268-150_倭文神社(与謝郡与謝野町)

比定社:倭文神社(与謝郡与謝野町)

式内社コード:268-150
神名帳社名 :倭文神社、シトリノ
社    格:小
所 在 地 :629-2313 京都府与謝郡与謝野町三河内1453
Plus Code  :G39R+QR 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「しどりじんじゃ」と読む、地名の三河内は「みごち」と読む。
三河内集落の西の端の丘に鎮座。
国道176号線の西側を走る京都府道626号野田川加悦線沿いに社標があるので見つけやすい。
社標から西へ入り100メートルほどで到着する。
神社入り口に道路を挟んで社務所があり駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

組物彫り物が豪華な本殿。
カチッとした社域。

写真

倭文神社を正面より望む。小高い丘の上に鎮座している。
倭文神社を正面より望む。小高い丘の上に鎮座している。
右側(北)を望む。三河内の集落の中程にある。
右側(北)を望む。三河内の集落の中程にある。
正面(東)を望む。100メートル東に社標が建っている。かつて参道が続いていたのだろう。
正面(東)を望む。100メートル東に社標が建っている。かつて参道が続いていたのだろう。
左側(南)を望む。左側にあるのが社務所と駐車場。
左側(南)を望む。左側にあるのが社務所と駐車場。
鳥居脇にある日本遺産の説明書き。「与謝野町 春の例祭」の「三河内曳山祭」が有名。
鳥居脇にある日本遺産の説明書き。「与謝野町 春の例祭」の「三河内曳山祭」が有名。
道路から1段上がって鳥居をくぐると石畳の参道が続く。
道路から1段上がって鳥居をくぐると石畳の参道が続く。
小高い丘には倭文神社古墳群がある。古墳時代中期の円墳が4基とある。
小高い丘には倭文神社古墳群がある。古墳時代中期の円墳が4基とある。
神社謹製の由緒書。和銅年間に創建、その後貞応年間に現在地に遷座、江戸時代までは石崎大明神と呼ばれていたとある。
神社謹製の由緒書。和銅年間に創建、その後貞応年間に現在地に遷座、江戸時代までは石崎大明神と呼ばれていたとある。
手水舎。
手水舎。
2段目に上がると両部鳥居。両部鳥居の向こう側には左右に摂社がある。
2段目に上がると両部鳥居。両部鳥居の向こう側には左右に摂社がある。
両部鳥居の向こう側右側の摂社には鳥居がある。
両部鳥居の向こう側右側の摂社には鳥居がある。
両部鳥居をくぐり、さらに3段目に上がると山門がある。
両部鳥居をくぐり、さらに3段目に上がると山門がある。
山門より拝殿を望む。
山門より拝殿を望む。
山門をくぐるとちょっとした広場。右側を望む。
山門をくぐるとちょっとした広場。右側を望む。
広場の左側を望む。左側はさらに高くなっていて古墳があるようだ。
広場の左側を望む。左側はさらに高くなっていて古墳があるようだ。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部より本殿を望む。拝殿内部はきれいに保たれている。
拝殿内部より本殿を望む。拝殿内部はきれいに保たれている。
本殿の説明書き。本殿は京都府登録文化財に指定されており文政4年(1821年)の建築と思われる。
本殿の説明書き。本殿は京都府登録文化財に指定されており文政4年(1821年)の建築と思われる。
本殿を右側より望む。組物彫り物が多く施され豪華な作りとなっている。透明の覆いがついていてよく見えないのが残念。
本殿を右側より望む。組物彫り物が多く施され豪華な作りとなっている。透明の覆いがついていてよく見えないのが残念。
本殿を右後ろから望む。角度によっては透明な覆いで全く見えない…。
本殿を右後ろから望む。角度によっては透明な覆いで全く見えない…。
本殿を左後ろより望む。
本殿を左後ろより望む。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿左側より山門を望む。
本殿左側より山門を望む。
拝殿より山門を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

倭文神社の由来
当社は和銅五年(西暦七一二年)当時この地域で綾錦を織ることになり 丹後國一の宮籠神社 海部直愛志(あまべのあたいえし)が勅命を奉じて倭文神(しどりのかみ)を祀ったのが創まりであります。
祭神である倭文神の「倭文(しどり)」とは上古の織物の意で遠く神代の昔織物を掌られた祖神天羽槌雄神(あまのはつちをのかみ)別名建葉槌神(たけはつちのかみ)のことであります。
当社は延喜式内社で官幣にも与り醍醐天皇もご信仰あらせられ祭祀も盛んに行われて参りました。
貞応二年(西暦一二二三年)にはご神託があり筬村(おさむら)から現今の石崎の社に奉遷され爾来一般には石崎大明神と尊称されています。
歴代の領主を始め衆庶の篤い信仰を集めた当社は従二位に叙せられ昭和十九年神祇院第十九第三三號を以て府社に昇格されました。
平成二十四年十月
社務所

とある。

与謝野町教育委員会謹製の倭文神社本殿説明書によると

京都府登録文化財(建造物)
倭文(しどり)神社本殿
登録日:平成8年3月15日
 倭文神社は、機(はた)織りの始祖・天羽槌雄神(あまのはつちおのかみ)という丹後縮緬(ちりめん)産地に相応(ふさわ)しい祭神を祀(まつ)っています。江戸時代までは石崎大明神(いしざきだいみょうじん)と言いましたが、明治時代に倭文神社とされました。
 本神社本殿は、入母屋造(いりもやづく)りで江戸時代後期の建築と推定されています。構造は「屋根の軒周(のきまわ)りでは尾垂木(おたるき)付きの二手先組(にてさきぐみ)で、その上に化粧桁(けしょうけた)を廻した上に、もう一段三斗組物(さんとくみもの)を置いて丸桁(まるけた)を載せ、垂木を受ける。向拝(こうはい)の組物は出組(でくみ)で、身舎(おもや)と向拝の繋虹梁(つなぎこうりょう)上にも組物を置き、天上は組入格天井(くみいりごうてんじょう)につくる。」と指摘され、丹後の神社本殿の特徴を示す好例として高く評価されています。
 また、周囲の杜(もり)は、本殿を守る倭文神社文化財環境保全地区とされています。
与謝野町教育委員会

とある。

海の京都謹製の説明書によると

300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊
倭文神社(しどりじんじゃ)
 織物の守護神とされる「天羽槌雄命(あまのはつちおのみこと)」を祭神とし、毎年春には丹後ちりめんの繁栄を伝える三河内曳山行事(みごちひきやまぎょうじ)が開催される。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、天羽槌雄神。
和銅3年(710年)筬(オサ)村石崎の山に齊き祀る。
天元12年(989年)従二位(修正)。
承応2年(1653年)今の地に奉遷(修正)。
文政4年(1821年)造営(追加)。
明治6年(1873年)村社。
明治40年(1907年)幣帛供進神社指定。
昭和19年(1944年)府社。
江戸時代までは「石崎大明神」と呼ばれていた。
和銅3年秋7月丹後国に初めて綾を織る国造海部甘愛志命を奉じて倭文大神ヲ筬(おさ)村石崎の山に齊き祀る。
此時以来俗に石崎倭文大明神と奉称し、御祭神は羽槌雄命で上古織物を初め給いし祖神である。

とある。

当地は、古墳の多い地域だ。
三河内だけでも、荒神山古墳・金毘羅山古墳・石崎古墳(倭文神社古墳群)・吉崎稲荷古墳・砂原古墳・西ヶ谷古墳・小森山古墳・古堤古墳があり銅鐸も発見されている。
古くより開けた地域だろうと思われる。

ご祭神は、天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)で織物・機織の神として信仰されている。
倭文神社のご祭神は、おおむね天羽槌雄神をご祭神とすることが多い。
当地で有名な丹後縮緬(たんごちりめん)は、江戸時代になってから藩政により盛んになったものだが、それ以前から織物が生産されていたのだろうか。

倭文神社は、三河内集落の中を南北に走る京都府道626号野田川加悦線沿いに社標があるので見つけやすい。
社標から西へ入り100メートルほどで到着する。
倭文神社入り口に道路を挟んで東側に社務所があり駐車場もある。

石段を登り一の鳥居をくぐるとカチッとした社域が印象的。
さらに進むと二の鳥居は両部鳥居となっており立派な山門がある。

社殿は、文政4年(1821年)の建築と思われるが、昭和2年(1927)の北丹後地震により被害を受け修復されたものと思われる。
本殿は京都府登録文化財に指定されている。
透明な雪よけで覆われているが彫り物組物が多く施され非常に豪華だ。

与謝野町春の例祭として「加悦谷祭」「岩滝祭」「三河内曳山祭」が開催されている。
与謝野町春の例祭は、加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
「三河内曳山祭」では、各町内から豪華な屋台が繰り出すことでたいへん有名。
長く続けてほしいと思う。

丹後ちりめんの産地に相応しい織物のご祭神を祀る神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM