269-030_波彌神社

比定社:波彌神社

式内社コード:269-030
神名帳社名 :波弥神社、ハミノ
社    格:小
所 在 地 :627-0004 京都府京丹後市峰山町荒山554-1
Plus Code  :J3CQ+44 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「はみじんじゃ」と読む、地名の荒山は「あらやま」と読む。
荒山集落の北東の山裾に鎮座。
京都府道656号間人大宮線沿いに社標があるので分かりやすい。
社標のある交差点から東へ京都府道656号間人大宮線を入ると400メートルほどで一の鳥居がある。
一の鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

集落の中を通る参道と神社の位置関係。

写真

波彌神社の一の鳥居を望む。一の鳥居は西向き、正面に社務所のような建物がある。一の鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。
波彌神社の一の鳥居を望む。一の鳥居は西向き、正面に社務所のような建物がある。一の鳥居をくぐったところに駐車スペースがある。
一の鳥居より集落を望む(西)。この先400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標がある。真っ直ぐだ。
一の鳥居より集落を望む(西)。この先400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標がある。真っ直ぐだ。
一の鳥居をくぐり突き当りを左に曲がると二の鳥居がある。この鳥居は南を向いている。
一の鳥居をくぐり突き当りを左に曲がると二の鳥居がある。この鳥居は南を向いている。
二の鳥居の左側には手水舎。
二の鳥居の左側には手水舎。
二の鳥居をくぐり階段を上がると広場があり正面に社殿がある。お寺のような造り。
二の鳥居をくぐり階段を上がると広場があり正面に社殿がある。お寺のような造り。
拝殿より本殿を望む。昭和2年(1927)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和4年(1929年)の再建。社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。
拝殿より本殿を望む。昭和2年(1927)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和4年(1929年)の再建。社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。
本殿を右側より望む。本殿の周りは厳重に垣で囲ってある。横から見てもお寺のような造り。
本殿を右側より望む。本殿の周りは厳重に垣で囲ってある。横から見てもお寺のような造り。
本殿を左側より望む。左から見てもお寺のような造り。
本殿を左側より望む。左から見てもお寺のような造り。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。
社務所のような建物より一の鳥居を望む。集落の中を通る参道は一直線。この延長方向に社殿があったというのが自然だと思う。
社務所のような建物より一の鳥居を望む。集落の中を通る参道は一直線。この延長方向に社殿があったというのが自然だと思う。

感想

由緒書はないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、建埴安命。

創立の経緯不詳
天保15年(1844年)社殿と上屋改築。
明治6年(1873年)村社。
昭和2年(1927年)奥丹後震災で全壊。
昭和4年(1929年)再建。

昭和2年の震災前の社地は、現在の一段上の愛宕山上にあつた。
江戸時代は「天酒大明神」と称していた。
比治山伝説の八人の天女の一人、豊宇賀能売命を祀ってきたものと思はれる。
もとは豊受大神(豊宇加能売・保食神・大宜津比売・天酒神・酒戸古神)が祭神となつていたと思われる。

とある。

当地は早くから開けた地域のようで周辺に古墳や遺跡が数多く存在し、中世の荒山城址もある。
峰山の中心を見張るには格好の場所だと言える。
波彌神社の元の鎮座地は、現在地よりも山の上の方にあったようだ(不明らしい)。
昭和2年(1927年)の北丹後地震で社殿が全壊、昭和4年(1929年)の再建時に現在地に遷座した。
現在の社殿は山城の乙訓八幡宮の旧社殿を移築したもの。

ご祭神は建埴安命であるが、江戸時代までは天酒大明神と呼ばれていた。
天酒大明神とは豊宇賀能売命のことで、元々は豊宇賀能売命を祀っていたのではないかとされる。
丹波郡は豊宇賀能売命とは強い関係があり(九座一神とも言われるようだ)、すなわち元伊勢との関係性が連想される。
かつて、竹野川の東岸の内記の字西尾(または西野)という場所に、天女で天酒大明神である豊宇賀能売命を祀る名木、波弥、多久、矢田、撥枳の五社の神輿が同じ日に、この場所に集まって祭礼を行なったとある。

波彌神社へのアプローチは、400メートルほど西の京都府道656号間人大宮線に社標があるので比較的分かりやすい。
社標のある角を東へ集落の中の道を突き当りまで行くと一の鳥居がある。
ありがたいことに一の鳥居をくぐった左側に駐車スペースがある。

一の鳥居(西向き)をくぐると正面には社務所のような建物があり、ここを左に直角に曲がると二の鳥居(南向き)がある。
階段を登るとその先に社殿(南向き)があるという形だ。
この直角に左に曲がるところが少々不自然だと思っていた。
元々は一の鳥居をそのまま真っ直ぐ進んだ方向に社殿があったのではないだろうか。
思うに、比較的最近の昭和初期に遷座したのに元の場所が現在分からないというのは少々謎だ。

二の鳥居をくぐり石段を登ると山を切り崩して作った平坦な広場になっている。
社殿は、拝殿と本殿と垣が一体になったもので、廻りがぐるっと垣で囲まれていて垣の外から参拝するしかない。
社殿自体は、かなり大きな建物で立派なもの、どちらかというと寺院のような印象を受ける。

丹後国・丹波郡の天酒大明神の一角をなす神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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