308-020_(論)可美真手命神社

比定社:(論)可美真手命神社

式内社コード:308-020
神名帳社名 :物部神社、モノノヘノ
社    格:小
所 在 地 :651-2207 兵庫県神戸市西区押部谷町細田132
Plus Code  :P2W9+63 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「うましまでのみことじんじゃ」と読む、地名の押部谷町細田は「おしべだにちょうさいた」と読む。
細田集落の南端の小高い丘に鎮座、押部谷住吉神社を目指していくのが良い。
押部谷住吉神社の南の兵庫県道83号平野三木線沿い南側の細田住吉前バス停より徒歩でアプローチ。
バス停より丘に登る道を登る左に曲がり未舗装路を徒歩で50メートルほどで鳥居前。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

小高い丘に南向けに鎮座しているところ。

写真

兵庫県道83号平野三木線より(論)可美真手命神社のある小高い丘を望む。右が平野、左が押部谷方面。右側(北)に「押部谷 住吉神社」がある。
兵庫県道83号平野三木線より(論)可美真手命神社のある小高い丘を望む。右が平野、左が押部谷方面。右側(北)に「押部谷 住吉神社」がある。
細田住吉前バス停が目印となる。「押部谷 住吉神社」の看板がある右に登る坂道を入っていく。
細田住吉前バス停が目印となる。「押部谷 住吉神社」の看板がある右に登る坂道を入っていく。
坂を登り左に曲がるとすぐに鬱蒼とした道になる。しばらく行くと左側に鳥居が見えてくる。
坂を登り左に曲がるとすぐに鬱蒼とした道になる。しばらく行くと左側に鳥居が見えてくる。
左手に鳥居が現れる。南面して鳥居があり奥に社殿が見える。アプローチはなかなかワイルドだ。
左手に鳥居が現れる。南面して鳥居があり奥に社殿が見える。アプローチはなかなかワイルドだ。
鳥居前より右側(東)を望む。この先は道がない。
鳥居前より右側(東)を望む。この先は道がない。
鳥居前より来た方向(北)を振り返る。
鳥居前より来た方向(北)を振り返る。
鳥居をくぐると鬱蒼とした木立の中に社殿。
鳥居をくぐると鬱蒼とした木立の中に社殿。
社殿前へ到着。小さな社殿がひとつだけ、手水鉢も無い。
社殿前へ到着。小さな社殿がひとつだけ、手水鉢も無い。
社殿前より右側(東)を望む。見る限り何もない。永禄2年(1559年)住吉神社(押部谷 住吉神社)が現鎮座地へ遷座するまではここにあったという痕跡は何もない。
社殿前より右側(東)を望む。見る限り何もない。永禄2年(1559年)住吉神社(押部谷 住吉神社)が現鎮座地へ遷座するまではここにあったという痕跡は何もない。
社殿前より左側(西)を望む。こちらも見渡す限り見る限り何もない。
社殿前より左側(西)を望む。こちらも見渡す限り見る限り何もない。
社殿を正面より望む。こんなところにある割には状態の良い、よく手入れされた社殿。
社殿を正面より望む。こんなところにある割には状態の良い、よく手入れされた社殿。
住吉神社(押部谷 住吉神社)謹製の案内書き。画鋲で固定されている。
住吉神社(押部谷 住吉神社)謹製の案内書き。画鋲で固定されている。
社殿を右側より望む。
社殿を右側より望む。
社殿を右側真横より望む。
社殿を右側真横より望む。
社殿の左後方より鳥居を望む。
社殿の左後方より鳥居を望む。
社殿を左真横より望む。シンプルだ。
社殿を左真横より望む。シンプルだ。
社殿前より鳥居を望む。神社ってこれが本来の形なのかもしれない。
社殿前より鳥居を望む。神社ってこれが本来の形なのかもしれない。
鳥居前よりもと来た道を引き返す。
鳥居前よりもと来た道を引き返す。
右へ曲がって舗装路へ出たところ。小高い丘になっているのがよく分かる。
右へ曲がって舗装路へ出たところ。小高い丘になっているのがよく分かる。

感想


神社謹製の由緒書によると

可美真手命神社(うましまでのみことじんじゃ) 御案内

御祭神
 可美真手命(うましまでのみこと)
御神徳
 石をも切り裂く剱の御神徳で
 「腫れ物」や「できもの」を治して
 下さる神様。
 体内の腫瘍、例えばがん等の治癒のため多くの方々が参拝し、崇敬して
 いる神様です。
創建
 西暦一四九年 三月九日(成務天皇 十九年)
御由緒
 当神社は成務天皇十九年(一四九年)三月九日
 に創建されたと伝えられる一八〇〇年以上の
 歴史を持つ神社です。
 延喜式神名帳にその名の見える「物部神社」で
 あります。

 天平勝宝六年(七五四年)九月十三日に摂津国
 住吉大社の社家「津守連(つもりのむらじ)」が
 盾神・鉾神と共に住吉大神を勘定したと伝えら
 れる押部谷 住吉神社最初の鎮座地であり、
 現社地を「宮山(みやま)」また「元住吉山」と
 称します。

 昭和三年直良信夫氏の調査では段丘裾部から
 縄文土器が発見され、「元住吉山遺跡」と名付け
 西日本における縄文時代後期後半の標本遺跡と
 なっています。

御祈祷のご案内
 当社御祭神の御神徳である
 「腫れ物」「できもの」「がん」などの治癒の
 ため病気平癒祈祷を押部谷 住吉神社にて
 行っております。
 詳しくは押部谷住吉神社社務所まで
 お問い合わせ下さい。

【押部谷 住吉神社 社務所】

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、可美眞手命。

成務天皇19年(149年)3月9日創立。
永禄2年(1559年)住吉神社(押部谷 住吉神社)が6月29日に現在の宮地へ遷座、追加。
寛政11年(1799年)6月絵図に記載。

江戸時代までは「物部明神」と呼ばれていた。

この地は細田住吉神社の旧社地とされ、社伝によると、住吉神社は天平勝宝6年(754年)宮山に勧請され、永禄2年(1559年)に、宮山の高台から対岸の川べりの現在地に移っている。
今のこの可美真手命神社のある地が元々摂津住吉神社の社家である津守連が住吉神社を勧請したところであって後に住吉神社が現在地に遷座されたあと本宮として残された場所であるということである。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:可美真手命(カミマテノミコト)

祭記事:
 祭礼としては、2月17日に、住吉神社の祈年祭に併せ可美真手命神社祭を斎行し、参列した押部谷町各地区総代と平野町常本地区の役員十数名が、山上に登り参拝のみ行なっている。

由緒:
 当社は、押郡谷町細田に鎮座する住吉神社の東、標高40メートルの小高い山上に鎮座しており、成務天皇19年(149)3月9日の創建と伝えられ、『延書式』にいう物部神社である。
 社地は山林1町8反9畝18歩を有し、この山を「宮山」または「元住吉山」と称し、天平勝宝6年(754)9月13日、摂津国住吉大社の社家であった津守連が、楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請した最初の鎮座地で、現在は小さな御社のみが建っている。
 この元住吉山は、昭和3年(1928)に、直良信夫氏の調査によって、段丘裾部から縄文土器が発見され、「元住吉山遺跡」と名付けられ、西日本における縄文時代後期後半の標本遺跡となっている。
 昭和50年(1975)の道路建設に伴う調査では、頂上平坦部より、弥生時代中期から後半にかけての土墳墓と考えられる遺構が発見され、更に、昭和58年(1983)の調査でも、縄文時代後期後半の土器が出土している。

とある。


(論)可美真手命神社のある当地は明石川流域の谷筋にある。
周囲には、日吉谷群集墳・西区№37遺跡・西区№38遺跡・道心山群集墳・池谷群集墳・西区№45遺跡・寺谷群集墳・細田遺跡・住吉神社遺跡・元住吉山遺跡・元住吉山群集墳などがあり古くより開けた地域だと考えられる。

(論)可美真手命神社の現在地は、「押部谷 住吉神社」のすぐ南の小高い丘にあり、ここは「押部谷 住吉神社」の元の鎮座地となる。
「押部谷 住吉神社」の社伝によると
『当神社は天平勝宝6年(754年)、摂津の国住吉神社の社家、津守連(つもりのむらじ)が 楯神・鉾神と共に宮山『今の元住吉山』に勧請したのが創まりと伝えられています。その後、疫病が流行し、そのうえ五穀が実らぬ年が続いたので村人らは御神託により、 永禄2年(1559年)の6月29日に現在の宮地に移遷しました。』
とある。
古代山陽道との関係で言えば、須磨駅家と明石駅家の間に位置しているが荒天時の北側への迂回路を取ったとしても古代山陽道からは少し離れている。

(論)可美真手命神社のご祭神は、可美真手命(うましまでのみこと)。
可美真手命(うましまでのみこと)は、物部氏の祖「饒速日命」の子にあたる人物で宇摩志麻遅命・味間見命とも表される。
社伝にある津守連との関係はよく分からない。

(論)可美真手命神社の鎮座地は現在の「押部谷 住吉神社」の南東200メートルほどの小高い丘の上に鎮座しているのだが、アプローチはかなり分かりづらい。
兵庫県道83号平野三木線沿い南側の細田住吉前バス停の裏手に丘に登る道を入っていく。
クルマでは通れないので徒歩でのアプローチとなる。
舗装路を登っていくとすぐに左に折れ未舗装路となり鬱蒼とした雑木林の中を進む。
すると左手に鳥居が現れるのでここが神社だと分かる。

鳥居やコンクリート製の階段は新しい、神社自体は南を向いている。
鳥居前からはいかにも古墳がありそうな小高い丘になっている様子がよく分かる。
鳥居をくぐると木々の向こうに社殿が見える。
神社自体の建築物としては鳥居と社殿のみのシンプルなものだ。
元々は南からのアプローチができたのだろうが、現在ではその参道の痕跡は見つけることができなかった。
だが「押部谷 住吉神社」の元鎮座地として管理されていることで現代に引き継がれているのだなと感じた。

明石川流域に物部氏の祖である可美真手命を祀る神社。

注意点

アプローチは未舗装で荒れているので注意。

訪問ノート

訪問日 :2022/6/26
交通手段:クルマで訪問
カメラ :E-M1 MarkII + M.ZUIKO DIGITAL ED7-14mm F2.8 PRO