043-070_阿為神社、043-110_幣久良神社

比定社:阿為神社

式内社コード:043-070
神名帳社名:阿為神社、アヰノ
社格:小

式内社コード:043-110
神名帳社名:幣久良神社、ミテクラノ
社格:小
※阿為神社に合祀

所在地:567-0001 大阪府茨木市安威3丁目17-12
plus code:VH37+P6 茨木市、大阪府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

あいじんじゃと読む。
名神高速道路の北側、安威川の西岸の山の中腹に鎮座。
大阪府道・京都府道46号茨木亀岡線より西へ都市計画道路山麓線に入り坂を登った最初の交差点を北に入る。
大念寺の前に東向きに鳥居がある、本来の入り口は南側。
南へ1.5kmほどの場所に御旅所がある。
すぐ北側には安威古墳群がある。
駐車場は無いので注意。

ハイライト

非常にきれいに保たれた社域。

写真

阿為神社の東側入口を望む。大念寺の門前。
阿為神社の東側入口を望む。大念寺の門前。
右側(北)を望む。大念寺の山門がある、こちらのお寺も藤原鎌足の創建らしい。
右側(北)を望む。大念寺の山門がある、こちらのお寺も藤原鎌足の創建らしい。
正面(東)を望む。
正面(東)を望む。
左側(南)を望む。周辺は住宅と山林。
左側(南)を望む。周辺は住宅と山林。
東側の鳥居をくぐると道が分岐する。右へ行くと境内へ横から入る。左へ行くと南側の鳥居と社務所がある。
東側の鳥居をくぐると道が分岐する。右へ行くと境内へ横から入る。左へ行くと南側の鳥居と社務所がある。
社標には式内郷社とある。
社標には式内郷社とある。
南側鳥居を望む。鳥居の右側奥には社務所がある。
南側鳥居を望む。鳥居の右側奥には社務所がある。
右側(東)を望む。この方向は東の鳥居へ続く道。
右側(東)を望む。この方向は東の鳥居へ続く道。
正面(南)を望む。
正面(南)を望む。
左側(西)を望む。
左側(西)を望む。
南側鳥居をくぐり石段を登ると拝殿前の広場に出る。
南側鳥居をくぐり石段を登ると拝殿前の広場に出る。
広場の右側には手水舎と神輿庫、その奥に稲荷神社がある。
広場の右側には手水舎と神輿庫、その奥に稲荷神社がある。
広場の西側には摂社末社がある。
広場の西側には摂社末社がある。
手水舎。
手水舎。
境内図。
境内図。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿を右側より望む。奥に本殿がチラッと見える。
拝殿を右側より望む。拝殿を右側より望む。奥に本殿がチラッと見える。
拝殿の屋根には上り藤のご神紋が付く。平成17年(2005)に新築とあるので新しい。
拝殿の屋根には上り藤のご神紋が付く。平成17年(2005)に新築とあるので新しい。
拝殿の内部。
拝殿の内部。
拝殿の右側より本殿を望む。全く見えないのが残念。
拝殿の右側より本殿を望む。全く見えないのが残念。
広場の右奥の稲荷神社への参道。
広場の右奥の稲荷神社への参道。
広場より南側鳥居を望む。
広場より南側鳥居を望む。

感想

由緒書がないので詳細は不明。

当地域は古くから開けた地域で継体天皇の三嶋藍野陵が有名だ。
神社のすぐ北側には安威古墳群がある。
また東北1kmほどに阿武山古墳があり被葬者は藤原鎌足ではないかと言われている。
地名の安威(あい)は藍が転じたものと伝えられ、地域的に藍とは深い関係があるようだ。

ご祭神は、藤原鎌足の祖先神である天兒屋根命(あめのこやねのみこと)。
創建は藤原鎌足の勧請と伝えられ、隣の大念寺とともに藤原鎌足が創建に深く関わっている。
元の鎮座地は現在の御旅所と伝わっており、現在地より南へ1.5kmの西国街道沿いにあり現在でも鳥居や社殿がある。
現在地への遷座時期は不明。
江戸時代までは苗森明神と呼ばれていた。
明治41年には耳原字百舌鳥野に鎮座していた式内社 幣久良神社(みてくらじんじゃ、稲荷天明神とも)を合祀した。

阿為神社の入り口は東側、大念寺の門前に東を向いて鳥居があり、鳥居の左側を進むと南の鳥居前に出る。
神社自体は南を向いている。
社域は広くはないが後方には安威古墳群があり社叢が豊かだ。

社殿は平成17年(2005)に本殿を新築とあるので新しい。
拝殿は見ることができるが本殿は垣と覆屋で残念ながら見ることはできない。
社域は非常にきれいに保たれており気持ち良く参拝できる。

注意点

駐車場がないので注意。

訪問ノート

訪問日:2021/12/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM