比定社:(論)住吉神社(小野市垂井町)
式内社コード:318-090
神名帳社名 :住吉神社
社 格:小
所 在 地 :675-1333 兵庫県小野市垂井町908
Plus Code :RWPP+78 小野市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。
アプローチ&ロケーション
「すみよしじんじゃ」と読む、地名の小野市菅田町は「おのしすがたちょう」と読む。
兵庫県道18号加古川小野線を三木小野IC方面より北上していくと「市場」の交差点、そこから900メートルほどで案内の看板が出ているので東へ集落の中に入る。
すぐに右手に一の鳥居、左手に参道なので左折して参道を130メートルほど進むとありがたいことに駐車場がある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
すぐそばを流れる万勝寺川との関係
写真
感想
神社謹製の「住吉神社由来記」によると
祭神 表筒男命 うわづつおのみこと
中筒男命 なかづつおのみこと
底筒男命 そこづつおのみこと
由緒 当神社は創建年代は不明ですが、人皇十代のときとも養老六年ともいわれています。
古書類は兵火のためしょうしつしてはっきりしていない。もと河内里山田に鎮座していましたが、
夢想によって市場村喜多島に奉遷し、後に現代の地に奉遷することになり一名川内大明神
ともいわれています。延喜式神名帳に所載の神社であって、元和元年小笠原忠政の社領を
寄せられ、慶安以降徳川将軍代々の社領朱印地として捨石を賜りました。その後、小野
領主一柳家の氏神として厚く当社を崇敬し、灯籠、鳥居など多くの寄付を賜り、それらは
今尚現存しています。又地方の大社として一般の人々の崇敬も厚く、明治四年八月小野
県県社に明治四十五年に指定神社になり、昭和十七年六月に県社に昇格いたしました。
現代の本殿は宝暦年間に再建され、続いて神門、拝殿、その他の建物も再建され、その後、
幾多の大改修を経て現代に至っています。長い参道の奥の木立の中に鎮座しています当
住吉神社は、華麗な彫刻と自然との調和のとれた霊験あらたかな由緒正しい音御社であり
ます。境内には稲荷神社をはじめ、猿田彦神社、祓戸社、磯御前社、豊磐門戸神社、櫛
門戸神社、などの小宮があります。
祭儀 ・歳旦祭 一月一日 ・魔当祭 一月十三日
・初牛祭 三月の初牛の日 ・春祭 四月十三日 ・夏祭 七月三十一日
・秋祭 ・七五三祭 十一月十五日 ・冬祭 十二月十三日
とある。
小野住吉神社のWebサイトによると
ご祭神
表筒之男命(うわづつおのみこと)
中筒之男命(なかづつおのみこと)
底筒之男命(そこづつおのみこと)
由 緒
当住吉神社の創建年代は不明です。
もと河内山田に鎮座していましたが、市場村喜多島に奉遷鎮座し、後に現在の地に奉遷することになりました。
一名川内大明神ともいわれています。
延喜式神名帳に所載の神社であって元和元年(1615)小笠原忠政の社領を寄せられ、慶安以降徳川将軍代々の社領朱印地として十石を賜りました。その後、小野藩主一柳家より氏神として厚く当社を崇敬され、燈籠・鳥居など多くの寄付を賜り、それらは今尚現存しています。
また地方の大社として一般の人々の崇敬も厚く、明治四年に郷社、昭和十七年(1942)六月には皇紀2600年を記念して県社に列せられました。
現在の本殿は宝暦年間に再建され、続いて神門、拝殿、その他の建物も再建され、その後、幾多の大改修を経て現在に至っています。
長い参道の奥の木立の中に鎮座しています当住吉神社は、華麗な彫刻と自然との調和のとれた霊験あらたかな由緒正しい御社であります。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、表筒男命・中筒男命・底筒男命。
創立の由緒不詳
元和5年(1619年)3月領主小笠原忠政十石の黒印。
明治6年(1873年)郷社。
昭和17年(1942年)県社。
当初河内里の山田に齋き祀られていた、のち市場村の喜多島に遷座、その後現在の垂井に奉遷。
江戸時代までは「川内明神」と呼ばれていた。
もと播磨風土記の所謂河内里の山田に齋き祀られていたが、のち市場村の喜多島に遷座し、更に現在の垂井に奉遷せられたものという。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:底筒之男命(ソコツツノオノミコト)
配祀神:中筒之男命(ナカツツノオノミコト)・表筒之男命(ウワツツノオノミコト)
祭記事:
毎年7月31日に行われる夏祭では、子供相撲と神前での踊り(盆踊り)が境内にて行われる。
毎年10月第2週に行われる秋祭においても子供相撲が奉納され、その他各町の子供神輿の巡行・奉納太鼓・そして還暦者の厄除を祈願する餅撒きが盛大に行われ、境内が参拝者で埋め尽くされるほどである。
境内には稲荷神社をはじめ、猿田彦神社、祓戸社、磯御前社、豊磐戸神社、櫛磐間戸神社などの小宮があります。
由 緒:
当神社は創建年代は不明ですが、人皇10代の時とも養老6年(722)ともいわれています。古書類は兵火のため焼失してはっきりしておりません。
もと河内山田に鎮座していましたが、夢想によって市場村喜多島に奉遷鎮座し、後に現在の地に奉遷することになり一名川内大明神ともいわれています。
延喜式神名帳に所蔵の神社であって元和元年小笠原忠政の社領を寄せられ、慶安以降徳川将軍代々の社領朱印地として十石を賜りました。
その後、小野藩主一柳家より氏神として厚く当社を崇敬され、燈籠・鳥居など多くの寄付を賜り、それらは今尚現存しています。
又地方の大社として一般の人々の崇敬も厚く、明治4年に郷社、昭和17年(1942)6月には県社に列せられました。
現在の本殿は宝暦年間に再建され、続いて神門、拝殿、その他の建物も再建され、その後、幾多の大改修を経て現在に至っています。
長い参道の奥の木立の中に鎮座しています当住吉大社は、華麗な彫刻と自然との調和のとれた霊験あらたかな由緒正しい御社であります。
とある。
延喜式神名帳の播磨国・賀茂郡「住吉神社」の論社のうちの一つ、資料が少なく不明点も多い。
現在の(論)住吉神社(小野市垂井町)のある地域は、加古川の支流である万勝寺川の東岸、加古川までも南西に900メートルほどの地域。
社伝によると『もと河内山田に鎮座していましたが、市場村喜多島に奉遷鎮座し、後に現在の地に奉遷することになりました。』とある。
旧地の河内山田や市場村喜多島が現在のどの辺りになるのか詳細は不明だが、いつの時代にか現在地に遷座したということだ。
またいつの時代に現在地に遷座したのかは不明ではあるが、すぐ裏は万勝寺川となっており水運に便利である地であることは間違いない。
古くより開けた土地のようで周囲には住吉神社遺跡・焼山群集墳(第22~25号墳)がある。
(論)住吉神社(小野市垂井町)のご祭神は、表筒之男命・中筒之男命・底筒之男命。
海には面していないが住吉三神を祀る。
当社は住吉大神の宮九箇処ではないが、ちなみに住吉大神の宮九箇処は次のようになっている。
摂津国 :住吉大社
摂津国西成郡:坐摩社、041-010_坐摩神社のこと
摂津国菟原郡:社、神戸市東灘区の本住吉神社のこと
播磨国賀茂郡:住吉酒見社
長門国豊浦郡:住吉忌宮、下関市の354-010_住吉神社のこと
筑前国那珂郡:住吉社、福岡市博多区の394-020_住吉神社
紀伊国伊都郡:丹生川上天手力男意気続々流住吉大神、和歌山県伊都郡
大唐国一処 :住吉大神社、任那日本府の地
新羅国一処 :住吉荒魂、新羅国
(論)住吉神社(小野市垂井町)アプローチは比較的分かりやすい。
兵庫県道18号加古川小野線を三木小野IC方面より北上していくと「市場」の交差点、そこから900メートルほどで案内の看板が出ているので東へ集落の中に入る。
すぐに右手に一の鳥居、左手に参道なので左折して参道を130メートルほど進むとありがたいことに駐車場がある。
(論)住吉神社(小野市垂井町)の一の鳥居は社殿から南へ130メートルほど南にある。
一の鳥居より参道を進むと西の鳥居からの参道と交わるようになっている。
参道とは少しずれて山門があり全体的には寺のような作りとなっていて手入れが行き届いているのだ印象的だ。
山門を入ると、参道との配置とは異なりカチッとした社域が広がっている。
拝殿は割拝殿のような形式になっていて様々な行事がここで催されるのだろう。
全体的に社殿は大きく立派な作りとなっている。
拝殿を回り込むと幣殿とそれに続く本殿を見ることができる。
江戸時代までは「川内明神」と呼ばれていたとあるので横を流れる万勝寺川とは深い関係のようだ。
かつては万勝寺川や加古川の水運を司っていたと思われる神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2019/4/19
交通手段:クルマで訪問
カメラ :EOS80D + TAMRON 10-24mm F/3.5-4.5 Di II VC HLD B023
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。