268-030_弥刀神社(与謝郡与謝野町)

比定社:弥刀神社(与謝郡与謝野町)

式内社コード:268-030
神名帳社名 :弥刀神社、イヤトノ/ミト
社    格:小
所 在 地 :629-2301 京都府与謝郡与謝野町上山田1340
Plus Code  :G4Q7+WC 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「みとじんじゃ」と読む、地名の上山田は「かみやまだ」と読む。
上山田集落のほぼ中央の北の山裾に鎮座。
国道312号線の水戸谷交差点より東へ京都府道・兵庫県道2号宮津養父線に入り100メートルほどで北に入る。
祥雲寺の案内看板がある、集落の中の道を進むと突き当たりにあるので分かりやすい。
集落の中の道は狭小なので注意。
クルマは社域に乗り入れ駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

明治期に再建された新しい社殿。
中井権次橘正胤によると言われる本殿の彫り物。

写真

弥刀神社を正面より望む。
弥刀神社を正面より望む。
右側(東)を望む。周囲は人家と山林。丹後ちりめんが盛んな地域。
右側(東)を望む。周囲は人家と山林。丹後ちりめんが盛んな地域。
神社の正面を望む。この道はかつての参道だったと思われ130メートルほどある。
神社の正面を望む。この道はかつての参道だったと思われ130メートルほどある。
左側(西)を望む。周辺の道は狭いので注意が必要。
左側(西)を望む。周辺の道は狭いので注意が必要。
鳥居をくぐると広場があり階段を上がると拝殿となる。
鳥居をくぐると広場があり階段を上がると拝殿となる。
広場の右手は公園となっている。社域にクルマを停めさせていただいた。
広場の右手は公園となっている。社域にクルマを停めさせていただいた。
広場の左手には手水舎。
広場の左手には手水舎。
広場より拝殿を望む。緑がきれい。
広場より拝殿を望む。緑がきれい。
階段を登るとフルオープンの拝殿がある。
階段を登るとフルオープンの拝殿がある。
拝殿内部の扁額には式内弥刀神社とある。弥刀の弥は旧字だと思われる、達筆すぎて読めない…。
拝殿内部の扁額には式内弥刀神社とある。弥刀の弥は旧字だと思われる、達筆すぎて読めない…。
拝殿より本殿を望む。
拝殿より本殿を望む。
拝殿と本殿を右側から望む。
拝殿と本殿を右側から望む。
拝殿と本殿を左側から望む。明治二十五年(西暦1892年)再建とあるだけに新しい。
拝殿と本殿を左側から望む。明治二十五年(西暦1892年)再建とあるだけに新しい。
本殿を望む。明治二十五年(西暦1892年)再建とあるので良い状態。中井権次橘正胤による本殿の彫り物なのだがよく見えないのが残念。
本殿を望む。明治二十五年(西暦1892年)再建とあるので良い状態。中井権次橘正胤による本殿の彫り物なのだがよく見えないのが残念。
拝殿正面にぶら下がっていたモノ。これはなんだろうか?筒状の容器に穴が開いているのでおみくじだろうか。
拝殿正面にぶら下がっていたモノ。これはなんだろうか?筒状の容器に穴が開いているのでおみくじだろうか。

感想

由緒書がないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、速秋津彦命。
 また次の説もあるようだ。
  『神祗志料』『道志流倍』、彌刀(大)明神
  『宮津府志』『日本地理志料』、水戸(大)明神
貞観9年(867年)創建。
宝永4年(1707年)再建(修正)。
明治15年(1882年)火災焼失。
明治25年(1892年)再建。

社名は水の出入口、水門、或はミナトの美称とも意味が通じる。
この社についての資料は乏しいが、かつては野田川の港集落としての機能をももつていたかも知れない。
或は野田川平野(加悦谷盆地)の北半を占め、農耕神的な役割を果していたかも知れない。

とある。

弥刀神社は、かつて水戸神社・水門神社と呼ばれていたようだ。
いずれも水が付くところがミソかもしれない。
縄文時代には縄文海進があり現在より海面が数メートル高かったという。
加悦谷でも野田川流域はかなり水が入っていたのではないだろうか。
そういう観点から地図を見ると、確かに野田川の近くの低地には古墳も式内社も存在しない。
街道筋が多く集まり、さらに水運に恵まれていたということなら、大いに交通の要衝だったのかもしれない。

ご祭神は、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)は、速秋津比古神・速秋津比売神とも表す。
伊邪那岐命・伊邪那美命二神の間に産まれた男女一対の神で、水戸神(みなとのかみ)とも言う。

弥刀神社の「みと」は何を現しているのか、整理すると次のようになるだろうか(個人的見解です)。
・水の出入口や水門または港を表す
・水戸神を表す
あれこれ古代に思いを巡らすのも楽しい。

弥刀神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
国道312号線の水戸谷交差点より東へ京都府道・兵庫県道2号宮津養父線に入り100メートルほどで北に入る。
この場所には、祥雲寺の案内看板がある、後は真っ直ぐ行くと突き当りにある。
この道はかつての参道だったと思われ130メートルほどある。
集落の中の道はかなり狭いので注意が必要。
社域の東の端に倉庫がありその前にクルマを乗り入れることができるが児童公園があるので十分注意してほしい。

弥刀神社の周辺は人家と山林、西側に祥雲寺がある、背後に山田城址がある。

石段を登り鳥居をくぐると広場があり、さらに石段を登ると社殿がある。
社殿はフルオープンの拝殿と本殿のみのシンプルな構成。
明治25年(1892年)再建とあるので非常に状態は良い。
本殿は立派な作りで中井権次橘正胤による彫り物が施されていて一見の価値がある。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
上山田区では、苦無神社・弥刀神社が祭礼行事を行うということだ。
祭礼の内容は、砂切(苦無山)・太鼓屋台巡行・太刀振り(弥刀山)となっているようだ。
長く続けてほしいと思う。

どうも刀ではなくて水に関係がありそうな神社。

注意点

集落の中の道は狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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