268-150_倭文神社

比定社:倭文神社

式内社コード:268-150
神名帳社名:倭文神社、シトリノ
社格:小
所在地:629-2313 京都府与謝郡与謝野町三河内1453
plus code:G39R+QR 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

地名の三河内は「みごち」と読み、神社名の倭文神社は「しどりじんじゃ」と読む。
三河内の集落の中心部の丘に鎮座、丘には倭文神社古墳群がある。
100メートル東に社標が建っており、かつては参道が東へ伸びていたと思われる。
神社入り口に道路を挟んで社務所があり駐車場完備。

ハイライト

組物彫り物が豪華な本殿。

写真

倭文神社を正面より望む。小高い丘の上に鎮座している。
倭文神社を正面より望む。小高い丘の上に鎮座している。
右側(北)を望む。三河内の集落の中程にある。
右側(北)を望む。三河内の集落の中程にある。
正面(東)を望む。100メートル東に社標が建っている。
正面(東)を望む。100メートル東に社標が建っている。
左側(南)を望む。左側にあるのが社務所と駐車場。
左側(南)を望む。左側にあるのが社務所と駐車場。
鳥居脇にある日本遺産の説明書き。「与謝野町 春の例祭」の「曳山祭」が有名。
鳥居脇にある日本遺産の説明書き。「与謝野町 春の例祭」の「曳山祭」が有名。
道路から1段上がって鳥居をくぐると石畳の参道が続く。
道路から1段上がって鳥居をくぐると石畳の参道が続く。
小高い丘には倭文神社古墳群がある。古墳時代中期の円墳が4基とある。
小高い丘には倭文神社古墳群がある。古墳時代中期の円墳が4基とある。
神社謹製の由緒書。和銅年間に創建、その後貞応年間に現在地に遷座、江戸時代までは石崎大明神と呼ばれていたとある。
神社謹製の由緒書。和銅年間に創建、その後貞応年間に現在地に遷座、江戸時代までは石崎大明神と呼ばれていたとある。
手水舎。
手水舎。
2段目に上がると両部鳥居。両部鳥居の向こう側には左右に摂社がある。
2段目に上がると両部鳥居。両部鳥居の向こう側には左右に摂社がある。
両部鳥居の向こう側右側の摂社には鳥居がある。
両部鳥居の向こう側右側の摂社には鳥居がある。
両部鳥居をくぐり、さらに3段目に上がると山門がある。
両部鳥居をくぐり、さらに3段目に上がると山門がある。
山門より拝殿を望む。
山門より拝殿を望む。
山門をくぐるとちょっとした広場。右側を望む。
山門をくぐるとちょっとした広場。右側を望む。
広場の左側を望む。左側はさらに高くなっていて古墳があるようだ。
広場の左側を望む。左側はさらに高くなっていて古墳があるようだ。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部より本殿を望む。拝殿内部はきれいに保たれている。
拝殿内部より本殿を望む。拝殿内部はきれいに保たれている。
本殿の説明書き。本殿は京都府登録文化財に指定されており江戸時代後期の建築とある。
本殿の説明書き。本殿は京都府登録文化財に指定されており江戸時代後期の建築とある。
本殿を右側より望む。組物彫り物が多く施され豪華な作りとなっている。透明の覆いがついていてよく見えないのが残念。
本殿を右側より望む。組物彫り物が多く施され豪華な作りとなっている。透明の覆いがついていてよく見えないのが残念。
本殿を右後ろから望む。角度によっては透明な覆いで全く見えない…。
本殿を右後ろから望む。角度によっては透明な覆いで全く見えない…。
本殿を左後ろより望む。
本殿を左後ろより望む。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿左側より山門を望む。
本殿左側より山門を望む。
拝殿より山門を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

倭文神社の由来
当社は和銅五年(西暦七一二年)当時この地域で綾錦を織ることになり 丹後國一の宮籠神社 海部直愛志(あまべのあたいえし)が勅命を奉じて倭文神(しどりのかみ)を祀ったのが創まりであります。
祭神である倭文神の「倭文(しどり)」とは上古の織物の意で遠く神代の昔 織物を掌られた祖神天羽槌雄神(あまのはつちをのかみ)別名建葉槌神(たけはつちのかみ)のことであります。
当社は延喜式内社で官幣にも与り醍醐天皇もご信仰あらせられ祭祀も盛んに行われて参りました。
貞応二年(西暦一二二三年)にはご神託があり筬村(おさむら)から現今の石崎の社に奉遷され爾来一般には石崎大明神と尊称されています。
歴代の領主を始め衆庶の篤い信仰を集めた当社は従二位に叙せられ昭和十九年神祇院第十九第三三號を以て府社に昇格されました。
平成二十四年十月
社務所

とある

和銅年間に創建、その後貞応年間に現在地に遷座、江戸時代までは石崎大明神と呼ばれていたとある。
ご祭神は天羽槌雄神で織物と深い関係があり、それが現代へもつながっているのが興味深い。
加悦谷と呼ばれる当地域は丹後縮緬の一大産地で古くから織物が行われていた。
神社仏閣も非常に多く集中しており、中央にとっても重要な地域だったことは間違いない。

現在の社域はそれほど広くはないが両部鳥居、山門、拝殿、本殿で構成されている。
本殿は京都府登録文化財に指定されており江戸時代後期の建築とされている。
透明な雪よけで覆われているが彫り物組物が多く施され非常に豪華だ。
かつては大いに力を持った地域だったのだろうと推測できる。

現在この地域は加悦谷全体で歴史を全面に押し出したプロモーションを行っており、当社倭文神社は「与謝野町 春の例祭」では「曳山祭」で中心的な存在となっている。
祭に合わせて訪問したい。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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