265-020_庵我神社

比定社:庵我神社

式内社コード:265-020
神名帳社名:奄我神社、アムカノ
社格:小
所在地:620-0014 京都府福知山市中2113
plus code:849C+XC 福知山市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

あんがじんじゃと読む。
京都府道55号舞鶴福知山線沿いの平地に鎮座。
元々の鎮座地は現在地ではなく諸説あるようだ。
社域はオープンで囲いがないのが特徴的。
北側の鬼ヶ城は丹後と丹波の境となる非常に重要な地域。
神社裏手に駐車スペースがある。

ハイライト

神社入口の巨木。

写真

庵我神社を正面より望む。
庵我神社を正面より望む。
右側(東)を望む。前の道路は京都府道55号舞鶴福知山線で見つけやすい場所。神社裏手に駐車可能。
右側(東)を望む。前の道路は京都府道55号舞鶴福知山線で見つけやすい場所。神社裏手に駐車可能。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
福知山市教育委員会謹製の文化財説明書。創建は不明だが記録あり、京都府指定文化財の扁額があり「聖大明神」とある。
福知山市教育委員会謹製の文化財説明書。創建は不明だが記録あり、京都府指定文化財の扁額があり「聖大明神」とある。
鳥居をくぐると広場があり1段高いところに拝殿がある。
鳥居をくぐると広場があり1段高いところに拝殿がある。
広場を右側から見たところ。社域は広くないが高低差があり面白い作りをしている。
広場を右側から見たところ。社域は広くないが高低差があり面白い作りをしている。
拝殿の扁額。ここには「式内 庵我神社」とある。神社名は、「奄我神社」、「聖大明神」、「八幡社」と変遷したようだ。
拝殿の扁額。ここには「式内 庵我神社」とある。神社名は、「奄我神社」、「聖大明神」、「八幡社」と変遷したようだ。
本殿を右側から望む。社殿の建築時期は不明だが比較的新しいと思われる。本殿は立派で大きい。
本殿を右側から望む。社殿の建築時期は不明だが比較的新しいと思われる。本殿は立派で大きい。
本殿を右側から望む。非常にシンプルな作りをしていて装飾は少ない。
本殿を右側から望む。非常にシンプルな作りをしていて装飾は少ない。
本殿を右側から望む。状態は良いようだ。
本殿を右側から望む。状態は良いようだ。
拝殿のすぐ脇には蔵がある。宝物がたくさんあったのだろうか。
拝殿のすぐ脇には蔵がある。宝物がたくさんあったのだろうか。
広場より鳥居を望む。鳥居脇には巨木があり古社を感じさせる。
広場より鳥居を望む。鳥居脇には巨木があり古社を感じさせる。

感想

福知山市教育委員会謹製の説明書によると

この社の創建は不明ですが、宝亀四年(西暦七七三年)に社殿に泥棒が入ったという記録があるので相当以前にさかのぼるものと思われます。
府の指定文化財である「木造扁額」は、後醍醐天皇の親任があつく歌人でもあった朝廷の要人藤原行房が表に「正二位聖大明神」と書いたもので、それを三角彫りにした鎌倉時代の格式の高い文化財であります。
この種の文化財は極めて稀で、この社と中央とを結びつける重要な文化財であります。
福知山市教育委員会

とある

創建はかなり古いようだ、現代的な感覚では泥棒が入ったという記録は非常に面白いが、当時の人々にすると遷座等に繋がる非常に重要なことだったのだろうと思われる(死んでしまい穢を嫌って遷座)。

北側の鬼ヶ城の山塊の周りには古社や古刹が多く存在し、丹後と丹波の境として重要な位置付けだったと思われる。
また酒呑童子の伝説の舞台ではないかという説もあるようだ。

当地は中世に庵我荘となり青蓮院との関係が深かったようだ。
その影響で藤原行房による扁額が伝わっており「聖大明神」とある。

領主等の力関係から神社の名称は「奄我神社」、「聖大明神」、「八幡社」と変遷したようだ。
詳細は伝わってないが非常に興味深い神社である。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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