比定社:天照玉命神社
式内社コード:265-030
神名帳社名 :天照玉命神社、アマテルタマノ-
社 格:小
所 在 地 :620-0953 京都府福知山市今安961
Plus Code :73XR+3G 福知山市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
あまてるたまのみことじんじゃと読む。
今安の集落の中の平地に鎮座。
周囲は田畑と人家で裏はすぐ和久川となっており堤防となっている。
思うに洪水とかは無かったのだろうか、和久川はおとなしい川だったのだろうか。
神社前に駐車スペースがある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
享保年間に作られた校倉造の宝庫。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
祭神は天火明命(饒速日命)
社格は元郷社延喜式内の古社で天田四座の一にして創建は人皇第十三代成務天皇(四世紀)の御代丹波国造大倉岐命が宗家の祖先を祀られたものである その後戦国時代の混乱と荒廃により一時期衰微していたが承応二年(一六五二)時藩主松平主殿守忠房公は崇敬の念特に篤く同年十一月荘厳な本殿及び拝殿を建立された
現在の建物は大正九年氏子の寄進により三ケ年の歳月を費やして再建したものである
尚本殿西に現存の校倉造の宝庫は近在唯一のもので享保十四年(一七一六)の造営によるもので非常に高い文化資料と称されている
当神社は五穀豊饒(穂明)神としても名高く豊富庄を中心とした十三地区民の崇敬をあつめ雨乞いの練り込みは今もって我々の記憶に新である
例祭は十月十日
丹波忠重朝臣の和歌
大江山昔のあとの絶えせぬば
天照神もあわれとや見む
天照玉命神社社務所
※補足:承応二年=1653年
※補足:享保十四年=1729年
とある。
神社謹製の石碑によると
天照玉命神社
祭神 丹波国造の先祖天日明命 別名天照国照彦火明天櫛玉饒速日命
祭礼 十月十日
社殿境内 徳川時代神祇崇敬の念深かった福知山藩主により社殿造営社領寄進絶えず祈雨五穀豊穣病気平癒等の祈願所となり特に承応二年(一六五三)藩主松平忠房公は荘厳な本殿拝殿を修造した
現在の社殿は大正九年(一九二〇)三ヵ年の歳月を費やして再建されたもの本殿西の校倉造の宝庫は享保十四年(一七二九)に建立された近在では唯一のもので高度な文化的価値を持つ
本殿西側には他に八神社東側には九神社の小宮を祭る 社格制度制定により明治五年(一八七二)郡内首位として郷社に列れられ爾来近郷の総氏神として崇敬されている
とある
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、天照国照彦・天火明櫛玉饒速日尊。
成務天皇の代(131~190年、諸説あり)丹波国造大倉伎命が祖神を祀る(年代追加)。
大同3年(808年)丹波直人この宮に仕える。
延慶2年(1309年)藤原長清撰の『夫木集』に記載。
文安6年(1449年)中原康富教典奉納。
承応2年(1653年)本社の社殿を修造。
享保14年(1729年)朽木玄綱造営。
大正9年(1920年)造営。
江戸時代までは「和久神社」と呼ばれていた。
とある。
なかなかに興味深い神社。
創建についても諸説あるようだが、成務天皇の時代(131~190年、諸説あり)に丹波国造大倉岐命が宗家の祖先を祀ったとある。
天照玉命神社という名称や丹波国造の関係だと思うが「元伊勢(内宮)」というお話もあるようだ。
また、雨乞いの神様としても有名だったようだ。
和久川流域のこの地域は古くから開けていたようで遺跡がたくさんある。
それだけに天照玉命神社の鎮座は古く、そして当地に根付いていて、それが現代にも続いているのではないかと想像を巡らすのだった。
そして農作物の生育を願って雨乞いの祈りも捧げられたのだろう。
社域には大木・巨木も数多くある。
本殿は大正九年に再建されたものとあり状態も非常に良い。
大切にしたい神社だと思った。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。