265-040_荒木神社

比定社:荒木神社

式内社コード:265-040
神名帳社名:荒木神社、アラキノ
社格:小
所在地:620-0000 京都府福知山市堀152
plus code:7497+F7 福知山市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

福知山市街から南へ3kmほどの山の中腹に鎮座。
国道175号線の堀より立体交差を渡り西へ入りもみじケ丘病院方向へ入り、病院を通り過ぎて次の南へ入る角を左折する。
細い舗装林道のようなアプローチを南進し山に上っていくとほぼ行き止まりに社標と石段がありここが入口になる。
入口の道端に駐車するしか無い。
入口からは300メートルほどのガレた参道が続きトレッキングのような感じ。
途中には石組みもあり平らな場所もあることからいくつかの建物があったと想像できる。

ハイライト

江戸時代はこんな感じだろうと思わせる参道。

写真

荒木神社を正面より望む。アプローチ道路のほぼ行き止まりの地点に社標があり階段がある。
荒木神社を正面より望む。アプローチ道路のほぼ行き止まりの地点に社標があり階段がある。
右側(西)を望む。奥にタンクのようなものがあるが不明。クルマは神社入口に駐車するしかない。
右側(西)を望む。奥にタンクのようなものがあるが不明。クルマは神社入口に駐車するしかない。
アプローチ道路はまっすぐ続いているが奥の砂防ダムの工事用の道のようだ(未確認)。
アプローチ道路はまっすぐ続いているが奥の砂防ダムの工事用の道のようだ(未確認)。
登ってきたアプローチ道路は舗装林道のような状況。少し下に左右に柱が立っているのが分かる。
登ってきたアプローチ道路は舗装林道のような状況。少し下に左右に柱が立っているのが分かる。
社標には式内とある。由来記が打ち捨てられていて少々悲しい。
社標には式内とある。由来記が打ち捨てられていて少々悲しい。
打ち捨てられていた荒木神社由来記。創建に関しては記述がないが、栄枯盛衰がかなりあったようだ。
打ち捨てられていた荒木神社由来記。創建に関しては記述がないが、栄枯盛衰がかなりあったようだ。
階段を上がると鳥居があり未舗装の参道が続く。10分ほど歩く必要があるので歩きやすい靴が良いだろう。
階段を上がると鳥居があり未舗装の参道が続く。10分ほど歩く必要があるので歩きやすい靴が良いだろう。
木々の中をトレッキングのような感じで進む。雨が降ると大変かもしれない。
木々の中をトレッキングのような感じで進む。雨が降ると大変かもしれない。
途中には石組みもある。
途中には石組みもある。
途中に広場があり開けている。打ち捨てられた文化財の説明書き。
途中に広場があり開けている。打ち捨てられた文化財の説明書き。
ここにあるように、福知山藩主六代朽木綱貞による絹本著色神馬(福知山市重要文化財)が伝わるようだ。
ここにあるように、福知山藩主六代朽木綱貞による絹本著色神馬(福知山市重要文化財)が伝わるようだ。
最後に石段を上がると社殿がある。
最後に石段を上がると社殿がある。
石段を上がると広場があり拝殿がある。
石段を上がると広場があり拝殿がある。
広場右手には社務所のような建物がある。さらに右側には東屋のような建物。
広場右手には社務所のような建物がある。さらに右側には東屋のような建物。
拝殿を望む。拝殿は昭和七年に再建とあるので新しい建物。
拝殿を望む。拝殿は昭和七年に再建とあるので新しい建物。
拝殿内部を望む。片付けられておらず右の戸板が開いたままになっている。
拝殿内部を望む。片付けられておらず右の戸板が開いたままになっている。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は拝殿より1段高いところにある。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は拝殿より1段高いところにある。
本殿を右側より望む。拝殿と同じく比較的新しいと思われる。装飾はほとんど無くシンプル。
本殿を右側より望む。拝殿と同じく比較的新しいと思われる。装飾はほとんど無くシンプル。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿前の石段を上から望む。広場は平地になっておりかつては建物があったと思われる。手水鉢もある。
拝殿前の石段を上から望む。広場は平地になっておりかつては建物があったと思われる。手水鉢もある。
鳥居を神社側より望む。江戸時代の参道もきっとこんな感じだったのだろう。
鳥居を神社側より望む。江戸時代の参道もきっとこんな感じだったのだろう。

感想

荒木神社由来記によると(神社入口の社標あたり)

俗に「荒木の権現さん」と敬愛される当社は、延喜式内社として名高く(延喜式とは貞観元年-八五九年-に日本国内の神社を調べたと「日本三代実録」にあり)。また背景の山を神奈備山とも呼ばれて(神並山・神南山)と親しまれたが、中古この山に真言宗の寺院を建立当時三十か寺と伝えられ、天神七代・地神五代を十二所権現として栄えた。
その後、室町末期には仁木義尹が荒木一学と策して篭城し、細川・内藤・波多野らと戦い、また永禄元年-一五五八-荒木勢と丹波の赤井悪右衛門との戦いで度々兵火にかかり、神殿や寺坊を全焼した。
その後、徳川時代に-寛文九年-一六六九-福知山藩の寺社奉行、中目権兵衛盛治が朽木稙昌候に従い土浦から赴任した際に古記を調べて荒木神社を再興した。また拝殿は昭和七年に再建された。
例祭は四月十六日である。
常盤なる神なび山の榊葉を
 さしてぞ祈るよろずよの為
と藤原義忠は千載集-一〇三六-に詠んでいるが、後朱雀天皇即位大嘗会の際神遊歌として有名である。

とある

文化財について(石段手前の広場あたり)

社宝としてはヒヨンの玉があり、昔は何に使ったのかよく知られなかったが、最近に至りこれは祭祀用に使う楽器の笛ではなかろうかと言われ、この玉は姥目樫(ブナ科の常緑樹-広辞苑)に寄生するコブが風に吹かれてヒューヒューと鳴りわたるのを聞いたと言う人もいた。
またこの他に、藩主朽木綱貞候の自作「神馬」の図や石灯籠の蓋も残っているがその文字は次の通り書かれている。
丹波天田郡曽我井庄、荒木山田物皆笑う石灯籠の蓋僅に残るのみ仍って之を補う 天和元年(一六八一)三月吉辰
奥州(福島県)合図、佐原十郎義連末葉、中目権兵衛尉平盛治

とある

他に
絹本著色神馬(福知山市重要文化財)
福知山藩主六代朽木綱貞(くつきつなさだ、号は星橋)、安永元年(1772年)作。
が伝わるようだ。

創建は不明、かつて「荒木の権現さん」や「十二所権現」として栄えていたようだ。
室町時代の終わりには兵火で消失したが寛文年間に再興、拝殿は昭和七年に再建したとある。
また神社のアプローチ道路はかつての街道だったとの情報もある。

現代の感覚ではかなりワイルドで山奥にある。
やはり現代の感覚で古社を見てしまってはいけないと思った。

拝殿は昭和七年に再建とあるが確かに新しい印象だ。
たぶん本殿も同時期に建築されたものではないかと思われる。
見たところ手入れが悪く、このまま放っておくと朽ち果てそうなのが心配。
古社として整備されることを望みたい。

注意点

ガレた参道をトレッキングのようにかなり歩くので歩きやすい靴が良い。

訪問ノート

訪問日:2019/7/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

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