269-030_波彌神社

比定社:波彌神社

式内社コード:269-030
神名帳社名:波弥神社、ハミノ
社格:小
所在地:627-0004 京都府京丹後市峰山町荒山井行内554-1
plus code:J3CQ+44 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

はみじんじゃと読む。
荒山集落の東の端の山裾に鎮座。
400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標があるので比較的分かりやすい。
集落の中の道を突き当りまで行くと一の鳥居がある。
一の鳥居は西へむいており、そこから左へ直角に曲がると二ノ鳥居、こちらは南面している。
社殿そのものは南を向いている。
クルマは一の鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。

ハイライト

集落の中を通る参道と神社の位置関係。

写真

波彌神社の一の鳥居を望む。一の鳥居は西向き、正面に社務所のような建物がある。クルマは鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。
波彌神社の一の鳥居を望む。一の鳥居は西向き、正面に社務所のような建物がある。クルマは鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。
一の鳥居より集落を望む(西)。この先400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標がある。真っ直ぐだ。
一の鳥居より集落を望む(西)。この先400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標がある。真っ直ぐだ。
一の鳥居をくぐり突き当りを左に曲がると二の鳥居がある。この鳥居は南を向いている。
一の鳥居をくぐり突き当りを左に曲がると二の鳥居がある。この鳥居は南を向いている。
二の鳥居の左側には手水舎。
二の鳥居の左側には手水舎。
二の鳥居をくぐり階段を上がると広場があり正面に社殿がある。お寺のような造り。
二の鳥居をくぐり階段を上がると広場があり正面に社殿がある。お寺のような造り。
拝殿より本殿を望む。昭和2年(1927)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和3年(1928)の再建。社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。
拝殿より本殿を望む。昭和2年(1927)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和3年(1928)の再建。社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。
本殿を右側より望む。本殿の周りは厳重に塀で囲ってある。横から見てもお寺のような造り。
本殿を右側より望む。本殿の周りは厳重に塀で囲ってある。横から見てもお寺のような造り。
本殿を左側より望む。左から見てもお寺のような造り。
本殿を左側より望む。左から見てもお寺のような造り。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。
社務所のような建物より一の鳥居を望む。集落の中を通る参道は一直線。この延長方向に社殿があったというのが自然だと思う。
社務所のような建物より一の鳥居を望む。集落の中を通る参道は一直線。この延長方向に社殿があったというのが自然だと思う。

感想

由緒書はないので詳細は不明。
ご祭神は建埴安命であるが、江戸時代までは天酒大明神と呼ばれていた。
天酒大明神とは豊宇賀能売命のことで、元々は豊宇賀能売命を祀っていたのではないかとされる。
丹波郡は豊宇賀能売命とは強い関係があり(九座一神とも言われるようだ)、すなわち元伊勢との関係性が連想される。

元の鎮座地は現在地よりも山の上の方にあったようだ(不明らしい)。
昭和2年(1927)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和3年(1928)の再建時に現在地に遷座した。
現在の社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。

一の鳥居(西向き)をくぐると正面には社務所のような建物があり、ここを左に直角に曲がると二の鳥居(南向き)がある。
階段を登るとその先に社殿(南向き)があるという形だ。
この直角に曲がるところが少々不自然だと思っていた。
元々は一の鳥居をそのまま進んだ方向に社殿があったのではないだろうか。
思うに昭和初期に遷座した元の場所が現在分からないというのは少々不思議な印象だ。

社殿は立派な建物で垣で囲まれており近づくことができない。
お寺のようでもあり少し感じが違うような印象がある。

丹波郡の神社は実に奥が深いと改めて感じた。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

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