264-040_𡶌部神社(丹波市氷上町)

比定社:𡶌部神社(山へんに石)(丹波市氷上町)

式内社コード:264-040
神名帳社名 :𡶌部神社、イソヘノ
社    格:小
所 在 地 :669-3464 兵庫県丹波市氷上町石生526
Plus Code  :532C+2X 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

いそべじんじゃと読む。
石生集落の東の端の山裾に鎮座。
この地は日本一標高の低い中央分水嶺(中央分水界)上にある。
現在は、周辺が水分れ公園内となっており整備されている。
西隣に丹波市立氷上回廊水分れフィールドミュージアムもある。
水分れ公園の駐車場やトイレを利用可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古社の雰囲気が残る社域。
元禄年間に再建、宝暦年間に改修された本殿と中井言次君音による彫り物。

写真

𡶌部神社(山へんに石)を正面から望む。神社自体は北を向いている。
𡶌部神社 (山へんに石) を正面から望む。神社自体は北を向いている。
右側(西)を望む。水分れ公園への道路が前を走っている。
右側(西)を望む。水分れ公園への道路が前を走っている。
左側(東)を望む。水分れ公園で突き当りになっている。
左側(東)を望む。水分れ公園で突き当りになっている。
社標には延喜式内とある。
社標には延喜式内とある。
一の鳥居をくぐると橋を渡って進む。
一の鳥居をくぐると橋を渡って進む。
丹波市謹製の由緒書。神南備と磐座を祀ることから始まり、和銅3年に創建とある。
丹波市謹製の由緒書。神南備と磐座を祀ることから始まり、和銅3年に創建とある。
二の鳥居は両部鳥居となっていて鳥居前に夫婦杉がある。なかなか良い雰囲気。
二の鳥居は両部鳥居となっていて鳥居前に夫婦杉がある。なかなか良い雰囲気。
二の鳥居より拝殿を望む。
二の鳥居より拝殿を望む。
手水舎。
手水舎。
二の鳥居をくぐると広場があり拝殿がある。拝殿はかなり大きく立派。
二の鳥居をくぐると広場があり拝殿がある。拝殿はかなり大きく立派。
拝殿と本殿を望む。木々に囲まれ良い雰囲気。
拝殿と本殿を望む。木々に囲まれ良い雰囲気。
拝殿の扁額には𡶌部神社とある。字体がおもしろい。
拝殿の扁額には𡶌部神社とある。字体がおもしろい。
氷上町謹製の社殿の説明書き。社殿は永禄年間に再建、宝暦年間に改修とある。
氷上町謹製の社殿の説明書き。社殿は永禄年間に再建、宝暦年間に改修とある。
本殿を右側から望む。千木と鰹木がセットになっている形式。
本殿を右側から望む。千木と鰹木がセットになっている形式。
本殿を左側から望む。彫り物組物が施されているのが分かる。独特の他とは異なった雰囲気、彫り物は中井言次君音の手によるもの。
本殿を左側から望む。彫り物組物が施されているのが分かる。独特の他とは異なった雰囲気、彫り物は中井言次君音の手によるもの。
本殿を左側から望む。非常に立派な造り。木造の狛犬がある。
本殿を左側から望む。非常に立派な造り。木造の狛犬がある。
拝殿横から二の鳥居を望む。社域はきれいで気持ちよく参拝できる。
拝殿横から二の鳥居を望む。社域はきれいで気持ちよく参拝できる。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。
水分かれ公園にある分水嶺の説明書き。日本一標高の低い中央分水嶺(中央分水界)上にあるということだ。
水分かれ公園にある分水嶺の説明書き。日本一標高の低い中央分水嶺(中央分水界)上にあるということだ。

感想

丹波市謹製謹製の由緒書によると

𡶌部(いそべ)の神
 剣爾山(けんじ)は、三角形の美しい形をしています。
 こういう山を昔の人は「神奈備山(かんなび)(神様の山)」と言いました。
 山上近くにある大岩は、神様が天から下りてこられる拠り所(よ)と考えて、こういう岩を『磐座』(いわくら)と言いました。
 その山の前に建てられたのが、𡶌部神社です。
 このあたりのご先祖、𡶌部の民は、大きな岩をつかって、古墳を造ったり、たんぼを造ったり(後には条里制水田造りもした)する土木工事が得意な人たちでした。
 その𡶌部の人達の祖先、奇日方命(くすひがたのみこと)をおまつりしたのが𡶌部神社のはじまりは(和銅三年、今から約一、三〇〇年前頃)です。
 後に、八幡宮を勧請(神様のおいでを願う)して八幡さんとなりました。
 なお、この八幡さんは、柏原の八幡さんより歴史が古く、昔から、この𡶌部神社のお祭りをして、その次の日に神様を、柏原の八幡様にお送りすることになっておりました。
 その後、𡶌部神社には、いろいろな神様をお招きして、たくさんの神様がおまつりされて、石生の人達の守り神さまとしてお祭りされております。

とある。

氷上町謹製本殿説明書によると。

氷上町指定文化財
𡶌部神社本殿(いそべ)
春日社殿
熊野社殿
指定年月日   昭和48年9月14日
所有地・管理者 𡶌部神社
 延喜式内社 奇日方命(くしひかたのみこと)、譽田別命(ほんだわけのみこと)、神功皇后(じんぐう)、比賣大神(ひめおおかみ)を祀る。創立沿革は不詳であるが、社伝によると永禄年間(1558-1570)再建、宝暦2年(1752)改修と伝えられる。
 本殿 三間社流造(さんげんしゃながれづくり) 檜皮葺(ひわだぶき)
 向拝(こうはい)の面取角柱、高欄(こうらん)の木割・逆蓮頭(ぎゃくれんとう)、頭貫鼻(かしらぬき)・肘木鼻(ひじき)の絵様繰形(えようくりかた)、蟇股(かえるまた)、手挟(たばさみ)の紋様等は古く、後補されているがなお多分に室町時代末期の様式を残している。
 春日社・熊野社 一間社見世棚様流造(いっけんしゃみせだなようながれづくり) 杮葺(こけらぶき)
 向拝の面取角柱、虹梁の獏鼻・破風板・蟇股等に室町時代末期の様式を残している。
 平成4年3月 氷上町

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神、奇日方命、(配祀)誉田別命・神功皇后・比売大神。
和銅3年(710年)創建。
永禄年間(1558~1570年)再建(修正)。
宝暦2年(1752年)石清水八幡を勸請、社伝改修(追加)。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進指定。
昭和17年(1942年)郷社。
江戸時代までは「八幡宮」と呼ばれていた。
とある。

当地は日本一低い中央分水嶺(中央分水界)上にある。
だが𡶌部神社の創建に分水嶺は関係してないようだ。
ご祭神も分水嶺とは関係が無さそう、水分神社の名前も見当たらない。

剣爾山とは、𡶌部神社のすぐ南の標高400メートルほどの山のこと。
剣爾山には巨岩が数多く存在するようで、神南備として磐座を祀ることから始まったようだ。
だから、社殿は珍しい北向きの本殿となっている(剣爾山の方向を向いていると思われる)。

本殿は永禄年間に再建、宝暦年間に改修とあり、彫り物組物が多く施されていて見ごたえがある。
彫り物は中井言次君音の手によるものだが、よく見えないのが残念。
古社らしい雰囲気が素晴らしい。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから