264-160_伊都伎神社

比定社:伊都伎神社

式内社コード:264-160
神名帳社名 :伊都伎神社、イツキノ
社    格:小
所 在 地 :669-4302 兵庫県丹波市市島町中竹田1659
Plus Code  :64WQ+CH 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

いつきじんじゃと読む。
中竹田の集落の南の丘に鎮座。
京都府道・兵庫県道708号岩崎市島線に神社の案内板があり踏切を超えて東南へ進むとある。
すぐ南に竹田川が流れる。
比較的見つけやすいが駐車場が無いため注意。
踏切手前の竹田コミュニティセンターに駐車させていただくのが良いかもしれない。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

拝殿と本殿の関係。
本殿の中井権次一統、中井清次郎正実による彫り物。

写真

伊都伎神社を正面より望む。立派な両部鳥居が印象的。鳥居と階段の参道の角度が少しずれている。
伊都伎神社を正面より望む。立派な両部鳥居が印象的。鳥居と階段の参道の角度が少しずれている。
右側(南)を望む。周囲の道路は狭く駐車場は無いので注意。建物のむこうは竹田川が流れる。
右側(南)を望む。周囲の道路は狭く駐車場は無いので注意。建物のむこうは竹田川が流れる。
正面を望む。周囲は田畑と人家。
正面を望む。周囲は田畑と人家。
左側(北)を望む。JR福知山線の踏切の向こうが京都府道・兵庫県道708号岩崎市島線に案内板があるので見つけやすい。
左側(北)を望む。JR福知山線の踏切の向こうが京都府道・兵庫県道708号岩崎市島線に案内板があるので見つけやすい。
社標には延喜式内とある。
社標には延喜式内とある。
手水舎。
手水舎。
両部鳥居をくぐり階段の参道を上がると拝殿前の広場がある。参道の階段と拝殿の向きが少しずれている。
両部鳥居をくぐり階段の参道を上がると拝殿前の広場がある。参道の階段と拝殿の向きが少しずれている。
手前の石灯籠には「齋大明神」とあり、江戸時代まではこの名前だったようだ。
手前の石灯籠には「齋大明神」とあり、江戸時代まではこの名前だったようだ。
広場の右側には倉庫が2つある。倉庫の間の通路からクルマが上がってこれる。新しい倉庫に付いているご神紋は梅と菊。
広場の右側には倉庫が2つある。倉庫の間の通路からクルマが上がってこれる。新しい倉庫に付いているご神紋は梅と菊。
拝殿を正面より望む。シンプルで端正な印象。
拝殿を正面より望む。シンプルで端正な印象。
拝殿を右側から望む。拝殿の前には珍しい石の垣がある。
拝殿を右側から望む。拝殿の前には珍しい石の垣がある。
拝殿内部を望む。きれいに片付けられているのが分かる。
拝殿内部を望む。きれいに片付けられているのが分かる。
拝殿を右側から望む。拝殿の横には2つのご神紋がある、五三の桐と丸に篠笹となっている。拝殿そのものにこれだけ大々的にご神紋が入っているのは珍しい。
拝殿を右側から望む。拝殿の横には2つのご神紋がある、五三の桐と丸に篠笹となっている。拝殿そのものにこれだけ大々的にご神紋が入っているのは珍しい。
拝殿の奥の本殿を右側から望む。立派な本殿で屋根付きの塀で囲まれている。本殿は明治期の再建とある。
拝殿の奥の本殿を右側から望む。立派な本殿で屋根付きの塀で囲まれている。本殿は明治期の再建とある。
本殿を右側から望む。立派な作りで彫り物組物が施されているのが分かる。
本殿を右側から望む。立派な作りで彫り物組物が施されているのが分かる。
本殿を右後方より望む。
本殿を右後方より望む。
本殿を左側より望む。彫り物は中井権次一統の中井清次郎正実の作とのことだ。
本殿を左側より望む。彫り物は中井権次一統の中井清次郎正実の作とのことだ。
本殿横から広場を望む。
本殿横から広場を望む。
拝殿より広場を望む。右の方の石灯籠の間に参道の階段がある。拝殿と参道の角度が異なる。
拝殿より広場を望む。右の方の石灯籠の間に参道の階段がある。拝殿と参道の角度が異なる。
広場より参道の階段を望む。階段の先でさらに右へ曲がっているのが分かる。
広場より参道の階段を望む。階段の先でさらに右へ曲がっているのが分かる。
参道より鳥居を望む。JR福知山線の向こうは京都府道・兵庫県道708号岩崎市島線。
参道より鳥居を望む。JR福知山線の向こうは京都府道・兵庫県道708号岩崎市島線。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、兄と妹である淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。
慶安元年(1648年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治15年(1882年)本殿再建。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進神社指定。
昭和13年(1938年)郷社。
江戸時代までは「齋大明神」と呼ばれていた。

とある。

兵庫県神社庁によると

ご祭神は、淤母陀琉神(オモダルノカミ)。
大日本史第115、神祇17、神社23に氷上郡伊都伎神社、今、中竹田西海士(さいかせ)の地。とあり。神名記山陰道の部に、伊都伎神社、大伊之伎命とあり。
伝記に、第31代用明天皇の御宇、麻呂子親王丹波与佐、大山の賊を退治せんため、当地を通らる。その時の軍勢一万騎。今も一万坂の地名に残る。将兵排便のあとをフドコロという。皇子賊徒の速滅を祈りて七体の薬師仏を造り、その一体をこの地に祀らる。
清薗寺の本尊これなり。皇子、塩津峠の石上に憩われしところ俄に足痛起こり将兵また足を痛め起つ能わず。一老人あり。曰く、この地に伊都伎の神あり。この神をまつらば即ち癒ゆべしと。皇子、老人の言に従い、祭祀を行うことを誓いて祈るや頓に癒ゆ。よって神事を行いてこれを謝すとある。
創立年不詳。
明治6年(1873)、村社に列せられる。

とある

かつて福知山と黒井を結ぶ街道筋に面していたと思われる。
塩津峠というのは、当地と福知山の間にある峠のこと。

ご祭神は、淤母陀琉神で兄妹神、兄を淤母陀琉神、妹を阿夜訶志古泥神という。
神紋だが、本殿には梅、拝殿には五三の桐と丸に篠笹、倉庫には梅と菊が施されている。
また、参道の階段を上がってすぐの石灯籠に確かに齋大明神(江戸時代までこう呼ばれていた)とある。
本殿と参道、それに鳥居が少しづつ方向がずれているのも気にかかる。
由緒や変遷の情報がないので詳細は不明だが、様々なことを現代に引きずっていることがある意味貴重だと思う。

本殿は明治期の再建のようで良い状態、本殿の彫り物は中井権次一統、6代正貞の弟の正用の嫡男である中井清次郎正実の作とのこと。
残念ながら本殿へは近づけない。

訪問時には修理の作業がなされていた、地域に大事にされているのがよく分かる神社。

注意点

駐車場はないので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/7/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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