268-200_杉末神社

比定社:杉末神社、山王宮日吉神社摂社

式内社コード:268-200
神名帳社名 :杉末神社、スキスヱノ
社    格:小
所 在 地 :626-0005 京都府宮津市宮町1408
Plus Code  :G5RQ+44 宮津市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「すぎのすえじんしゃ」と読む、地名の宮町は「みやまち」と読む。
と読む。
現在は山王宮日吉神社の摂社。
宮津市街から東側の山麓の小さな川筋沿いに鎮座。
国道178号線より2本ほど西へ入った通りに「山王宮(日吉神社)」という看板が出ているので比較的分かりやすい。
山王宮日吉神社の鳥居が京都丹後鉄道宮津線の東側にあり参道を鉄道が立体交差で横切っている。
西に100メートルほどの位置に社標がある。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

立派な土俵。
杉末神社と山王宮日吉神社の本殿の対比。

写真

杉末神社を摂社として持つ山王宮日吉神社の鳥居を望む。神社自体は東向き。京都丹後鉄道宮津線が参道を横切っている。
杉末神社を摂社として持つ山王宮日吉神社の鳥居を望む。神社自体は東向き。京都丹後鉄道宮津線が参道を横切っている。
正面(東)を望む。宮町集落の西の端っこの山裾にあたる。この先100メートルほどのところに社標がある。
正面(東)を望む。宮町集落の西の端っこの山裾にあたる。この先100メートルほどのところに社標がある。
鳥居と京都丹後鉄道宮津線のガードをくぐると階段がある。立派な構えだ。左手には如願寺や滝上公園へ続く道がある。
鳥居と京都丹後鉄道宮津線のガードをくぐると階段がある。立派な構えだ。左手には如願寺や滝上公園へ続く道がある。
階段を登ると広場。この右手に駐車場がある。中央には椎木の古木。
階段を登ると広場。この右手に駐車場がある。中央には椎木の古木。
椎木の古木の脇を通ってさらに階段を上がると拝殿がある。
椎木の古木の脇を通ってさらに階段を上がると拝殿がある。
宮津市教育委員会・宮津市文化財保護審議会謹製の日吉神社由緒書。もとは山王社と呼ばれていたが明治期に日吉神社と改称とある。
宮津市教育委員会・宮津市文化財保護審議会謹製の日吉神社由緒書。もとは山王社と呼ばれていたが明治期に日吉神社と改称とある。
神社謹製の山王宮日吉神社由緒書。境内には七社の神社があり、摂社杉末神社は延喜式内社とある。
神社謹製の山王宮日吉神社由緒書。境内には七社の神社があり、摂社杉末神社は延喜式内社とある。
階段を登るとさらに広場があり拝殿がある。配置は中央に山王宮日吉神社の拝殿、奥に本殿。向って右側に杉末神社、さらに右側に船魂神社。左側に恵比寿神社、さらに左側に琴平神社という配置。
階段を登るとさらに広場があり拝殿がある。配置は中央に山王宮日吉神社の拝殿、奥に本殿。向って右側に杉末神社、さらに右側に船魂神社。左側に恵比寿神社、さらに左側に琴平神社という配置。
広場の右側には赤ちゃんの「初土俵入」神事で有名な土俵がある。この神事は杉末神社の神事ということだ。
広場の右側には赤ちゃんの「初土俵入」神事で有名な土俵がある。この神事は杉末神社の神事ということだ。
山王宮日吉神社の拝殿を右側より望む。拝殿は天保年間の建築。石灯籠の形が珍しい。
山王宮日吉神社の拝殿を右側より望む。拝殿は天保年間の建築。石灯籠の形が珍しい。
山王宮日吉神社の拝殿を望む。京都府指定文化財。
山王宮日吉神社の拝殿を望む。京都府指定文化財。
山王宮日吉神社の本殿を右側より望む。本殿は貞享年間の建築。京都府指定文化財。
山王宮日吉神社の本殿を右側より望む。本殿は貞享年間の建築。京都府指定文化財。
杉末神社を正面より望む。本来は杉末神社に日吉神社を勧請したのが山王宮日吉神社の始まり、現在は主客が逆になっている。
杉末神社を正面より望む。本来は杉末神社に日吉神社を勧請したのが山王宮日吉神社の始まり、現在は主客が逆になっている。
神社謹製の杉末神社由緒書。宮津城下最古の神社、唯一の式内社とある。
神社謹製の杉末神社由緒書。宮津城下最古の神社、唯一の式内社とある。
神社謹製の杉末神社由緒書。古代宮津の民の守り神であり宮津という地名の宮とある。
神社謹製の杉末神社由緒書。古代宮津の民の守り神であり宮津という地名の宮とある。
杉末神社の本殿を望む。なかなかに凝った造りをしていて彫り物組物がたくさん施されている。扁額には杉末神とある。
杉末神社の本殿を望む。なかなかに凝った造りをしていて彫り物組物がたくさん施されている。扁額には杉末神とある。
さらに右手にある船魂神社。京都府指定文化財。
さらに右手にある船魂神社。京都府指定文化財。
山王宮日吉神社に向って左側の恵比寿神社。
山王宮日吉神社に向って左側の恵比寿神社。
さらに左側の琴平神社。
さらに左側の琴平神社。
拝殿より鳥居方向を望む。宮津港が見える。
拝殿より鳥居方向を望む。宮津港が見える。

感想

神社謹製の杉末神社由緒書によると

摂社式内 杉末神社
ご祭神
大物主神 大已貴神 少彦名神
延喜五年(905)、醍醐天皇の命により編纂が始められた延喜式にその名が登載される宮津城下最古の神社である。
所謂宮津では、延喜式内社は杉末神社只一社であり、そのことから奈良時代初見の「宮津」という地名の「宮」は杉末神社を指すものとされる。宮津地名の由来となる神社である。社記には現在主神である山王の神が平安時代、杉末神社境内に勧請されたと記されている。ここを摂社とする由縁である。伝統行事として十月に幼児による「初土俵入」が執り行われる。

杉末神社(健康 病気平癒の神)
敏達天皇元年(西暦五七二)にこの地に鎮座した宮津城下で最古の神社です
古代宮津の民の守り神であり宮津という地名の宮であるとされます
ご祭神の中の少彦名神は医薬にかかわる神であり、そのご神徳から健康平癒が祈られてきました

とある

宮津市教育委員会・宮津市文化財保護審議会謹製の日吉神社由緒書によると

日吉神社 宮津市宇宮町
 古来山王社と称した。明治維新の神仏分離政策以後、公称を日吉神社と改められたが、その間山王社の称号はこんにちに至るまで絶えることはなかった。祭神は大山咋神(おおやまくい)・大已貴神(おおなむち)とし、創建は近江坂本(滋賀県大津市)日吉大社(ひえ)より勧請(かんじょう)したと伝えるが、これを如願寺がその鎮守として勧請したとする説は必ずしも正確ではない。例祭は近世より四月中の申の日としたが、今は五月十五日に定めている。藩祭・国祭・宮津祭といわれ、近郷よりの人出で沸き立った。その時繰り出した芸屋台の一部は今も保存され、祭を賑わした浮大鼓は今尚続いている。
 境内杉末神社(すぎのすえ)はこの地に数少ない式内社のひとつである。船魂・恵比寿神社は町の漁師・船乗りたちによって祀られているが、創建の事情は明らかではない。
 現存社殿は日吉神社本殿が貞享五年(一六八八)、拝殿は天保五年(一八四三)、杉末神社は寛政六年(一七九四)、船魂神社もほぼ同時代、恵比寿神社は明和九年(一七七二)の建造である。
大工棟梁は、本殿・拝殿・杉末神社は何れもこの町の富田大工が担当した。本殿の入母屋造に縋破風(すがるはふ)の向拝部を付した屋根に対して、両側に流造の屋根を持つ社殿が並び、蟇股(かえるまた)・組物・虹梁(こうりょう)等にも意匠の変化がみられ、美しい建築群である。
 裏の滝上山とともに宮津の景勝地であって、京都府は隣の如願寺と地続きの一郭を「文化財環境保全地区」としている。
宮津市教育委員会
宮津市文化財保護審議会

とある

神社謹製の山王宮日吉神社由緒書によると

山王宮日吉神社
古来より、山王社と呼ばれる、宮津郷の総産土の神とされ、例祭は五月十五日に執り行われる、山王社の起源説はいろいろとあり、其のいずれもが平安期までさかのぼり、江州坂本より勧請されたものとある。大已貴命(おおむなちのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)の二柱をお祀りし、国造りの神であるところから宮津藩守護神として歴代藩主の厚い崇敬を受け、従って家中、町方とも深いかゝわりを持ちつゝ、祭礼が続けられてきた。
宮津開府以来、山王祭は藩祭・国祭りとして盛大な祭り絵巻を繰り広げ、城主自ら音頭をとり神輿を造り、漁師町、白柏町、葛屋町、河原町、川向町、魚屋町、万町、本町などの城下の芸屋台はもちろん、藩内の岩滝、加悦、上宮津、府中、男山、内宮、外宮より、計七十七人の世話人を選び練りものを出したと記録にある。宮津祭と呼ばれる所以である。波路御旅所への神輿渡御の際は、宮津浄はとくに大手、波路両門を開いて通過を許し、そこへ神輿、屋台同士が城内巡航の順序をめぐって争いながら押しかけたゝめ、「宮津祭は将棋の駒よ、大手々々と詰めかける」との俗謡も生まれた。特殊神事として、六十一年毎に甲子大祭が執り行われている。
 境内には七社の神社があり、摂社杉末神社は延喜式内社として、千有余年の歴史を持ち、旧城下においては最古の神社である。大物主命(おおものぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りし、宮津西町の氏神とされている。十月十日の例祭には、「赤ちゃんの初土俵入り」の神事があり、化粧まわしを付けた幼児が、神と相撲をとることによって健康を授かるという、極めて珍しい神事として名高い。

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大物主命・少彦名命。
敏達元年大和三諸山より奉遷。
敏達元年(572年)官幣を奉る。
天正年間(1573~1592年)この地に遷座。
寛政6年(1794年)造営。
明治6年(1873年)村社。

もと宮津町字杉末の山上に鎭座。
天正年間(1573-92)この地に遷。

もと宮津町字杉末の山上に鎭座。
社の傍らに杉の大木ありしにより杉の末神社と号した。
現在宮町の日吉神社の境内にある。
当初、ここは杉末神社の境城であったが、山王権現を江州坂本より勧請してから山王社の勢威が盛んとなり、杉末神社はその摂社のごときかたちとなったといわれる。

とある。

杉末神社は、敏達天皇元年(西暦五七二)にこの地に鎮座したと由緒書にある。
一方、宮津町字杉末に鎮座していたが天正年間に当地に遷座したというお話しもある。
ハッキリしない。

現在の宮津市の宮は杉末神社を指すという説もある。
現在は山王宮日吉神社の摂社となっており、山王宮日吉神社は名前の通り平安時代に日吉大社を杉末神社の境内に末社として勧請した。
その後は山王宮日吉神社の勢いが盛んとなり、その摂社になったという経緯のようだ。
つまり主客が逆転したということになっている。

杉末神社へのアプローチは、国道178号線より2本ほど西へ入った通りに「山王宮(日吉神社)」という看板が出ているので比較的分かりやすい。
山王宮日吉神社の鳥居が京都丹後鉄道宮津線の東側にあり参道を鉄道が立体交差で横切っている。
クルマで鳥居をくぐり道なりに進むとありがたいことに駐車場がある。

駐車場のある広場からは巨木を横に見ながら石段を登る。
石段を登りきると正面に立派な拝殿、右手にこれまた立派な四角く作られた土俵がある。

山王宮日吉神社の拝殿は比較的簡素だ、拝殿の奥は舞殿、その奥に本殿がある。
山王宮日吉神社の本殿は貞享五年(1688年)の建築、本殿と拝殿が京都府指定文化財となっている。

社殿の配置は東向きで山王宮日吉神社の本殿に向って右側に杉末神社、船魂神社が鎮座、左側に恵比寿神社、琴平神社が鎮座する。

杉末神社は本殿のみで寛政六年(1794年)の建築となるが、彫り物がたくさん施されており見ごたえがある。
よくTVニュースになる、赤ちゃんの「初土俵入」神事は杉末神社の神事ということだ。
「初土俵入」神事は、奉納相撲から起こったようだ。

全体的に社殿の状態はすこぶる良く大事にされている様子がうかがえる。
また山王宮日吉神社の社域は、大変良く手入れされていて気持ちよく参拝できる。
由緒や説明書きも多くあり参考になる。

本来であれば歴史があり元々の杉末神社が主となるのが、日吉神社が時の権力者に庇護されたため逆転しているようだ。
日吉というネームバリューに負けてしまったということだろうか。
いずれにしても江戸時代の藩政で庇護された神社の神事等は現在までよく残り盛んに執り行われている。
逆に言うと江戸時代より前の形が残っているのであれば非常に貴重だということが言える。

赤ちゃんの「初土俵入」神事が今に伝わる神社。

注意点

集落の中の道は狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/4/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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