比定社:楯縫神社(豊岡市日高町)
式内社コード:275-090
神名帳社名 :楯縫神社、タテヌヒノ
社 格:小
所 在 地 :669-5313 兵庫県豊岡市日高町鶴岡677-1
Plus Code :FQCP+QC 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「たてぬいじんじゃ」と読む。
鶴岡集落の東の端の円山川堤防のすぐ西側の平地に鎮座。
国道482号線より東へ入り集落の中を進むが集落の中の道は狭いので注意。
円山川の堤防に近い所に社標と石燈籠がある。
そのまま進むと堤防沿いに回り込むような形で神社正面に到着する。
神社周辺に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
新しく非常にきれいに保たれている社域。
大きく立派な社殿。
写真
感想
神社謹製の敬神之碑によると
敬神之碑
楯縫神社 御祭神 彦狭知命(ひこきしりのみこと)
兵庫県城崎郡日高町鶴岡保木六七六ノ一番地御座
白鳳時代 今から千三百年の往昔
出雲国から、丹波国を経て当国で
栄えた楯縫連(たてぬいむらじ)が
遠祖(とおつおや)彦狭知命を
楯屋丘(たてやのおか)多田谷にまつる
西暦一九四七年 此地遷座奉祀す。
八幡宮 御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
西暦一九四七年合祀す。
稲荷社 御祭神 保食神(うけもちのかみ)
西暦一九五〇年遷座す。
とある。
神社謹製の楯縫神社年中行事によると
楯縫神社年中行事
歳旦祭
一月一日
節分祭
二月三日
春祭り
四月十六日前後
慰霊祭
八月十五日
秋祭り
十月十日
四年毎に大祭
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、彦狹知命・誉田別命・息長足姫命。
白鳳12年(683年)楯縫連彦磨創祀。
鎌倉時代には神領四町九反六十歩を有していた。
明治6年(1873年)村社。
明治15年(1882年)井田神社に合祀。
昭和22年(1947年)分離し川を隔てた現所在地に鎭座。
当初鎮座の地「日高町多田屋字宮ノ谷」、円山川を隔てた右岸に位置していた。
明治15年(1882年)11月14日井田神社に合祀。
昭和22年(1947年)分離し川を隔てた現所在地に鎭座。
江戸時代までは「春日大明神」と呼ばれていた。
式内では同じ但馬国の養父郡にも同名社が一社、さらに丹波国氷上郡にも一社ある。
武器製造を司る楯縫氏が出雲国から日本海沿岸に沿つて但馬国に至り、円山川河口から気多郡・養父郡と溯つて低い分水嶺を越え、加古川流域の丹波国氷上郡に至つたという過程が考えられる。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:彦狹知命(ヒコサシリノミコト)
配祀神:誉田別命(ホンダワケノミコト)
白鳳時代(645~710)の往昔出雲国から、丹波国を経て当国で栄えた楯縫連(たてぬいのむらじ)が、遠祖(とおつおや)彦狭知命を楯屋丘(たてやのおか)多田谷にまつる。
昭和22年(1947)、此地に遷座奉祀す。
とある。
楯縫氏に関しては、
“武器製造を司る楯縫氏が出雲国から日本海沿岸に沿つて但馬国に至り、円山川河口から気多郡・養父郡と溯つて低い分水嶺を越え、加古川流域の丹波国氷上郡に至つたという過程が考えられる。”
とある。
なるほど、と思ったが確固たる確証は無いようだ。
ちなみに、兵庫県で楯縫神社もしくは楯縫氏が関係する式内社を挙げてみると次のようになる。
273-070_(論)楯縫神社(養父市建屋)
273-080_(論)楯縫神社(斎神社摂社:養父市長野)
264-090_楯縫神社(丹波市春日町)
263-030_川内多多奴比神社(兵庫県篠山市)
武器製造に関係するという事だから、紛争のあるところには楯縫氏あり、ということなのだろうか。
もしそうなら、兵主神社とも関係があるのかもしれない(個人的見解です)。
楯縫神社へのアプローチは、国道482号線より東へ入り集落の中を進み円山川の堤防に近い所に社標と石燈籠がある。
そのまま進むと堤防が左にカーブしながら続き、工場の裏手を通過し神社前まで行ける。
行き止まりにあるので周辺に駐車ができる。
明治15年(1882年)井田神社に合祀とあり、その後分れて昭和22年(1947年)に現在地に遷座とある。
一旦合祀して、その後に分かれるのは時々ある。
昭和22年(1947年)に現在地に遷座とあるだけに社域にある全てが新しい。
社域は広くはないが非常にきれいに保たれている。
社殿は拝殿と本殿で構成され、双方とも大きく非常に立派な建物。
拝殿の扁額は右に八幡宮、左に楯縫神社となっている。
本殿のご神紋は八幡宮らしく向い鳩が付く。
ただし、いつどういう経緯で八幡宮が合祀されたのかは不明だが、合祀先の井田神社に影響かもしれない。
楯縫神社なのにいつの間にか八幡宮になった川の反対側にあった神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/11/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。