268-230_大虫神社

比定社:大虫神社

式内社コード:268-230
神名帳社名:大虫神社、オホムシノ
社格:名神大
所在地:629-2413 京都府京都府与謝郡与謝野町温江1821
plus code:F4V8+9X 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

与謝野町温江(あつえ)の集落の奥(東)の山裾に鎮座。
450メートルほど北西に社標あり、150メートルほど北に一の鳥居があるので比較的見つけやすい。
さらに奥(東)へ進むと大江山に連なる山となり、大虫神社と小虫神社の旧社地と伝わる池ケ成(いけがなる)に通じる。
現在の社域は広くはないがこんもりとした森になっていて社叢が豊かに残っている。
神社自体は北西を向いており、社殿は拝殿と本殿の構成、本殿は神明造りのような形式となっている。
神社前に駐車可能。

ハイライト

普通の犬の狛犬。

写真

大虫神社の150メートルほど北にある一の鳥居。鳥居自体は東を向いている。社標には府社とある。かつては2kmほど西に一の鳥居があったらしい。
大虫神社の150メートルほど北にある一の鳥居。鳥居自体は東を向いている。社標には府社とある。かつては2kmほど西に一の鳥居があったらしい。
鳥居前より右側(北)を望む。この方向は加悦方向。
鳥居前より右側(北)を望む。この方向は加悦方向。
鳥居前より左側(南)を望む。この方向は池ケ成(いけがなる)、大江山に連なる山の方向。かつてはこの道が加悦谷と宮津街道を結んでいたのだろうか。
鳥居前より左側(南)を望む。この方向は池ケ成(いけがなる)、大江山に連なる山の方向。かつてはこの道が加悦谷と宮津街道を結んでいたのだろうか。
大虫神社を正面より望む。一の鳥居より150メートルほどの距離。神社自体は北西を向いている。鳥居は両部鳥居になっている。
大虫神社を正面より望む。一の鳥居より150メートルほどの距離。神社自体は北西を向いている。鳥居は両部鳥居になっている。
右側を望む。道路からは脇道へ入るような感じで神社前にアプローチする。
右側を望む。道路からは脇道へ入るような感じで神社前にアプローチする。
左側を望む。神社前に駐車スペースがある。
左側を望む。神社前に駐車スペースがある。
両部鳥居をくぐると広場になっている。狛犬がリアルな犬の形になっているのに注目。
両部鳥居をくぐると広場になっている。狛犬がリアルな犬の形になっているのに注目。
広場の右側にはなにもない。大きな岩が見えるが特に祀られていない。
広場の右側にはなにもない。大きな岩が見えるが特に祀られていない。
広場の左側には社務所がある。
広場の左側には社務所がある。
拝殿を左側より望む。拝殿前には狛犬が2組ある。
拝殿を左側より望む。拝殿前には狛犬が2組ある。
拝殿に近い方の山犬型の狛犬。ちょっとかわいい。たぶん合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう。
拝殿に近い方の山犬型の狛犬。ちょっとかわいい。たぶん合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう。
拝殿には由緒書が掛かっている。が、全部漢字…。お寺のお堂のような拝殿だ。明治14年に再建。
拝殿には由緒書が掛かっている。が、全部漢字…。お寺のお堂のような拝殿だ。明治14年に再建。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は1段高い位置にある。見えにくいが神明造りのような建物だ。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は1段高い位置にある。見えにくいが神明造りのような建物だ。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は山林で豊かな社叢だが古木は見えない。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は山林で豊かな社叢だが古木は見えない。
拝殿より両部鳥居を望む。
拝殿より両部鳥居を望む。

感想

拝殿に掲げられた由緒書によると

本社祭神大已貴命
或日大山咋命檢合
託文徳寛録斎衡二
年正月二十五日載
丹波國大蟲神社加
従四位下之■延喜
式神名帳亦掲名神
大垂跡之古可以■
社殿元在大江山山
腹池成後遷之千今
地住昔用明皇子
麻呂子親王征鬼賊
也過此地拝社殿自
作神像奉献之以祈
鬼賊調伏云也旦神
威顕手重遣近来拝
春年加其多■■麗
光郷人長仰其包頼
云雨
明治二十九年七月
■銘読めず
※補足:■は読めない字
※補足:消えかかっており間違っている箇所があるかもしれません

とある

ご祭神は大已貴命、あるいは大山咋命でよく分からないようだ。
当初は大江山の山腹の池ケ成(いけがなる)に虫宮(むしのみや)として鎮座していた。
室町時代に池ケ成から現在地へ遷座とある。
江戸時代まで規模が大きく2kmほど西に一の鳥居があったということだ。
明治10年に社殿を焼失、14年に再建、268-070_阿知江神社(ご祭神:少童命)と床浦神社(ご祭神:大田命)を合祀している。

残念ながら今は江戸時代までのかつての勢いは見ることはできないが興味深い神社であることは間違いない。
室町期に現在地へ遷座であるから延喜式神名帳の時代は池ケ成にあったことになる。
池ケ成は現在ではキャンプ場があるだけの場所だが加悦谷からは直線でも3kmほど離れていて不便な場所だ。
こんな山の上の神社に名神大社を与えたというのはどういう理由なのだろうか。
加悦谷と宮津街道を結ぶ交通の要衝だったのかもしれない。
それとも池ケ成の周辺でなにかの鉱物が採れていたのだろうか。
詳細は不明だ。

現在の社域は広大ではないが社叢が豊かでこんもりした森になっている。
社殿は北西を向いているが理由は分からない。
明治14年に再建された拝殿は寺のような造り、本殿は神明造りのような造りとなっている。
拝殿に漢字で書かれた由緒書が掛かっているので内容を転記してみたが読めない部分もあるので参考程度にしていただきたい。
狛犬は合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう山犬型の狛犬となっている。

現在の当社の様子は少々もの寂しげだ、当地域ではかつて勢いのあった名神大社なのでもっと盛り上げてほしいと思う。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/4/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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