270-090_竹野神社

比定社:竹野神社

式内社コード:270-090
神名帳社名:竹野神社、タカノノ
社格:大
所在地:627-0228 京都府京丹後市丹後町宮
plus code:P4P7+P2 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

たけのじんじゃと読む。
宮集落の中央の山裾に鎮座。
国道178号線の竹野馬場の交差点を南へ京都府道75号浜丹後線へ入り600メートルほどで東側に神社があるので分かりやすい。
道路の反対側(西)に「丹後古代の里資料館」がある。
神社前より北西の方向へ参道が500メートルほど伸びており、国道178号線が横切る形になっている。
一の鳥居は竹野川沿いの矢崎神社のあたりにある、二の鳥居は「丹後古代の里資料館」のあたり。
また南西200メートルほどの位置に神明山古墳(しんめいやまこふん)がある。
クルマは「丹後古代の里資料館」の駐車場が利用可能。

ハイライト

神明山古墳との位置関係や竹野川まで続く参道。
京都府登録文化財指定の社殿。

写真

竹野神社を正面より望む。社標には式内とある。見えている鳥居は三の鳥居で、後ろ側に参道が500メートルほど続き、途中を府道や国道が横切っている。
竹野神社を正面より望む。社標には式内とある。見えている鳥居は三の鳥居で、後ろ側に参道が500メートルほど続き、途中を府道や国道が横切っている。
入り口の反対側には斎宮神社の社標がある。江戸時代まではこの名称だったようだ。
入り口の反対側には斎宮神社の社標がある。江戸時代まではこの名称だったようだ。
京丹後市教育委員会謹製の由緒書。竹野神社は式内社、ご祭神は天照大神とある。斎宮神社のご祭神は日子坐王命、建豊波豆良和気命、竹野媛命とある。
京丹後市教育委員会謹製の由緒書。竹野神社は式内社、ご祭神は天照大神とある。斎宮神社のご祭神は日子坐王命、建豊波豆良和気命、竹野媛命とある。
三の鳥居を望む。手前に橋、奥に山門が見える。
三の鳥居を望む。手前に橋、奥に山門が見える。
三の鳥居をくぐると緑のトンネル。
三の鳥居をくぐると緑のトンネル。
社叢に趣がある。
社叢に趣がある。
山門は京都府登録文化財に指定されている。
山門は京都府登録文化財に指定されている。
山門より拝殿を望む。真夏だったので日差しが強い。
山門より拝殿を望む。真夏だったので日差しが強い。
拝殿を正面より望む。ごめんなさい、日差しが強すぎて写真がうまく撮れなかったです…。
拝殿を正面より望む。ごめんなさい、日差しが強すぎて写真がうまく撮れなかったです…。
向かって左側が竹野神社の本殿、右側が斎宮神社の本殿。ともに京都府登録文化財に指定されている。それにしても下手な写真、すいません…。
向かって左側が竹野神社の本殿、右側が斎宮神社の本殿。ともに京都府登録文化財に指定されている。それにしても下手な写真、すいません…。
竹野神社の本殿を望む。彫り物と組物は控えめだが大きく立派。
竹野神社の本殿を望む。彫り物と組物は控えめだが大きく立派。
斎宮神社の本殿を望む。想像するに元々は斎宮神社だったのだろう、大和朝廷との関係の中で今の形になっていったのではないだろうか。写真がヘタでごめんなさい…。
斎宮神社の本殿を望む。想像するに元々は斎宮神社だったのだろう、大和朝廷との関係の中で今の形になっていったのではないだろうか。写真がヘタでごめんなさい…。
拝殿より山門を望む。唐様の門であることが分かる。
拝殿より山門を望む。唐様の門であることが分かる。
山門より三の鳥居を望む。
山門より三の鳥居を望む。

感想

京丹後市教育委員会謹製の由緒書によると

竹野神社は、「延喜式」の神名帳で大社として記される。祭神は天照大神であり、本殿と並んで摂社斎宮神社(いつきのみやじんじゃ)があり、祭神として日子坐王命、建豊波豆良和気命(たけとよはずらわけのみこと)、竹野媛命(たかのひめのみこと)を祀る。竹野媛は丹波大県由碁理(たにはのおおあがたぬしゆごり)の娘で、第九代開化天皇の妃となる。「古事記」「日本書紀」にも記され、竹野神社は竹野媛が年老いて天照大神を祀ることに始まると伝えられる。
 斎宮神社には、第三十一代用明天皇の皇子である、麻呂子親王も祀られ、鬼賊退治と丹後七仏薬師の伝承がある。この伝承は「等楽寺縁起(とうらくじえんぎ)」「斎明神縁起(いつきみょうじんえんぎ)」として絵巻に描かれ、京都府登録文化財となっている。
 現在の社殿は文政十三年(1830年)に再建されたものである。本殿は規模の大きな一間社流造で装飾が抑えられた荘厳な建物であり、斎宮神社本殿は大正的に小振りな一間社流造で賑やかな装飾を有している。中門は神社の門としては珍しい向唐門の派手な印象を与える建物で、いずれも京都府登録文化財として指定されている。
 この他に竹野区に伝えられ、竹野神社の祭礼に演じられる郷土芸能「竹野テンキテンキ」は、子供六人からなる素朴なものであるが、風流囃子物の古い形をのこす芸能で、京都府登録文化財に指定されるなど優れた文化財を伝えている。
京丹後市教育委員会

とある

元伊勢のひとつとなっている神社。
元伊勢とは、現在の神宮(伊勢神宮の内宮・外宮)の神様が元々鎮座されていたとされる場所のこと。

元伊勢と言っても、天照大御神(現在の神宮内宮)と豊受大御神(現在の神宮外宮)のふたつがある。
それぞれ遷宮した時代が異なり、天照大御神は第10代崇神天皇の時代、豊受大御神は第21代雄略天皇の時代となる。
さらに遷幸、つまり移動を続けたので、それぞれの地に留まったということもある。

笶原神社は元伊勢(内宮)の候補のひとつとされている。
豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の巡歴した吉佐宮の次の4つの候補地のひとつ。
・真名井神社(京都府宮津市江尻、籠神社摂社)
・皇大神社(京都府福知山市大江町)
・笶原神社(京都府舞鶴市紺屋)
・竹野神社(京都府京丹後市丹後町)

この地域がかつて丹後半島において大陸への玄関口だったことは間違いないと思う。
さらに古代の竹野川流域はかなり奥まで(ひょっとしたら峰山あたり)潟湖が続いていたと思われ、外と内の玄関口だったのだろうと想像する。
日本海側で最大級の古墳のひとつ神明山古墳がすぐ横にあるのも納得できる。

竹野神社は竹野郡で唯一の大社で、ご祭神として天照大神を祀る。
摂社である斎宮神社のご祭神は、日子坐王命、建豊波豆良和気命、竹野媛命を祀り、さらに用明天皇の皇子の麻呂子親王を祀る。
竹野神社と斎宮神社の関係は不明だが、かつて竹野神社は斎宮神社と呼ばれていたようだ(ややこしい…)。
確かに山門(京都府登録文化財)に掲げられた扁額には斎宮神社とある。

もともと丹後に勢力を持っていた豪族と大和朝廷の力関係で現在伝えられている形になったのだろうか。
そう考えると斎宮神社の存在が俄然クローズアップされ大事にされている様子なのが理解できるような気がする。

社域は古社の雰囲気を感じることができる落ち着いた雰囲気。
社殿は享禄三年(1530)社殿焼失、現社殿は文政十三年(1830年)再建のもの。
竹野神社本殿は抑え気味の彫り物と組物が施されていて重厚な印象(京都府登録文化財)。
斎宮神社本殿は小さいのだが精巧な彫り物が施されており組物も小さいながらに素晴らしい(京都府登録文化財)。

丹後半島の式内社は、その伝統芸能が保存されているのが素晴らしい、地域の方々の努力が忍ばれる。
竹野神社にも「竹野テンキテンキ」があり長く続けてほしいと切に思う。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/8/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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