044-010_為那都比古神社

比定社:為那都比古神社

式内社コード:044-010
神名帳社名:為那都比古神社 二座、イナツヒコノ
社格:小
所在地:562-0027 大阪府箕面市石丸2丁目10-1
plus code:RFQW+VX 箕面市、大阪府
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アプローチ&ロケーション

国道171号線の今宮交差点を北へ600メートルほど入った丘陵地に鎮座。
南側80メートルほどの場所にある中学校のところに石灯籠がある。
かつてはもっと参道が長かったのではないだろうか。
社域はかなり広く建物の配置に余裕がある、全体的に非常に新しく古いものはほとんど無いようだ。
駐車場完備。

ハイライト

非常にきれいに保たれている社域。

写真

為那都比古神社を正面より望む。国道171号線の北側の丘陵地に鎮座。
為那都比古神社を正面より望む。国道171号線の北側の丘陵地に鎮座。
右側(東)を望む。周囲は住宅と商業地が混在。かなり向こうまで社域が続いているのが分かる。
右側(東)を望む。周囲は住宅と商業地が混在。かなり向こうまで社域が続いているのが分かる。
正面(南)を望む。正面100メートルほど先に見えるのが中学校で石灯籠がある。かつての参道はもっと長かったのではないかと思われる。
正面(南)を望む。正面100メートルほど先に見えるのが中学校で石灯籠がある。かつての参道はもっと長かったのではないかと思われる。
左側(西)を望む。止まれの向こうに道路、そのまた向こうに企業の研修センター。
左側(西)を望む。止まれの向こうに道路、そのまた向こうに企業の研修センター。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
鳥居をくぐると石畳の参道が続く。よく整備されている。
鳥居をくぐると石畳の参道が続く。よく整備されている。
参道を進むと正面に山門が見えてくる。左手に駐車場がある。
参道を進むと正面に山門が見えてくる。左手に駐車場がある。
山門より拝殿を望む。
山門より拝殿を望む。
山門をくぐると右手に由緒書と手水舎。
山門をくぐると右手に由緒書と手水舎。
左手には非常に立派な社務所がある。
左手には非常に立派な社務所がある。
神社謹製の由緒書。ご祭神は爲那都比古大神、爲那都比売大神とある。由緒はなかなか複雑なようだ。
神社謹製の由緒書。ご祭神は爲那都比古大神、爲那都比売大神とある。由緒はなかなか複雑なようだ。
明治40年に合祀した際の記念碑。合祀100年とある。
明治40年に合祀した際の記念碑。合祀100年とある。
西側にも鳥居がある。
西側にも鳥居がある。
手水舎。
手水舎。
江戸時代の並河誠所による社標がある。
江戸時代の並河誠所による社標がある。
拝殿を正面より望む。
拝殿を正面より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿を右側より望む。右手には天満宮社が鎮座する。
拝殿を右側より望む。右手には天満宮社が鎮座する。
拝殿内部を望む。非常にきれいに保たれている。
拝殿内部を望む。非常にきれいに保たれている。
本殿を右側より望む。よく見えないのが残念。
本殿を右側より望む。よく見えないのが残念。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
拝殿より山門を望む。社域は非常にきれい。
拝殿より山門を望む。社域は非常にきれい。
山門より鳥居を望む。
山門より鳥居を望む。
駐車場は30台くらい駐車可能。
駐車場は30台くらい駐車可能。

感想

神社謹製由緒書によると

爲那都比古神社社記
御祭神
 主神
  爲那都比古大神
  爲那都比売大神
 合祀
  天照皇大神 大山咋神 木花咲耶姫神
  天児屋根命 火之迦具土神 菅原道真公
御鎮座地
 大阪府箕面市白島八百三十番地
御由来
 当神社ハ攝津国ノ古社デ今ヲ去ル一千七百年以前ニアッタ部族国家「爲那国」ノ中心地デ爲那国ヲ統括シタ爲那氏族ノ守護神トシテ祀ラレタト伝承サレ日本紀ノ仁徳天皇三十八年ノ條ニ代代氏神トシテ奉ッタト記サレ 醍醐天皇ノ延長五年ニ左大臣藤原忠平等ニヨリ撰出サレタ法制書「延喜式神名帳」ニ官幣ヲ奉ッタ神社トシテ御名ガ見ヘル 往古ヨリ縁結ビノ神土地守護ノ神トシテ崇敬篤ク通称「萱野ノ大宮」トシテ著名デアル
明治四十年旧萱野村十ヶ村ノ産土神十社ガ当神社ニ合祀サル。
昭和五十七年十月吉日
爲那都比古神社

国の指導により明治四十年に旧萱野村内に御鎮座の次の神社が、この爲那都比古神社に合祀されました。
大宮神社(爲那都比売大神)白鳥
天満宮社(菅原道真公)今宮
三王神社(大山咋神)石丸
神明社(天照皇大神)外院
木本神社(木花咲耶姫神)芝
春日神社(天児屋根命)芝
大神神社(天照皇大神)稲
爲那神社(猪名津彦大神)稲
神明社(天照皇大神)西宿
愛宕神社(火之迦具土神)
合祀百年を記念して碑を建立する。
平成二十一年十月吉日
爲那都比古神社

とある

当社の元の鎮座地は西に1kmほどの白鳥で創建時期は不明。
当初は現在と同じように二柱が同じ場所にあったようだが寛平年間に爲那都比売大神が大宮神社に分かれた。
その際に爲那都比古大神は石丸に分祀遷座したようだ、爲那都比古大神と爲那都比売大神が離れ離れになってしまった…。
その後、明治40年に爲那都比古大神と爲那都比売大神を合祀し同じ社殿に祀られたということだ。
寛平年間を898年とすると明治40年は1907年だから1009年間も離れ離れになっていたということになる。
一緒になって良かったと思う。

爲那国が当地のあたりにあり、統治したのが爲那都比古という背景がある。
爲那都比古と言えば、文字は異なるが当地より6.5kmほど南西の池田市宇保に猪名津彦神社があり古墳がある。
現在の猪名川も同じ発音なので関係があるのだろう。
古代の海岸線は現在よりもかなり山側だったと思われ、こうした丘陵地帯は非常に重要な場所だったのだろうと想像する。

拝殿と本殿も非常に新しくて立派、すぐ横に社務所もある。
非常にきれいに保たれていて気持ち良く参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2021/11/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

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