比定社:(論)堅田神社(神戸市西区)
式内社コード:308-050
神名帳社名 :弥賀多多神社、ミカタタノ
社 格:小
所 在 地 :651-2261 兵庫県神戸市西区平野町堅田491
Plus Code :P2G5+G6 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「かただじんじゃ」と読む、地名の平野町堅田は「ひらのちょうかただ」と読む。
兵庫県道83号平野三木線の堅田橋を東へ渡り700メートルほど突き当りを左(北)へ曲がると右手(東)に2つの看板。
「延喜式内社 弥山 弥賀多多神社 堅田神社」と「真言宗 梵天山 宝珠寺」の間を進むとすぐ。
看板からすぐ左手に神社への参道と思われる道と石段が現れ駐車スペースがある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
宝珠寺との位置関係。
写真
感想
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、猿田彦命・素盞嗚尊・大己貴命・皇大神。
天元2年(979年)正月11日創祀。
寛文4年(1664年)造営。
江戸時代までは「大梵天王宮」と呼ばれていた。
堅田神社を弥賀多多神社に比定する説と、境内社弥賀多多神社を比定する説がある。
弥賀多多神社は弘仁6(815)年勅願寺梵天山宝珠寺鎮守の社として創建され、延喜2(903)年延喜式内社弥賀多多神社と称す。
天元2年(979)正月11日神戸市垂水区(旧明石郡)櫨谷町長谷75番地鎮座郷社諏訪神社より勧請したと伝えられる。
堅田神社に隣接する旧別当寺院宝珠寺の大師堂に奉祀する金幣の幣串に「大梵天王」の金字が記されている。この金幣は、明治初年堅田神社から奉遷したもので、この時村人数十人に夢のお告げがあつて、再び神社に帰りたくないとのことであつたと伝える。恐らくは旧御神体であつたのであろう。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:大己貴命(オオナムチノミコト)
配祀神:猿田彦命(サルタヒコノミコト)・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・皇太神(スメオオカミ)・素盞嗚尊(スサノオノミコト)
祭記事:
例祭は、太陰暦の10月18日であったが、太陽暦の10月18日となり、現在は、自治会の申し合わせで10月体育の日の前日となっている。
神事に青年団奉仕の「獅子舞」があったが、今はない。現在は、「子ども相撲」を奉納している。
境内には、稲荷社と弥賀多多神社がある。
由緒:
当社は、天元2年(979)正月15日の創建と伝えられる。
神前手洗石に、「天文6年(1537)酉正月吉日」、また数基の石灯籠に「宝暦七丑年(1757)8月吉日」、「寛政元酉年(1798)8月吉日」、「嘉永二己酉年(1849)」、「嘉永七寅年8月吉日」、また、鳥居には「享和2年(1802)戌8月吉日」の銘が刻まれている。
本殿は、桧皮葺き入母屋造で、幣殿は萓葺き切妻造で、拝殿は瓦葺き入母屋造である。
長納屋、鳥居、数基の石灯籠もあって、広い境内と杜を有し、市民公園として親しまれている。
近年、西神ニュータウンの発展と、隣接している関係から(神戸高塚高校から徒歩3分)、その地区からの参拝者も増えている。
黒田地区、繁田地区の堅田神社は当堅田神社が分かれたものであるといわれている。
とある。
(論)堅田神社のある当地は明石川の東岸、河岸段丘の中段あたりにあたる場所。
河岸段丘の上段(東側)は西神ニュータウンとして開発されている。
古くより開けた場所のようで周囲には、堅田遺跡・堅田神社古墳群・西神N.T.№30~№33遺跡・西神N.T.№28・№29遺跡・西神N.T.№34・№35遺跡などがある(兵庫県考古博物館資料による)。
(論)堅田神社はすぐ南側の宝珠寺と関係が深く、先に勅願寺として宝珠寺が創建されその寺院のために堅田神社が創建された鎮守社である。
ちなみに先に神社が創建され後で寺院が創建される場合は神宮寺と呼ぶ。
(論)堅田神社のご祭神は、
「延喜式神社の調査」によると猿田彦命・素盞嗚尊・大己貴命・皇大神
「兵庫県神社庁」によると主祭神:大己貴命、配祀神:猿田彦命(サルタヒコノミコト)・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・皇太神(スメオオカミ)・素盞嗚尊(スサノオノミコト)
となっており見解が分かれている。
(論)堅田神社へのアプローチはそれほど難しくはない。
明石川西岸を通る兵庫県道83号平野三木線の堅田橋を東へ渡り700メートルほど突き当りまで直進する。
ここから左(北)へ曲がりしばらく行くと右手(東)に2つの看板が出てくる。
看板には「延喜式内社 弥山 弥賀多多神社 堅田神社」と「真言宗 梵天山 宝珠寺」とある。
看板からすぐ左手に神社への参道と思われる道と石段が現れる。
石段の手前にありがたいことに駐車スペースがある。
石段から登ると(論)堅田神社の横から入る形となる。
(論)堅田神社の社域自体は南を向いており、その先には宝珠寺がある。
鳥居は南側にあり、鳥居のすぐ奥には立派な社務所・老人憩いの家がある、この建物は非常に新しい。
さらに社域には遊具が設置してあり堅田市民公園として開放されているが普段は人が少ないようだ。
記録によると摂社・末社として稲荷社・弥賀多多神社があるようだが、稲荷社は分かったが弥賀多多神社については表示がなくどれがそうなのか分からなかった。
式内社としては堅田神社を弥賀多多神社に比定する説と、境内社弥賀多多神社を比定する説があるとのことだ。
これについては結論が出ていないようだ。
宝珠寺の鎮守社としての成り立ちを持つ神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2020/4/19
交通手段:クルマで訪問
カメラ :EOS80D + TAMRON 10-24mm F/3.5-4.5 Di II VC HLD B023
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。