264-020_狭宮神社

比定社:狭宮神社

式内社コード:264-020
神名帳社名 :狭宮神社、サミヤノ
社    格:小
所 在 地 :669-3157 兵庫県丹波市山南町和田138
plus code:3XVM+WC 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

和田集落の北の端の山裾に鎮座。
周辺は人家、お寺も多い地域。
南へ300メートルほどの牧山川のすぐ横に旧鎮座地がある。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

中川利兵衛尉藤原親家による本殿の彫り物、残念ながらよく見えない。

写真

狭宮神社を正面から望む。和田集落のメインストリートに面している。
狭宮神社を正面から望む。和田集落のメインストリートに面している。
左側(西)を望む。周りはほぼ人家、駐車場が無いので神社前に駐車した。
左側(西)を望む。周りはほぼ人家、駐車場が無いので神社前に駐車した。
右側(東)を望む。
右側(東)を望む。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
参拝者が楽しんで参拝できるように工夫がある。
参拝者が楽しんで参拝できるように工夫がある。
山南町、山南町観光協会謹製の由緒書。ご祭神は若沙那売命、本殿は江戸中期の再建とある。
山南町、山南町観光協会謹製の由緒書。ご祭神は若沙那売命、本殿は江戸中期の再建とある。
鳥居をくぐるとゆるい階段の参道が続く。広々しておりよく手入れされているのがよく分かる。気持ちよく参拝できる。
鳥居をくぐるとゆるい階段の参道が続く。広々しておりよく手入れされているのがよく分かる。気持ちよく参拝できる。
階段の参道の途中にある社務所。
階段の参道の途中にある社務所。
階段を登りきると左手に拝殿がある。神社自体は南向き、本殿は東向きとなる。
階段を登りきると左手に拝殿がある。神社自体は南向き、本殿は東向きとなる。
丹波市教育委員会謹製の本殿の説明書き。正保年間に現在地に遷座とある、旧鎮座地の和田村下河原は南へ300メートルほどの場所。
丹波市教育委員会謹製の本殿の説明書き。正保年間に現在地に遷座とある、旧鎮座地の和田村下河原は南へ300メートルほどの場所。
拝殿を左より望む。拝殿は割拝殿のような形になっている。
拝殿を左より望む。拝殿は割拝殿のような形になっている。
拝殿より本殿を望む。非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。
拝殿より本殿を望む。非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。
本殿を右側から望む。残念ながら本殿ヘはあまり近づけない。じっくり彫り物を見てみたい。
本殿を右側から望む。残念ながら本殿ヘはあまり近づけない。じっくり彫り物を見てみたい。
拝殿前の広場より鳥居方向を望む。緑の社叢に囲まれて良い雰囲気。
拝殿前の広場より鳥居方向を望む。緑の社叢に囲まれて良い雰囲気。
階段を降りてから鳥居まではまだ距離がある。途中で道路が参道を横切っている。
階段を降りてから鳥居まではまだ距離がある。途中で道路が参道を横切っている。
「神社本庁教化モデル神社指定」という石碑がある。初めて見た。
「神社本庁教化モデル神社指定」という石碑がある。初めて見た。

感想

山南町・山南町観光協会謹製の由緒書によると。

狹宮神社(さみやじんじゃ)
 当神社は、平安時代中期(西暦九二七年)延喜式内社に列格した丹波有数の古社であります。主祭神の若沙那売命は、若々しく成長する御神徳で、健康長寿・不老長寿を始め、安産・交通安全等、命(いのち)の守護神として広く崇敬されています。また、相殿(副祭神)の八幡様は厄除大神で有名です。
 御本殿は、江戸中期(西暦一七五八年)の再建で、入母屋造檜皮葺の誠に巧みで優美な古社にふさわしい建築となっており、特に本殿の彫刻は、江戸期に職人の間で「彫聖」として語り継がれた中川利兵衛の作品です。本社周りの境内社(稲荷社・天満宮等)の七宮をめぐられる際に、ごゆっくり御覧下さい。
 社殿真向かいには、安土桃山より江戸後期にかけて、厄除や雨乞いの際に奉納された能(丹波猿楽)の舞堂があり、平成十四年五月に能楽が復活しております。
 山南町指定文化財 狭宮神社本殿
          能小面小尉 一面
          狭宮神社社叢
山南町
山南町観光協会謹製

とある。

丹波市教育委員会謹製の本殿説明書によると。

市指定文化財 狭宮神社本殿(さみやじんじゃほんでん)
指定年月日 平成8年7月9日
所 有 者 狭宮神社
 狭宮神社は延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、往古は和田村下河原にあったが、正保(しょうほう)年間(1640年代)に現在地に遷されたと伝えられる。
 本殿は、正面一間、背面二間、側面二間の入母屋造平入(いりおもやづくりひらいり)で、向拝(ごはい)一間を付ける。組物(くみもの)は二手先(にてさき)で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)、千鳥破風(ちどりはふ)を置く。大工棟梁は多可郡の飛田平蔵、華麗な彫刻は大阪の彫物師 中川利兵衛尉藤原親家による。
 狭宮神社には、本殿以外にも元禄6年(1693)鶴牧(つるまき)藩の和田代官所の手代であった野添氏宗が奉納した能面小尉(のうめんこじょう)が市指定文化財(彫刻)として、神社裏山の社叢(しゃそう)が市指定天然記念物に指定されている。
平成22年3月
丹波市教育委員会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、若沙那売命・(配祀)誉田和気命。
天正13年(1585年)社殿再建。
正保元年(1644年)現在の鎭座地に遷座。
元禄13年(1700年)白川神祗伯より八幡宮を勸請。
宝暦8年(1758年)造営。
明治5年(1872年)「狭宮神社」と改称。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進社指定。
江戸時代までは「八幡宮」「狭宮大明神」「三宮明神」と呼ばれていた。
古跡地は當社の南、約0.4Kmの牧山川の左岸堤防下に位置する
現在その地に記念碑が建つている。
とある。

創建年代等の情報は全く無い。

現在の社域はかなり大きく立派。
傾斜地のため長い階段を登るのが印象的で社域はよく手入れされ気持ちが良い。
正保元年(1644年)に現在地に遷座、とあるので江戸時代の間にこれだけの社域に整備されたということだ。
元々の鎮座地でもかなり規模が大きかったのかもしれない。

宝暦8年(1758年)に再建された本殿はかなり大きくて立派、彫り物や組物に見応えがあるがよく見えないのが残念。
本殿の彫り物は中川利兵衛尉藤原親家によるもの、一見の価値がある。

七宮めぐりと銘打って社域の摂社末社をめぐる企画など工夫されている。
初めて見たが「神社本庁教化モデル神社指定」という石碑がある。

社域はきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。
由緒等の創建から遷座までの情報が知りたいものだ。

注意点

駐車場がないので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/6/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから