268-190_(論)板列稲荷神社(与謝野町岩滝)

比定社:(論)板列稲荷神社(与謝野町岩滝)

式内社コード:268-190
神名帳社名 :板列神社、イタツラノ/イタナミ
社    格:小
所 在 地 :629-2262 京都府与謝郡与謝野町岩滝582
Plus Code  :H5C2+QC 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いたなみいなりじんじゃ」と読む、地名の岩滝は「いわたき」と読む。
岩滝集落の北の端の山腹に鎮座。
周辺は板列公園として整備されており見つけやすい場所。
鳥居前に駐車スペースがある。

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

背後の山との関係。

写真

板列神社(板列稲荷神社)を正面より望む。神社自体は南東を向いている。神社の左右は板列公園として整備されている。一の鳥居の手前に駐車スペースがある。
板列神社(板列稲荷神社)を正面より望む。神社自体は南東を向いている。神社の左右は板列公園として整備されている。一の鳥居の手前に駐車スペースがある。
右側(東)を望む。周囲は人家と山林。
右側(東)を望む。周囲は人家と山林。
正面(南)を望む。かつては参道がつづいていたのだろうか。
正面(南)を望む。かつては参道がつづいていたのだろうか。
左側(西)を望む。
左側(西)を望む。
一の鳥居をくぐり進むと二の鳥居があある。
一の鳥居をくぐり進むと二の鳥居があある。
手水舎。
手水舎。
二の鳥居をくぐり広場より拝殿を望む。周囲には古木も多く良い感じ。
二の鳥居をくぐり広場より拝殿を望む。周囲には古木も多く良い感じ。
広場の右手には蔵がある。
広場の右手には蔵がある。
広場の左手は公園となっている。
広場の左手は公園となっている。
拝殿を左側より望む。明治期に建てられたようだ、下が吹き抜けている形式。
拝殿を左側より望む。明治期に建てられたようだ、下が吹き抜けている形式。
拝殿内部を望む。扁額には板列稲荷神社とある。傘立てがあるのが微笑ましい。
拝殿内部を望む。扁額には板列稲荷神社とある。傘立てがあるのが微笑ましい。
本殿を望む。大切にされている様子が分かる。
本殿を望む。大切にされている様子が分かる。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿より拝殿を望む。社域には古木が多い。
本殿より拝殿を望む。社域には古木が多い。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、稻廼売神。

創立の由緒不詳
文政9年(1826年)火災焼失(修正)。
明治6年(1873年)村社。
明治43年(1910年)神饌幣帛料供進神社指定。

江戸時代までは「稲荷神社」と呼ばれていた。
毎年5月1日の例祭に、町の無形文化財・岩滝獅子神楽が奉納される。

とある。

板列稲荷神社は、延喜式神名帳の丹後国・与謝郡の「板列神社」の論社2社のひとつ。
当社、板列稲荷神社と板列八幡神社が論社になっているがハッキリしないようだ。

当地は古くより開けていた場所のようで、南西400メートルほどの場所には大風呂南墳丘墓がある。
出土品は、国指定重要文化財(美術品)になっており次の解説がなされている。
”本件は、このうち一号墓(墳丘規模=尾根筋方向の長さ約二七メートル、尾根と直交する長さ約一八メートル、墳丘高約二メートルの長方形)に築かれた四基の土壙(第一-第四主体部)から出土した副葬品の一括である。その内訳は、腕飾り(ガラス釧一箇、銅釧一三箇、貝輪残欠一箇)と玉(ガラス勾玉六箇、碧玉管玉三五六箇)、鉄製品(鉄剣一四本等)、および附とした土器・土器片七点から構成され、その総数は四一二点である。”
ちなみに当社のある岩滝という地はかつて大いに賑わって力があったようだ。
阿蘇海を囲む地域は、ほぼ宮津市となっているが、岩滝や男山地域は与謝野町となっている。
与謝野町の本庁舎も岩滝にあり非常に興味深い。
板列稲荷神社は、背後の男山の麓にある。

ご祭神は稻廼売命で、板列八幡神社にも配祀されている神さま。

板列稲荷神社へのアプローチは、板列公園を目指していけば良いので分かりやすい。
国道482号の北側の山裾を走る道路沿いに面しており、信号のある交差点に社標と鳥居がある。
鳥居の前にちょっとした駐車スペースがある。

一の鳥居をくぐると正面に社殿、右手に板列会館があり二の鳥居がある。
社殿の周囲は杉の大木がそびえており良い感じの社域となっている。

拝殿は下が吹き抜けている形式で珍しい、建築時期は不明だが明治時代の建築だと思われる。
本殿は大きくはないが覆屋に入っており手入れが行き届いていて大事にされている様子だ。

創建は不明だが修験と関連があり、かつて龍泉寺との関係が指摘されている。
永禄年間には兵火により消失、その後文政年間にも火災により消失している。
現在の社殿は明治期のものだと思われる。

いずれにしても背後の男山との関係が深いようで修験であったり山で産出される鉱物との関係があるのかもしれない。
岩滝集落では他に神社は見えないので集落の鎮守として親しまれている様子が見て取れる。
周囲は板列公園として整備されており周辺の方々の憩いの場となっているようだ。
社叢には古木が多く古社を感じさせる。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭「岩滝祭」が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
岩滝区・男山区・石田区・弓木区では、板列八幡神社・板列稲荷神社・水無月神社・木積神社が参加している。
祭りの説明書きには次のようにある。
”「板列稲荷神社では、祭礼の後、御神輿が出立する前に与謝野町指定無形民俗文化財の岩滝の獅子神楽(御宝楽の舞)が奉納され、与謝野町役場まで巡行します。与謝野町役場では祭礼の後、子ども神楽が奉納されます。祭礼の後、岩滝連合区(4区)を獅子舞が巡行します。”
物理的な社域・社殿もそうだが、こうした無形の文化面の継承も長く続けてほしいと思う。

背後の男山との関係が深い神社。

注意点

駐車スペースが狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/9/22
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3