比定社:大宇賀神社
式内社コード:270-010
神名帳社名 :大宇加神社、オホウカノ
社 格:小
所 在 地 :629-3133 京都府京丹後市網野町郷2112
Plus Code :J2RF+XV 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「おおうがじんじゃ」と読む、地名の郷は「ごう」と読む。
郷集落の南のはずれの山裾に鎮座。
京都府道20号網野久美浜線より1本東側の農道でアプローチ。
郷集落の南の集落の途切れたところから東へ1本入り農道で南下すると神社に到着。
神社前に駐車スペースがある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
拝殿後方の2本の杉の巨木。
写真

















感想
京丹後市教育委員会謹製の網野ふるさと自慢百選によると
大宇賀神社は、文明年間(1469~87年)に創立されたと伝えられ、大宇賀能売命を祀っています。
本殿は一間社流造です。棟札から弘化4(1847年)年に建てられたもので、大工棟梁は地元の泉治助重成です。昭和2年の丹後震災により被害を受けており、その後、大規模な修理が行われています。
とある
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、大宇賀能売命。
創立年月日不詳。
寛保3年(1743年)再造。
弘化4年(1847年)造営(追加)。
明治6年(1873年)村社。
昭和2年(1927年)丹後震災により社殿が倒壊。
集落の奥。山裾に鎮座する。社殿の両脇に抱え込むような杉の巨樹2本がある。
とある。
当地は、すぐ北に峰山と網野を結ぶ網野街道、前を久美浜と網野を結ぶ街道が走る場所。
福田川沿いの谷筋の入り口にあたる。
大宇賀神社の地名は小字入道(にゅうど)といい、入道=丹生で水銀が採取されていたのではないかという説がある。
一般的に「にゅう」と発音する地名、表記はイロイロあるが水銀と関係がある場所が多い。
水銀は古代から金の還元剤や色付け、薬品にも使用され古代から珍重されてきた。
大宇賀神社は水銀が採れるこの地を管理するために延喜式神名帳に記載されたのではないだろうか(個人的な見解です)。
また郷は昭和2年(1927年)の北丹後地震の震源地として有名。
北へ1.8kmほどの場所に郷村断層(国指定史跡名勝天然記念物)が保存されている。
ご祭神は、大宇賀能売命。
京丹後市教育委員会謹製の網野ふるさと自慢百選によると文明年間(1469~87年)に創立、とあるので京丹後市教育委員会は大宇賀神社を式内社とみなしていないようだ、ちょっと意外な感じだ。
大宇賀神社へのアプローチは少々分かりづらい。
京都府道17号網野峰山線より福田川沿いに京都府道20号網野久美浜線に入る。
1.1kmほどで集落の途切れたところから1本東に入り、さらに府道と並走する農道に入り170メートルほどで到着。
大宇賀神社の少し手前(北)に駐車スペースがある。
現在の周囲は田畑と山林で周囲に何も無い場所。
農道からは石段を登り、さらに左(東)へ曲がって社域に入る。
左へ曲がると石段と鳥居があり正面に社殿が見える。
かつては府道までまっすぐ参道が続いていたのではないだろうか。
社域はカチッとした印象がある、集落の外れで山の中にもかかわらず広い社域という印象。
参道や石組みもしっかりしている。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成され回廊で繋がっている。
拝殿も覆屋に入った本殿も意外と言っては失礼だが大きく立派だ。
印象的なのは拝殿の後ろ左右対称に杉の巨木がそびえていて正面から見ると拝殿から生えているようにみえる。
周辺には古木も多く古くからここに鎮座していることが分かる。
本殿は、京丹後市教育委員会によると弘化4年(1847年)の建築とあるが覆屋の中は見ることができないのが残念。
昭和2年(1927年)の北丹後地震で社殿が被害を受けたため、現在の社殿はその時に再建されたものと思われる。
社殿は拝殿・覆屋ともに比較的状態は良い。
社域や社殿もきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。
ご祭神は大宇賀能売命なのに水銀と関係のありそうな神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。