270-080_(論)大野神社(口大野)

比定社:(論)大野神社(口大野)

式内社コード:270-080
神名帳社名:大野神社、オホノノ
社格:小
所在地:629-2501 京都府京丹後市大宮町口大野434
plus code:H3JR+R8 京丹後市、京都府
旧社地:京丹後市大宮町口大野1708
plus code:H3QM+G2P 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

大宮町口大野の集落の中の小高い丘に鎮座。
京都府道657号明田京丹後大宮停車場線沿いに鳥居があるので比較的見つけやすい。
明治5年(1872年)に北西1kmほどの岡野宮という場所より現在地の大野城址へ遷座した。
大野城は豊臣秀頼方の武将治胤(はるたね、道犬どうけんとも)が城主。
古代より丹後では絹織物を作っており、特に丹後縮緬が盛んになったのは江戸時代で藩による保護が大きい。
口大野地区はその中心的な場所で社域に丹後縮緬会所跡がある。
駐車場は無いので注意。

ハイライト

城跡に造られたことによる社域の配置。

写真

大野神社を正面より望む。口大野の町中にあり、そこだけこんもりとした小高い丘になっていて大野城址となっている。明治期に遷座したので大野城址が先にあったということになる。
大野神社を正面より望む。口大野の町中にあり、そこだけこんもりとした小高い丘になっていて大野城址となっている。明治期に遷座したので大野城址が先にあったということになる。
右側(北)を望む。この通りは口大野地区のメインストリート。
右側(北)を望む。この通りは口大野地区のメインストリート。
左側(南)を望む。この先には京都丹後鉄道宮豊線の京丹後大宮駅がある。
左側(南)を望む。この先には京都丹後鉄道宮豊線の京丹後大宮駅がある。
大宮町謹製の大野城址の説明書。大野城は武将治胤(道犬とも)が城主。
大宮町謹製の大野城址の説明書。大野城は武将治胤(道犬とも)が城主。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
一の鳥居をくぐると二の鳥居が見えてくる。
一の鳥居をくぐると二の鳥居が見えてくる。
二の鳥居は両部鳥居となっている。
二の鳥居は両部鳥居となっている。
両部鳥居をくぐると口大野の福祉会館がある。
両部鳥居をくぐると口大野の福祉会館がある。
丹後縮緬、大会所跡の石碑。丹後縮緬は江戸時代に藩より保護を受け地域を代表する産業となった、その会所跡がここにあった。
丹後縮緬、大会所跡の石碑。丹後縮緬は江戸時代に藩より保護を受け地域を代表する産業となった、その会所跡がここにあった。
両部鳥居をくぐり石段を登ると広場に出る。奥に階段があり、大野城址の案内看板がある。神社の社域としては少し違和感がある。この広場には3方向からアクセスできるようになっている。
両部鳥居をくぐり石段を登ると広場に出る。奥に階段があり、大野城址の案内看板がある。神社の社域としては少し違和感がある。この広場には3方向からアクセスできるようになっている。
手水舎。
手水舎。
広場よりさらに石段を登ると拝殿が見えてくる。
広場よりさらに石段を登ると拝殿が見えてくる。
大変立派で大きな拝殿となっている。
大変立派で大きな拝殿となっている。
拝殿内部より本殿を望む。明治12年(1879年)の建築なので非常にきれい。
拝殿内部より本殿を望む。明治12年(1879年)の建築なので非常にきれい。
拝殿内に置かれていたスタンプカード。
拝殿内に置かれていたスタンプカード。
なかなかうまいネーミング。祭事ごとにお参りしてスタンプもらい全部集めるとお楽しみ。地域とともに神社をもり立てて行こうという素晴らしい試み。
なかなかうまいネーミング。祭事ごとにお参りしてスタンプもらい全部集めるとお楽しみ。地域とともに神社をもり立てて行こうという素晴らしい試み。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は覆屋に入っており残念ながら見えない。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は覆屋に入っており残念ながら見えない。
拝殿と本殿のあいだを望む。重厚な作り。
拝殿と本殿のあいだを望む。重厚な作り。
本殿の屋根を望む。外削ぎ鰹木は5本。
本殿の屋根を望む。外削ぎ鰹木は5本。
拝殿より石段方向を望む。
拝殿より石段方向を望む。
手水舎のある広場からの眺望。東にある大宮地区が一望できる。
手水舎のある広場からの眺望。東にある大宮地区が一望できる。
広場には参道とは別に南側にも通路が作られている。
広場には参道とは別に南側にも通路が作られている。
北側にも通路が作られている。戦いの城というよりも経済の中心のような城だったのだろうか。
北側にも通路が作られている。戦いの城というよりも経済の中心のような城だったのだろうか。
一の鳥居脇にある水路にはホタルが生息しているとある。羨ましい環境だ。
一の鳥居脇にある水路にはホタルが生息しているとある。羨ましい環境だ。

感想

由緒書は無いので詳細不明。

ご祭神は、宇気持神(うけもちのかみ)・大荒田別命(おおあらたわけのみこと)。
元々は北西1kmほどの岡野宮という場所に鎮座していた。
創建は不明、天正年間(1573~1593年)に一色氏による兵災のため荒廃してしまった。
明治5年(1872年)に岡野宮より現在地の大野城址へ遷座、明治12年(1879年)に造営となっている。
つまり現在の社域は大野城址の上に作られているということになる。

神社がある山に戦国時代の山城が作られるということは時々ある。
逆に大野神社のように城址に神社を作る(遷座だが)というケースは珍しいのではないだろうか。
戦国期は城として機能し、その後の江戸時代ではこの地域の中心的なエリアだったと思われる。

社域は、元々城だっただけに3段に分かれており曲輪のような構成になっていて神社としては少々特徴的だ。
社殿は明治12年(1879年)に作られたとあるので新しく見える。
拝殿の構えが素晴らしく堂々としており非常に立派に見える。
本殿は覆屋に入っており良く見えないが良い状態だ。

拝殿には地域の方々が来やすいように様々な工夫があり感心する。
よく手入れされ地域より大いに尊崇されている様子がよく分かる。
できればより詳細な由緒があれば楽しいと思う。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日:2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3