264-170_神野神社(丹波市氷上町)

比定社:神野神社(丹波市氷上町)

式内社コード:264-170
神名帳社名 :神野神社、カムノ
社    格:小
所 在 地 :669-3633 兵庫県丹波市氷上町御油40-2
Plus Code  :627F+PX 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「かんのじんじゃ」と読む、地名の御油は「ごゆ」と読む。
御油の集落の西側一番奥の山裾に鎮座。
案内板等は全く無いので少々見つけにくいかもしれない。
集落内の道は非常に狭いので注意が必要、集落を一番奥まで進むと神社前に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

室町時代末期の建築とされる苔むした本殿。
巨木が多くある素晴らしい社叢。

写真

神野神社を正面より望む。
神野神社を正面より望む。
右側(東)を望む。集落の西の突き当りに位置する。まさに御油の集落の鎮守という雰囲気、周囲は賀茂神社の荘園で賀茂氏が力を持っていた。
右側(東)を望む。集落の西の突き当りに位置する。まさに御油の集落の鎮守という雰囲気、周囲は賀茂神社の荘園で賀茂氏が力を持っていた。
社標には延喜式内とある。
社標には延喜式内とある。
兵庫県教育委員会謹製の本殿説明書き。本殿は兵庫県指定文化財となっており室町時代末期の建築とある。
兵庫県教育委員会謹製の本殿説明書き。本殿は兵庫県指定文化財となっており室町時代末期の建築とある。
鳥居をくぐり橋を渡ると土俵のある広場。正面に本殿のみのシンプルな社域。
鳥居をくぐり橋を渡ると土俵のある広場。正面に本殿のみのシンプルな社域。
本殿脇の巨木はヒノキで樹齢500年、高さ41メートルということだ。素晴らしい社叢。
本殿脇の巨木はヒノキで樹齢500年、高さ41メートルということだ。素晴らしい社叢。
本殿を正面より望む。本殿は覆屋に入っていていかにも古社という雰囲気がある。
本殿を正面より望む。本殿は覆屋に入っていていかにも古社という雰囲気がある。
本殿は苔むしているが比較的状態は良い。室町時代末期の建築らしく彫り物組物は少ない質実剛健な感じ。
本殿は苔むしているが比較的状態は良い。室町時代末期の建築らしく彫り物組物は少ない質実剛健な感じ。
本殿を右側より望む。シンプルな覆屋の中の本殿は杮葺で、そろそろ手入れが必要かもしれない。
本殿を右側より望む。シンプルな覆屋の中の本殿は杮葺で、そろそろ手入れが必要かもしれない。
神社謹製の由緒書。原融とあるのは源融(みなもとのとおる)だと思われるが、別雷神と嵯峨天皇を祀ったとあるのは興味深い。
神社謹製の由緒書。原融とあるのは源融(みなもとのとおる)だと思われるが、別雷神と嵯峨天皇を祀ったとあるのは興味深い。
本殿の前には土俵がある。集落の人々が集まって様々なイベントを楽しんでいたのだろうか。
本殿の前には土俵がある。集落の人々が集まって様々なイベントを楽しんでいたのだろうか。
広場の右側には参集殿のような建物がある。
広場の右側には参集殿のような建物がある。
広場より鳥居を望む。鳥居からは小さな橋を渡る。神社前にキチンと駐車スペースが造ってある。
広場より鳥居を望む。鳥居からは小さな橋を渡る。神社前にキチンと駐車スペースが造ってある。

感想

神社謹製の本殿説明書によると

氷上町指定文化財 神野神社本殿
神社の歴史 伝承によれば寛平二(八九〇)年嵯峨天皇の皇子河原左大臣(原融)により創建され別雷神(わけいかずちのかみ)と嵯峨天皇を祀るという。延喜式内社で、この地が平安時代より京都賀茂神社荘園となり盛大に祭られた。(また京都上賀茂神社の祭神別雷神の祖母伊賀古夜比賣(いかごやひめ)-下賀茂の祭神加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の妃-の出身地との説もある)。円通寺が創建されるとき社地が讓られ、田井の賀茂神社とこの社に分れて祭られ、ここに再建されたという。
享保十九(一七三四)年には正一位の神位が神祇管領より贈られている。
本殿建築 一間社流造り杮葺(こけらぶき)
素朴な建物であるが、室町時代の様式で柱、貫、梁(はり)、高欄および側面等全く古い形がそのままで、少なくも室町中期を降らない建築で、郡内最古の神社建築として貴重なものである。
氷上町天然記念物
大檜
社殿の向って左側のヒノキは目通り幹周二、八六m高さ四一mで推定樹令は約五〇〇年で、ヒノキの巨木は少なく貴重なものである。
※補足:原融=源融(みなもとのとおる)

とある。

兵庫県教育委員会謹製の本殿説明書によると

県指定文化財 神野(かんの)神社本殿
指定年月日   昭和51年3月23日
所有者・管理者 神野神社
 別雷命(わけいかずちのみこと)・嵯峨天皇を祀り、(『特選神名帳』・『神祇志料(じんぎしりょう)』は、神野伊加許也姫神(いかこやひめのかみ)を 祭神とする)寛平年中(889~898)の創立と伝える。往古は、円通寺の山中にあったが、同寺開基のときこの地に遷ったという。(明治28年神社帳)。
 一間社流造(いっけんしゃながれづくり)、杮葺(こけらぶき)。社殿正面は格子戸4枚建て、他は板壁。組物は三ツ斗(みつど)組、軒は二軒、周囲に擬宝珠(ぎほうじゅ)・高欄(こうらん)付きの縁を巡らし、浜縁(はまえん)を備える。身舎(もや)・向拝(ごはい)の丸桁(がんぎょう)上に反増(そりまし)があり、破風(はふ)・斗栱(ときょう)・高欄等の木割り、頭貫(かしらぬき)鼻・肘木(ひじき)鼻の絵様繰形(えようくりかた)等の細部手法も室町時代末期の様相を示している。県下における一間社の建築物として貴重である。
平成3年11月
兵庫県教育委員会
※補足:円通寺開基=永徳二年(1382年)正月、足利義満により後円融天皇の勅命を奉じて創建

とある

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、別雷命、(配祀)嵯峨天皇。
寛平年間(889-898年)創立(修正)。
応永31年(1424年)頃、現在地へ遷座。
江戸時代までは「加茂大明神」と呼ばれていた。

とある。

創建時、賀茂氏の影響が大きかったことを伝える神社。
賀茂氏が朝廷にとって特別な存在だったことがよく分かる。
創建は現在の円通寺のある場所(南へ400メートルほど)であったということだ。
円通寺が永徳二年(1382年)に、足利義満により開基となった際に当地へ遷座したということのようだ。
円通寺の開山が、足利尊氏の第四子の英仲法俊で、当時の室町幕府の力の入れようが分かる。
遷座した時は、賀茂氏よりも足利氏の力が大きかったのだろうと想像できる(個人的見解です)。

社域は広くはないが樹齢500年と言われるヒノキが見事。
社域には古木がいくつかあり素晴らしい社叢を形つくっている。
兵庫県指定文化財の本殿は苔むしているが比較的良い状態で残っており古社らしい雰囲気がある。
集落の一番奥にあり、土俵などもあって、まさに村の鎮守といった感じだ。

後世へ伝えていきたい神社。

注意点

集落の中の道が狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから