268-070・268-230_大虫神社(与謝野町温江)

比定社:合祀:大虫神社(与謝野町温江)

式内社コード:268-070
神名帳社名 :阿知江神社、アチエノ
社    格:小

比定社:大虫神社(与謝野町温江)

式内社コード:268-230
神名帳社名 :大虫神社、オホムシノ
社    格:名神大
所 在 地 :629-2413 京都府与謝郡与謝野町温江1821
Plus Code  :F4V8+9X 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「おおむしじんじゃ」と読む、地名の温江は「あつえ」と読む。
温江集落の奥(東)の山裾に鎮座。
450メートルほど北西に社標あり、150メートルほど北に一の鳥居があるので比較的見つけやすい。
神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

普通の犬の狛犬。

写真

大虫神社の200メートルほど北にある一の鳥居。鳥居自体は東を向いている。社標には府社とある。かつては2kmほど西に一の鳥居があったらしい。
大虫神社の200メートルほど北にある一の鳥居。鳥居自体は東を向いている。社標には府社とある。かつては2kmほど西に一の鳥居があったらしい。
鳥居前より右側(北)を望む。この方向は加悦方向。
鳥居前より右側(北)を望む。この方向は加悦方向。
鳥居前より左側(南)を望む。この方向は池ケ成(いけがなる)、大江山に連なる山の方向。かつてはこの道が加悦谷と宮津街道を結んでいたのだろうか。
鳥居前より左側(南)を望む。この方向は池ケ成(いけがなる)、大江山に連なる山の方向。かつてはこの道が加悦谷と宮津街道を結んでいたのだろうか。
大虫神社を正面より望む。一の鳥居より200メートルほどの距離。神社自体は北西を向いている。鳥居は両部鳥居になっている。
大虫神社を正面より望む。一の鳥居より200メートルほどの距離。神社自体は北西を向いている。鳥居は両部鳥居になっている。
右側を望む。道路からは脇道へ入るような感じで神社前にアプローチする。
右側を望む。道路からは脇道へ入るような感じで神社前にアプローチする。
左側を望む。神社前に駐車スペースがある。
左側を望む。神社前に駐車スペースがある。
両部鳥居をくぐると広場になっている。狛犬がリアルな犬の形になっているのに注目。
両部鳥居をくぐると広場になっている。狛犬がリアルな犬の形になっているのに注目。
広場の右側にはなにもない。大きな岩が見えるが特に祀られていない。
広場の右側にはなにもない。大きな岩が見えるが特に祀られていない。
広場の左側には社務所がある。
広場の左側には社務所がある。
拝殿を左側より望む。拝殿前には狛犬が2組ある。
拝殿を左側より望む。拝殿前には狛犬が2組ある。
拝殿に近い方の山犬型の狛犬。ちょっとかわいい。たぶん合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう。
拝殿に近い方の山犬型の狛犬。ちょっとかわいい。たぶん合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう。
拝殿には由緒書が掛かっている。が、全部漢字…。お寺のお堂のような拝殿だ。明治14年(1881年)に再建とある。
拝殿には由緒書が掛かっている。が、全部漢字…。お寺のお堂のような拝殿だ。明治14年(1881年)に再建とある。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は1段高い位置にある。見えにくいが神明造りのような建物だ。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は1段高い位置にある。見えにくいが神明造りのような建物だ。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は山林で豊かな社叢だが古木は見えない。
拝殿と本殿を左側より望む。周囲は山林で豊かな社叢だが古木は見えない。
拝殿より両部鳥居を望む。
拝殿より両部鳥居を望む。

感想

拝殿に掲げられた由緒書によると

本社祭神大已貴命
或日大山咋命檢合
託文徳寛録斎衡二
年正月二十五日載
丹波國大蟲神社加
従四位下之■延喜
式神名帳亦掲名神
大垂跡之古可以■
社殿元在大江山山
腹池成後遷之千今
地住昔用明皇子
麻呂子親王征鬼賊
也過此地拝社殿自
作神像奉献之以祈
鬼賊調伏云也旦神
威顕手重遣近来拝
春年加其多■■麗
光郷人長仰其包頼
云雨
明治二十九年七月
■銘読めず
※補足:消えかかっており間違っている箇所があるかもしれません

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大己貴命・太田命・少童命。
斎衡2年(855年)従四位下(修正)。
正応元年(1288年)14町7反236歩の神田を有す。
室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座。
明治10年(1877年)社殿を焼失(追加)。
明治14年(1881年)社殿再建、式内阿知江神社合祀(修正)。
明治41年(1908年)神饌幣帛料供進社指定。
大正7年(1918年)府社。

大江山の中腹の池ケ成の地に小虫神社とともに鎭座。
室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座。

往昔大己貴命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼が現れ、その毒気に当てられた姫が病気に罹り大己貴命が嘆いていると、小虫神社の祭神である少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出して姫は回復したが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大己貴命は「大虫」を名乗って体外から病を治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになったという。
また、用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山にいた土蜘蛛という鬼賊を征伐するに際して、自ら刻んだ神像を納めて立願したという伝説があり、他に億計王(おけのみこ。後の仁賢天皇)と弘計王(をけのみこ。後の顕宗天皇)が即位前に潜伏したとも伝えられている。
大虫神社は往古は大江山の池ケ成に鎮座していたが中世になつて今の地に遷したとの伝承がある。
本来この地は式内社の阿知江神社の地であつたのを、遷つてきた大虫神社が踏襲し、逆に大虫神社の名称のみが残つたという可能性もある。

とある。

ご祭神は大已貴命、あるいは大山咋命という説もある。
明治期の合祀の関係で、現在のご祭神は大己貴命・少童命(阿知江神社)・太田命(床浦神社)となっている。

当地は、古くから開けていた地域のようで周囲には古墳が非常に多い地域。
かつての鎮座地は、大江山の山腹の池ケ成(いけがなる)に虫宮(むしのみや)として鎮座していた。
室町時代に池ケ成から現在地へ遷座とある、延喜式神名帳の時代は池ケ成にあったことになる。
池ケ成は、現在ではキャンプ場があるだけの場所だが、加悦谷からは直線でも3kmほど離れていて不便な場所だ。
こんな山の上の神社に名神大社を与えたというのはどういう理由なのだろうか。
かつては、加悦谷と宮津街道を結ぶ交通の要衝だったのかもしれない。
それとも池ケ成の周辺でなにかの鉱物が採れていたのだろうか。
現在の地名の温江(あつえ)は、かつての謁叡郷(あちえ)の転訛だと思われ、合祀されている阿知江神社とも通じる。

大虫神社へのアプローチは、国道176号線の温江の交差点を東へ兵庫県道・京都府道705号中藤加悦線に入る。
途中で兵庫県道・京都府道705号中藤加悦線からそれ1本南側の道路を進む。
途中で社標のみが建っている場所があり社標の左を進む、さらに行くと右に社標と一の鳥居があるので比較的分かりやすい。
一の鳥居からは200メートルほど、国道176号線から1.9kmほどで到着。
現在の一の鳥居は北東を向いている、社域全体は南西向きで北西方向より回り込む形になる。
さらに奥(東)へ進むと大江山に連なる山となり、大虫神社と小虫神社の旧社地と伝わる池ケ成(いけがなる)に通じる。
かつて江戸時代まで規模が大きく2kmほど西に一の鳥居があったという。
思うに各々の鳥居や社域の位置関係や向きがバラバラだ。

現在の社域は広くはないがこんもりとした森になっていて社叢が豊かに残っている。
両部鳥居となっている二の鳥居をくぐると広場があり左に参集殿がある。
さらに1段登ると拝殿があり、狛犬は合祀された阿知江神社の犬の伝説にちなんでいるのだろう、山犬型の狛犬となっている。

社殿は明治14年(1881年)に再建したもので、立派な拝殿と回廊で繋がる神明造りのような本殿で構成される。
再建時には、阿知江神社(ご祭神:少童命)と床浦神社(ご祭神:大田命)を合祀している。
拝殿に漢字で書かれた由緒書が掛かっているので内容を転記してみたが、読めない部分もあるので随分歯抜けになってしまった…。

今の感覚で言うと、すごい山の中に鎮座していた神社が里に遷座するということは時々ある。
氏子が少なくなってきたとか、行くのに難儀するとか、といった理由が付くことが多い。
また時代とともに街道筋から外れてしまい人々の往来が少なくなったということもあるだろう。
古代において、虫宮は重要な街道筋に鎮座していたに違いない。
だが、時代とともに他の街道筋が発達し使われなくなったのだろうと思う(個人的見解です)。
しかし、よほど重要な場所だったのだろう、さらにこのことを朝廷側も認識しており名神大としたと思われるが詳細は不明だ。
室町期に里へ遷座の際に、虫宮として一つだったのが大虫神社と小虫神社に分かれたのは、当時の人々から人気抜群だったことを思わせる。
さらに、ここに大已貴命が住んでいたということも大いに気になる。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
温江区では大虫神社・小虫神社が参加し、祭りの説明書きには次のようにある。
”神楽と太刀振りが地区内を巡ります。神楽は、伊勢太神楽系で、演目は、「ツルギ」「スズ」「オコリ」の3種があります。太刀振りは「ホンブリ」「ミチブリ」「ダンブリ」の3種があります。”
物理的な社域・社殿もそうだが、こうした無形の文化面の継承も長く続けてほしいと思う。

大已貴命が住んでいたと言われる重要な名神大社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2019/4/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3