261-080_(論)宮川神社

比定社:(論)宮川神社

式内社コード:261-080
神名帳社名 :神野神社、カムノノ
社    格:小
所 在 地 :621-0243 京都府亀岡市宮前町宮川神尾山2
Plus Code  :2FPG+X3 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

宮前町集落の一番奥の神尾山の麓に鎮座。
集落の最奥で道も狭く非常に分かりづらい場所にある。
神尾山の上に金輪寺があり集落から道が伸びているが、この道ではなく川を挟んで北側になる。
神社周辺は人家と田畑と山林、半国山への登山口になっている。
宮前町の中心部には亀岡と篠山を結ぶ街道が通り、かつては栄えたのではないだろうか。
社殿は拝殿と本殿で構成され、きれいな渓流沿いで素晴らしい環境。
駐車場はクルマでの突き当りを右に入った集会所の横にあるが、間口が狭く少々分かりにくい。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

全体的に苔むしてしっとりとした社域。

写真

宮前町集落の一番奥の宮川神社の入口を望む。右には集会所、左は川が流れている、集会所の玄関と石灯籠の間を右へ入ると駐車場があるが分かりにくい。真っ直ぐ行くと半国山への登山道となっている。
宮前町集落の一番奥の宮川神社の入口を望む。右には集会所、左は川が流れている、集会所の玄関と石灯籠の間を右へ入ると駐車場があるが分かりにくい。真っ直ぐ行くと半国山への登山道となっている。
神社入口より右側(北)を望む。周辺は田畑、人家、山林それに川となっている。
神社入口より右側(北)を望む。周辺は田畑、人家、山林それに川となっている。
神社入口より走ってきた道を振り返る。真っ直ぐな道なのだが神社前で曲がっている。行き止まりではないのでじゃまにならないように駐車する必要がある。
神社入口より走ってきた道を振り返る。真っ直ぐな道なのだが神社前で曲がっている。行き止まりではないのでじゃまにならないように駐車する必要がある。
集会所の奥はこんな感じで駐車可能。
集会所の奥はこんな感じで駐車可能。
石灯籠の間を進むと階段がある。
石灯籠の間を進むと階段がある。
石灯籠の間を進むと左手に神社入口がある。真っ直ぐ進むと半国山への登山道は扉を開けて進む。
石灯籠の間を進むと左手に神社入口がある。真っ直ぐ進むと半国山への登山道は扉を開けて進む。
神社謹製の由緒書。ご祭神は伊賀古夜姫命、誉田別命、神野山に鎮座したが正保年間に現在地に遷座したとあり、延喜式神名帳の神野神社に比定されるとある。
神社謹製の由緒書。ご祭神は伊賀古夜姫命、誉田別命、神野山に鎮座したが正保年間に現在地に遷座したとあり、延喜式神名帳の神野神社に比定されるとある。
鳥居をくぐると長い参道が続いており左側に社務所がある。
鳥居をくぐると長い参道が続いており左側に社務所がある。
参道は漆喰の立派な塀に囲まれている。
参道は漆喰の立派な塀に囲まれている。
参道の突き当りに1段上がって拝殿がある。
参道の突き当りに1段上がって拝殿がある。
正面に拝殿、本殿と拝殿は向かって左(東)の川の方を向いている。拝殿に入るには左から回り込む必要があり配置に少々無理があるような印象。
正面に拝殿、本殿と拝殿は向かって左(東)の川の方を向いている。拝殿に入るには左から回り込む必要があり配置に少々無理があるような印象。
広場の右側には巨石がある。すごく大きい。
広場の右側には巨石がある。すごく大きい。
手水舎。龍の口から出ている水は湧水だと思う。
手水舎。龍の口から出ている水は湧水だと思う。
拝殿より本殿を望む。本殿とともに拝殿も川の方(東)を向いている。お宮参りがあったので本殿には幕がかかっている。
拝殿より本殿を望む。本殿とともに拝殿も川の方(東)を向いている。お宮参りがあったので本殿には幕がかかっている。
本殿を正面より望む。本殿は覆屋に入っており後ろに磐座がある。
本殿を正面より望む。本殿は覆屋に入っており後ろに磐座がある。
本殿前を左側から望む。なぜか落ち着いた感じ。
本殿前を左側から望む。なぜか落ち着いた感じ。
覆屋の中の本殿を望む。きれいにお祀りされている、ご祭神は伊賀古夜姫命、誉田別命を祀る。鴨一族と深い関係。
覆屋の中の本殿を望む。きれいにお祀りされている、ご祭神は伊賀古夜姫命、誉田別命を祀る。鴨一族と深い関係。
本殿の覆屋を右側から望む。お宮参りの片付け中。
本殿の覆屋を右側から望む。お宮参りの片付け中。
本殿の後ろには大きな磐座。磐座にもたれかかるように覆屋と本殿が配置されている。
本殿の後ろには大きな磐座。磐座にもたれかかるように覆屋と本殿が配置されている。
本殿の向こう側(南)には摂社末社へと続く小径があり、苔むしていて良い感じ、我ながら苔に弱い…。
本殿の向こう側(南)には摂社末社へと続く小径があり、苔むしていて良い感じ、我ながら苔に弱い…。
摂社末社のひとつ。玉依姫命が祀ってある。
摂社末社のひとつ。玉依姫命が祀ってある。
もう一つの摂社末社。こちらは貴船大神とある。
もう一つの摂社末社。こちらは貴船大神とある。
前を流れる渓流もなかなか見応えがある。巨岩がゴロゴロしており、しかも苔むしているっ素晴らしい。
前を流れる渓流もなかなか見応えがある。巨岩がゴロゴロしており、しかも苔むしているっ素晴らしい。
摂社末社への小径をグルっと回ってくると拝殿へ戻ってこれる。
摂社末社への小径をグルっと回ってくると拝殿へ戻ってこれる。
拝殿横の苔のじゅうたん、赤いのはきのこ。緑の対比が素晴らしい。
拝殿横の苔のじゅうたん、赤いのはきのこ。緑の対比が素晴らしい。
本殿より拝殿を望む。
本殿より拝殿を望む。
拝殿の前より広場を望む。神社入口からは左へ曲がり、参道突き当りで再度右へ折れて本殿があるということになる。
拝殿の前より広場を望む。神社入口からは左へ曲がり、参道突き当りで再度右へ折れて本殿があるということになる。
鳥居前より神社入口を望む。
鳥居前より神社入口を望む。
神社入口より少し離れたところに神輿を入れたお堂がある。
神社入口より少し離れたところに神輿を入れたお堂がある。

感想

由緒書によると

祭神に伊賀古夜姫命、誉田別命を祀る。
当社の創建は文武天皇大宝年間(七〇一~七〇八)山上に伊賀古夜姫命を鎮めたのが起源とされ古くは神野山と称し延喜式にいう神野神社に比定される。また、誉田別命(八幡大神)は欽明天皇三十二年(五七一)に宇佐八幡宮より神野山山中に遷し祀られたと伝えられ今に社地を八幡平という。天正五年(一五七七)明智光秀と波多野秀治の合戦の際両社とも焼失し、その後落雷不作が続いたので、正保四年(一六四七)山麓の現在地に社殿を移し二神をあわせ祀り。名称も宮川神社と改めたと伝えられる。伊賀古夜姫命は京都下賀茂神社の祭神玉依姫命の母神であり、下賀茂神社と関係深く葵祭の行列に氏子青年が奉仕に参加している。

※補足:大宝年間=西暦701~704年

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
欽明天皇32年(571年)宇佐八幡を勧請。
大宝年間(701~704年)山上に創建。
延暦2年(783年)金輪寺建立。
延暦3年(784年)金輪寺は当社を地主社とする。
天正5年(1577年)明智光秀・波多野秀治との合戦で焼失。
正保4年(1647年)山麓の現在地に社殿を移す。
享保2年(1717年)現地に社殿を建立。
明治6年(1873年)村社。
明治39年(1906年)幣帛料供進神社指定。

かなり分かりにくい場所にあり、訪ねるまでは枯れた神社だと思っていた。
しかし訪問時にはお宮参りが行われており狭い神社前は大混雑だった。
片付け中の神職から貴重なお話しを聞くことができた。

集落の突き当りからは参道が半国山への登山道と兼用になっており、左へ折れると神社入口の鳥居がある。
社域は川に沿って縦長になっており社殿は東を向いている、枯れてはいるが苔むして良い雰囲気である。
由緒によると正保四年(一六四七)に現在地に遷座とある、以前は神尾山の上に金輪寺あたりにあったと思われる。
神社だけが遷座して神宮寺が残ったということなのだろうか。
本殿の後方には大きな岩があるが磐座という感じではない。
その大きな岩にもたれかかるようにして本殿が建てられている。

社域はきれいに保たれているので気持ちよく参拝できる。
また美しい社域を季節ごとに楽しめる。

注意点

集落の中の道は狭いので注意。
神社前の道も季節により半国山への登山客で混み合うので注意。

訪問ノート

訪問日:2021/9/12
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、RX100M3