比定社:比沼麻奈為神社
式内社コード:269-080
神名帳社名 :比沼麻奈為神社、ヒチマナヰノ
社 格:小
所 在 地 :627-0054 京都府京丹後市峰山町久次661
Plus Code :H2VH+2J 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「ひぬままないじんじゃ」と読む、地名の久次は「ひさつぎ」と読む。
久次集落の北西の一番奥の山裾に鎮座。
国道482号に小さい案内標識があるが分かりにくい、峰山二箇郵便局の交差点を北西に入る。
800メートルほど道なりに走ると、正面にレトロな久次公民館があり「式内 比沼麻奈為神社 是ヨリ右一丁」の石標が建っている。
右へ250メートルほど集落の中の狭い道を進むと突き当りになり到着。
駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
荘厳な雰囲気の神明造の本殿、立砂。
久次岳と元伊勢(外宮)との関係。
咋岡神社との関係。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
比沼麻奈為神社(ひぬままないじんじゃ)は「豊受大神」を主祭神としてお祀りしているお社です。天照大神が今の伊勢神宮に御鎮座になられた後、雄略天皇の夢枕に現れ、丹波国(現在の丹後国)比沼真名井(ひぬまのまない)にいる御饌の神「豊受大神」を呼び寄せたいと言う御告げがあったため、この地より現在の伊勢神宮外宮に遷宮されましたが、その元のお社で御分霊を留めてお祀りしているのがこの比沼麻奈為神社です。
とある
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、豊受大神・瓊瓊杵尊・天児屋根命・天太玉命。
崇神天皇39年(BC59年、諸説あります)創祀。
永承6年(1051年)造営。
天喜元年(1053年)造営。
正応3年(1290年)造営(修正)。
延徳3年(1491年)造営。
宝永2年(1705年)造営。
文政9年(1826年)造営。
明治6年(1873年)村社。
伊勢外宮の本地とされる古社である。
天照大神が吉佐宮へ御遷幸の崇神天皇39年創祀と伝えられ、雄略天皇22年、天照大神の御神託により伊勢度会宮に遷座されたとき、御分靈を奉祀したといわれる。
とある。
当地、久次は非常に重要な地で背後の咋石嶽は現在は久次岳(くじだけ)あるいは真名井嶽(まないだけ)とも呼ばれる。
久次岳は、標高541.4メートルの山で中郡・竹野郡・熊野郡の三郡の境にあり、宇気持神(保食神)の天降地で真名井大明神があったとされ、元伊勢(外宮)のひとつとなっている。
また久次岳は、咋石岳(くいしだけ)・真名井山(まないやま)・真名井ヶ岳(まないがたけ)とも呼ばれ、熊野郡側では石が岳(いしがたけ)と言う。
南東10㎞あまりのところにある磯砂山(いさなごやま)とともに伝説が多く有名な山。
いずれにしても、宇気持神(保食神)に深く関係していると思われる地域である。
現在の比沼麻奈為神社のご祭神は、豊受大神・瓊瓊杵尊・天児屋根命・天太玉命となっている。
比沼麻奈為神社は、元伊勢のひとつとされている神社。
元伊勢とは、現在の神宮(伊勢神宮の内宮・外宮)の神様が元々鎮座されていたとされる場所のこと。
元伊勢と言っても、天照大御神(現在の神宮内宮)と豊受大御神(現在の神宮外宮)のふたつがある。
それぞれ遷宮した時代が異なり、天照大御神は第10代崇神天皇の時代、豊受大御神は第21代雄略天皇の時代となる。
さらに遷幸、つまり移動を続けたので、それぞれの地に留まったということもある。
比沼麻奈為神社の西に位置する久次岳は、宇気持神(保食神つまり豊受大御神のこと)の天降地で、山頂に二間四方の岩を神として祀っていたと言われている。
比沼麻奈為神社は、もともと豊受大御神(宇気持神や保食神とも)が鎮座しており、雄略天皇の時代に伊勢に遷宮するに際して分霊することで今にいたると言われている神社。
もともと豊受大御神を祀っていた比治真奈井(元伊勢・元外宮)はどの神社なのか、というのは諸説ある。
一般的には、比沼麻奈為神社・藤社神社・奈具神社・眞名井神社(籠神社奥社)・豊受大神社の名が挙がっている。
個人的には、比沼麻奈為神社が一番有力なのではないかと思っている(個人的見解です)。
また、咋岡神社との関係も気になる。
咋岡神社は、応仁期(1467~1469)に吉原(現在の峯山)城主一色義遠の家臣飯田越前が、久次の咋石嶽から勸請して吉原城鎭護の神として大手口の馬場前に祀った。
その後、京極氏の入国により社と付近の家が元和8年(1622年)に現在地の赤坂村に移されたと伝わっている。
ポイントとなる宇気持神(保食神つまり豊受大御神のこと)の天降地である真名井大明神のことが全く分からない。
附近の地名として「神所段」「神主やしき」「灯明田」「大宮屋敷」があり、咋岡神社の旧社地あるいは真名井大明神の故地ではないかと言われている。
また、宇気持神(保食神つまり豊受大御神のこと)に関しては天女のお話が伝わっていて、次のような竹野の奈具神社の由緒にもなっている。
”丹波郡比治(現在の久次と思われる)の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願され比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、汝は我が子ではないと追い出してしまいました。比治の里を退き、村々を遍歴の果てに舟木の里の奈具の村にやってきました。此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって豊宇賀能売女として祀られました。”
とある。
個人的には、比沼麻奈為神社が小社であることが興味深い。
時の朝廷が延喜式神名帳を作る際に、比沼麻奈為神社が元伊勢(元外宮)と分かっていたなら社格をもっと高く設定したのではないだろうか。
当時も元伊勢(元外宮)がどこなのか分からなかったのではないだろうか(今もだが)。
遠い遠い昔の真名井大明神の研究が進むのだろうか。
比沼麻奈為神社へのアプローチは少々ややこしい。
国道482号に小さい案内標識があるが分かりにくい、峰山二箇郵便局の交差点を北西に入る。
800メートルほど道なりに走ると、正面にレトロな久次公民館があり「式内 比沼麻奈為神社 是ヨリ右一丁」の石標が建っている。
右へ250メートルほど集落の中の狭い道を進むと突き当りになり到着。
ありがたいことに突き当り左側に駐車スペースがある。
石段を数段登って一の鳥居(神明鳥居)をくぐると広場があり正面に社務所がある。
何と言ってもこの広場の白砂による立砂が壮観だ、いつも神職が丁寧に手入れされている。
社務所の前まで行くと右手に石段と二の鳥居(神明鳥居)がある。
二の鳥居をくぐると雰囲気が変化し、より厳粛な感じとなり古木も多く歴史を感じさせる。
さらに石段を登ると拝殿が見えてくる。
拝殿はフルオープンな作りとなっているがピカピカに磨き上げられているのが印象的。
本殿は非常に大きく神明造となっており左右に棟持柱を持つ形式。
文政9年(1826年)の建築だろうか、非常に状態は良いようだ。
社域は非常に丁寧に手入れがされており気持ちよく参拝できる。
豊受大御神が天降った久次岳の麓に鎮座する神社。
注意点
久次の集落の中は道が狭いので注意。
訪問ノート
訪問日 :2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。