比定社:庵我神社
式内社コード:265-020
神名帳社名 :奄我神社、アムカノ
社 格:小
所 在 地 :620-0014 京都府福知山市中2113
Plus Code :849C+XC 福知山市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
あんがじんじゃと読む。
京都府道55号舞鶴福知山線沿いの平地に鎮座。
元々の鎮座地は現在地ではなく諸説あるようだ。
社域はオープンで囲いがないのが特徴的。
北側の鬼ヶ城は丹後と丹波の境となる非常に重要な地域。
神社裏手に駐車スペースがある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
神社入口の巨木。
写真
感想
福知山市教育委員会謹製の説明書によると
この社の創建は不明ですが、宝亀四年(西暦七七三年)に社殿に泥棒が入ったという記録があるので相当以前にさかのぼるものと思われます。
府の指定文化財である「木造扁額」は、後醍醐天皇の親任があつく歌人でもあった朝廷の要人藤原行房が表に「正二位聖大明神」と書いたもので、それを三角彫りにした鎌倉時代の格式の高い文化財であります。
この種の文化財は極めて稀で、この社と中央とを結びつける重要な文化財であります。
福知山市教育委員会
とある
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、天穗日命・生島神・気長足姫命。
奈良朝の頃の創建。
宝亀4年(773年)盗人が御供物を食べ死んだ「続日本紀」。
貞観14年(872年)従五位下。
元亨3年(1323年)社額奉納(修正)。
慶安2年(1649年)「八幡社」と記録。
文化4年(1807年)焼失。
江戸時代までは「聖大明神」「八幡社」と呼ばれていた。
とある。
創建はかなり古いようだ、現代的な感覚では泥棒が入ったという記録は非常に面白いが、当時の人々にすると遷座等に繋がる非常に重要なことだったのだろうと思われる(死んでしまい穢を嫌って遷座)。
北側の鬼ヶ城の山塊の周りには古社や古刹が多く存在し、丹後と丹波の境として重要な位置付けだったと思われる。
また、酒呑童子の伝説の舞台ではないかという説もあるようだ。
当地は中世に庵我荘となり青蓮院との関係が深かったようだ。
その影響で藤原行房による扁額が伝わっており「聖大明神」とある。
領主等の力関係から神社の名称は「奄我神社」、「聖大明神」、「八幡社」と変遷したようだ。
詳細は伝わってないが非常に興味深い神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。