269-050_稲代神社

比定社:稲代神社

式内社コード:269-050
神名帳社名 :稲代神社、イナシロノ
社    格:小
所 在 地 :627-0044 京都府京丹後市峰山町安83
Plus Code  :J2CW+53 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いなしろじんじゃ」と読む、地名の安は「やす」と読む。
安集落の西の端の山裾に鎮座。
京丹後市役所のある中心地より川沿いを西へ1.5kmほど進むと道路沿いに新しい石段があるのですぐに分かる。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

覆屋内部の各種昔の資料。

写真

稲代神社・𠮷原神社を正面より望む。道路のすぐ脇に神社入口があるので分かりやすい。
稲代神社・𠮷原神社を正面より望む。道路のすぐ脇に神社入口があるので分かりやすい。
右側(東)を望む。この方向は峰山の街なかの方向。
右側(東)を望む。この方向は峰山の中心部の方向。
左側(西)を望む。周囲は山林・田畑・人家がちらほらという地域。
左側(西)を望む。周囲は山林・田畑・人家がちらほらという地域。
参道の途中に手水舎。
参道の途中に手水舎。
参道の階段を登ると鳥居が見えてくる。
参道の階段を登ると鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐると正面に山門、右手に休憩所のような建物。
鳥居をくぐると正面に山門、右手に休憩所のような建物。
山門に掲げられていた写真。明治時代のものだろうか。こういう昔の姿を見るのも楽しい。
山門に掲げられていた写真。明治時代のものだろうか。こういう昔の姿を見るのも楽しい。
本殿を正面より望む。覆屋は新しいがよく雰囲気を出している。扁額には稲代神社・𠮷原神社とある。妙婦神社の名前はない。
本殿を正面より望む。覆屋は新しいがよく雰囲気を出している。扁額には稲代神社・𠮷原神社とある。妙婦神社の名前はない。
本殿覆屋を左側より望む。あまり覆屋のように見えない。
本殿覆屋を左側より望む。あまり覆屋のように見えない。
覆屋の中の本殿を正面より望む。彫り物組物が施されて豪華な作りで状態も良いように見える。文化2年(1805年)の建築なのか、昭和2年(1927年)の北丹後地震の後に再建されたものかは不明だ。
覆屋の中の本殿を正面より望む。彫り物組物が施されて豪華な作りで状態も良いように見える。文化2年(1805年)の建築なのか、昭和2年(1927年)の北丹後地震の後に再建されたものかは不明だ。
本殿彫り物を望む。彫り物が立体的で数多くの意匠が施されているのが分かる。
本殿彫り物を望む。彫り物が立体的で数多くの意匠が施されているのが分かる。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
覆屋の中にある神社謹製の由緒書。稲代神社と𠮷原神社の由緒が記載してある。もともと稲代神社は別の場所にあったが、当地の𠮷原神社の場所に遷座・合祀されたとある。
覆屋の中にある神社謹製の由緒書。稲代神社と𠮷原神社の由緒が記載してある。もともと稲代神社は別の場所にあったが、当地の𠮷原神社の場所に遷座・合祀されたとある。
神社謹製のご祭神の説明書。稲代神社のご祭神は保食神とある。ここには初めて妙婦神社(めふじんじゃ)の記載が出てきている。
神社謹製のご祭神の説明書。稲代神社のご祭神は保食神とある。ここには初めて妙婦神社(めふじんじゃ)の記載が出てきている。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。天正四年、享保十五年、文化二年、文政五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。天正四年、享保十五年、文化二年、文政五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。天保六年、天保十年、安政二年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。天保六年、天保十年、安政二年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。万延元年、文久三年、明治元年、明治十二年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。万延元年、文久三年、明治元年、明治十二年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。明治十五年、明治十六年、明治三十五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。明治十五年、明治十六年、明治三十五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。明治四十五年、大正九年、大正十三年、昭和二年、昭和五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。明治四十五年、大正九年、大正十三年、昭和二年、昭和五年と見える。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。これが一番新しいもの平成八年とある。
覆屋内部に展示されている各年代の棟札。これが一番新しいもの平成八年とある。
参道の途中の石灯籠には安永年間とある。
参道の途中の石灯籠には安永年間とある。
山門より鳥居を望む。
山門より鳥居を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

稲代神社・𠮷原神社 御由来
稲代神社
保食神 豊受皇大神 稲荷大明神を御祀りしています 延長五年(九二七)延喜式官帳に丹波郡九座の一ツとして記載され格式の高い式内社で吉原一郷(小西・西山・安峰山・杉谷)の総社である産土神であります
社はこの地より西三町の稲代山にありました ここを元宮と呼び 谷を稲代谷 川を稲代川と云います
参拝の道が剣難の為 元禄十二年この地に奉遷されました
例祭は十月十日です

𠮷原神社
祇園牛頭天皇が御祀りしてあります
天正四年 木津庄 賣布神社より分霊をうけ この地の西元祇園の地に御祀りしました 峰山藩の代々にわたる加護尊敬をうけました 元禄十二年稲代神社が現在地に奉遷されるに際し相殿として合祀されました
祇園さんと親しまれてきましたが明治二年に𠮷原神社と改称されました
例祭は七月十四日です
※補足:天正四年=1576年
※補足:元禄十二年=1699年

とある

神社謹製のご祭神の説明によると

本殿にお祀りしてある神様↓
式内社(九二七年の延喜式神名帳に記録のある神社)
稲代神社(いなしろじんじゃ) 祭神 保食神(うけもちのかみ)
祭日 十月十日

式外社(一五七六年)
𠮷原神社(よしはらじんじゃ) 祭神 素戔嗚命(祇園牛頭天王)
祭日 七月十四日

妙婦神社(めふじんじゃ)   祭神 倉稲魂命
祭日 三月十一日
本殿にお祀りしてある神様↑

五柱神社(ごはしらじんじゃ) 祭神 天照皇大神・大巳貴命・倉稲魂命・少彦名命・埴安姫命
今宮神社(いまみやじんじゃ) 祭神 蛭子神(恵比寿)

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、保食神・素盞嗚神・(合祀)倉稻魂神。

垂仁天皇の頃(BC29~70年、諸説あります)邁主命の孫稻別吉佐の吉原にあり此神を祭る。
元禄12年(1699年)社殿建設・遷座・祗園牛頭天皇を合祀(修正)。
享保15年(1730年)造営。
文化2年(1805年)建立。
昭和2年(1927年)丹後震災により全壊。

元の社地は、約330m西南にあたる稻代山。
元祿12年(1699年)元祗園から現在の小字森替に移転。

江戸時代までは「稻荷大明神」「祗園」と呼ばれていた。

現在は「稲代神社・吉原神社」と称している。
吉原神社は天正年中(1573~1592年)長岡玄蕃頭興元の臣正源寺大炊亮、祗園牛頭天皇を合せ祭り。祗園と称した。
祗園牛頭天王を明治2年に吉原神社と改称。
元の社地は、今の場所から約330m西南にあたる稻代山であつたから、その土地が元宮と呼ばれている。
『府神社明細帳』には、氏子たちが道路が狭くて參詣に不便なので、稻代谷にあつたのを、協議の上、遷社と議決し、文化4年(1807年)に今の地点に移したという。

とある。

当地は、峰山の市街地より西へ延びる谷筋の入り口にあたる。
谷筋をさらに西へ進むと咋石嶽(現在は久次岳や真名井嶽とも)の北側に行き着く。
真名井嶽は宇気持神(保食神つまり豊受大御神のこと)の天降地で、山頂に二間四方の岩を神として祀っていたと言われている。

もともと稲代神社は、現在地より西三町(約327メートル)の稲代山にあったということだが、元禄12年(1699年)に現在地に遷座された。
遷座の際に𠮷原神社と合祀され、社格の高い順に稲代神社・𠮷原神社という呼び方になったようだ。
売布神社(妙婦神社、由緒書の表記)は、竹野郡木津庄の売布神社から牛頭天王の分霊を勧請、とあるので元々の売布神社を祀ったものと思われる。
稲代神社の本来のご祭神は保食神だ。

稲代神社へのアプローチは、京丹後市役所本庁舎の前を流れる川沿いに西へ真っ直ぐ。
西へ1.5kmほど進むと道路沿いに新しい石段があるのですぐに分かる。
駐車場は無いので路上駐車させていただくしかない。

現在の稲代神社の社域は、道路より参道や石段がよく見えるが、切り株がたくさん残っていて以前は木々が茂っていたのだろう、近年整備されたようだ。
ゆるい傾斜の石段を登ると鳥居があり、さらに石段を登ると社殿前の広場。
社域は広くはないが、よく整備されていて気持ちが良い。

社殿は割拝殿と覆屋に入った本殿で構成されている。
割拝殿をくぐると、立派な焼杉板を貼られた覆屋で扉は無くオープンな形となっている。

非常に珍しいことだが、覆屋内部には昔の棟札等々の貴重な資料が掲示されており非常に参考になる。
一番古いものでは、天正四年(1576年)の棟札を見ることができる。
個人的には、棟札が写しではないなら、もう少し大事に保存したほうが良いと思った。

本殿は彫り物・組物が非常に立派。
文化2年(1805年)の建築なのか、昭和2年(1927年)の北丹後地震の後に再建されたものかは不明。
地域に大いに愛されて大事にされている様子が見て取れ、こちらまでうれしい気持ちになる神社だ。

江戸時代に祗園牛頭天王と合祀した保食神を祀る神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3