は不明。

ご祭神は、樋速日命(ひはやひのみこと)。
次のような事が伝わっている。
垂仁天皇の時代、新羅の皇子である天日槍命(あめのひぼこのみこと)が九つの宝をもつて竹野郡鹽干濱に着いた。
その九つの宝の中に橘(キッ=たちばな)の木があった。
姫宮大明神(橋木)の御神託によって、その橘の中の一本を譲り受け今の社地に植えたから、韓国から渡来した橘というので、カラタチと呼んで神社名とした。

ちなみに「269-070_矢田神社」(峰山町矢田)は江戸時代まで姫宮大明神と呼ばれていた、直線で1.7kmほどの距離である。
これは関係がないのだろうか不明だ。

延喜式神名帳では「発枳神社」と表記され、よみは「カラタチ」あるいは「ハチキ」とある。
鎮座地の橋木は「ハチキ」がいつの間にか転化したのではないだろうか。

鳥居の扁額には、「木偏に発」枳神社とある。
延喜式神名帳の表記では発枳神社なのだが、本当は発に木偏が付くのかもしれない。
資料が少なく謎の多い神社となっている。

社殿は昭和2年(1927年)の北丹後地震で被害を受けて再建されたもののようだ。
本殿は覆屋に入っており全く見ることができない、残念。
本殿左手よりさらに上へ登る階段があり現在は覆屋だけが残っている。

5月に訪ねたが、巨木も多く新緑の社叢が素晴らしい。
社域はきれいに保たれていて気持ち良く参拝できる。
長く残してほしい神社だ。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから