269-060_名木神社

比定社:名木神社

式内社コード:269-060
神名帳社名 :名木神社、ナキノ
社    格:小
所 在 地 :627-0003 京都府京丹後市峰山町内記134
Plus Code  :J3JM+HP 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「なぎじんじゃ」と読む、地名の内記は「ないき」と読む。
内記集落の北の端の山裾に鎮座。
京都府道656号間人大宮線の内記橋交差点より東へ入り300メートルほどで南面した鳥居が見えるので見つけやすい。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

真新しい本殿と古い石灯籠等との対比。

写真

名木神社を正面より望む。道路沿いに鳥居があるので分かりやすい。
名木神社を正面より望む。道路沿いに鳥居があるので分かりやすい。
名木神社を右側より望む。山裾の斜面を削って社域が作られていることが分かる。
名木神社を右側より望む。山裾の斜面を削って社域が作られていることが分かる。
鳥居の扁額には式内とある。
鳥居の扁額には式内とある。
鳥居前の石標には天明七年(1787年)とある。
鳥居前の石標には天明七年(1787年)とある。
鳥居をくぐって階段を登れば本殿がある。周りには古木もある。
鳥居をくぐって階段を登れば本殿がある。周りには古木もある。
本殿を正面より望む。本殿は近年改修されたようで新しい。
本殿を正面より望む。本殿は近年改修されたようで新しい。
本殿(覆屋)を右側より望む。本殿はこの中に鎮座している。
本殿(覆屋)を右側より望む。本殿はこの中に鎮座している。
本殿(覆屋)を左側より望む。すぐ裏の斜面が気になる。斜面がむき出しなので何度も崩れたのではないだろうか。
本殿(覆屋)を左側より望む。すぐ裏の斜面が気になる。斜面がむき出しなので何度も崩れたのではないだろうか。
石灯籠には寛政五年(1794年)とある。少なくても江戸時代からここにあると思われる。
石灯籠には寛政五年(1794年)とある。少なくても江戸時代からここにあると思われる。

感想

由緒書は無いので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、豊宇賀乃咩命。

創祀の年代は不詳
文化8年(1811年)再建。
明治6年(1873年)村社。

江戸時代までは「天酒大明神」と呼ばれていた。

社名は比治山伝説の天女が木によりかかり哭いたことに由来し、哭木神社と記されたが、哭の字を忌みて名木とした。

とある。

当地は、やはり古くから開けた場所のようで周辺は古墳の密集地、1km以内に名木山古墳群・湧田山古墳群・スクモ塚古墳群があり、山林と田畑が多い。
また、北へは間人、西はすぐ峰山、南は大宮と街道筋に当たり交通の要衝にあたる。

名木神社へのアプローチは、京都府道656号間人大宮線の内記橋交差点より東へ入り300メートルほどで南面した鳥居が見えるので見つけやすい。

ご祭神は豊宇賀能咩命である。
創建は不明だが、当社も江戸時代までは天酒大明神と呼ばれていた。
丹波郡の式内社は何らかの形で豊宇賀能咩命と関係があり(九座一神とも言われるようだ)、江戸時代までは天酒大明神と呼ばれていた神社が複数ある。
それだけ酒作りが盛んだったのだろうか、この地域の酒作りを独占するネットワークがあったのかもしれない(個人的見解です)。
かつて、竹野川の東岸の内記の字西尾(または西野)という場所に、天女で天酒大明神である豊宇賀能売命を祀る名木、波弥、多久、矢田、撥枳の五社の神輿が同じ日に、この場所に集まって祭礼を行なったとある。

また名木という名は元は哭木のようで、天女が泣いたからということだが、字を嫌って名木になったようだ。
古代にかかわる地名では読みが重要で、読みに対する漢字の変化はよくあることだ。
今回、神社名は哭木→名木、地名は哭木→内記(よみも変化)、という変化をしていると思われる。

名木神社の社域は広くない、山の斜面を削って作られた社域に本殿があるだけのシンプルな構成となっている。
本殿裏の山の斜面がむき出しとなっており、古くからここに鎮座しているのに対して少し違和感がある。
ひょっとしたらもっと山の上の方にあったのかもしれない(個人的な見解です)。
本殿は近年改修されたようで真新しい。
よく手入れされているようで地域の方々に大切にされている様子が伺える。

天酒大明神の総元締的な神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/8/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100