264-130_奴々伎神社

比定社:奴々伎神社

式内社コード:264-130
神名帳社名 :奴奴伎神社、ヌヌキノ
社    格:小
所 在 地 :669-3581 兵庫県丹波市氷上町稲畑210
Plus Code  :42RP+XF 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

ぬぬぎじんじゃと読む。
稲畑集落の東の端の山裾に鎮座。
国道175号線より稲畑集落の中を東の進み突き当たりにあり分かりやすい。
神社名が全く書いてないので少々戸惑う。
神社の北と南に駐車場可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

山門(割拝殿?参集殿?)の下をくぐる神社へのアプローチ。

写真

奴々伎神社を正面より望む。特徴的なのは山門(割拝殿?参集殿?)がすぐ街道脇に接していて、その下をくぐる形で神社に入ることだ。元々はお茶屋かなにかだったのだろうか、不明だ。
奴々伎神社を正面より望む。特徴的なのは山門(割拝殿?参集殿?)がすぐ街道脇に接していて、その下をくぐる形で神社に入ることだ。元々はお茶屋かなにかだったのだろうか、不明だ。
右側(南)を望む。周囲は人家が多い。
右側(南)を望む。周囲は人家が多い。
街道脇にある道標。右かいばら(柏原)、左くらゐ(黒井)と読める。
街道脇にある道標。右かいばら(柏原)、左くらゐ(黒井)と読める。
左側(北)を望む。神社前に駐車場があるが神社のものではないみたい。神社の駐車場らしきものは神社に突き当たり右(南)と左(北)にも駐車スペースがある。
左側(北)を望む。神社前に駐車場があるが神社のものではないみたい。神社の駐車場らしきものは神社に突き当たり右(南)と左(北)にも駐車スペースがある。
山門(割拝殿?参集殿?)の下から鳥居を望む。割拝殿のようにも見えるが、拝殿は上にあるので、この建物は謎の建物だ。街道筋のお茶屋だったのかもしれない。
山門(割拝殿?参集殿?)の下から鳥居を望む。割拝殿のようにも見えるが、拝殿は上にあるので、この建物は謎の建物だ。街道筋のお茶屋だったのかもしれない。
山門(割拝殿?参集殿?)をくぐると広場があり正面に鳥居がある。左手には倉とか建物がある。
山門(割拝殿?参集殿?)をくぐると広場があり正面に鳥居がある。左手には倉とか建物がある。
山門(割拝殿?参集殿?)をくぐると広場があり右手には何もない。
山門(割拝殿?参集殿?)をくぐると広場があり右手には何もない。
山門(割拝殿?参集殿?)のような建物を望む。中央部が階段、どうも拝殿のようには見えない。広場の左側には倉がある。
山門(割拝殿?参集殿?)のような建物を望む。中央部が階段、どうも拝殿のようには見えない。広場の左側には倉がある。
広場より拝殿と本殿を望む。広場より2段高いところにある。全体的に前後スペースが寸詰まり感がある。
広場より拝殿と本殿を望む。広場より2段高いところにある。全体的に前後スペースが寸詰まり感がある。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は拝殿よりさらに1段高いところにある。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は拝殿よりさらに1段高いところにある。
拝殿と本殿を左側より望む。本殿拝殿ともに比較的新しい建物のようだ。
拝殿と本殿を左側より望む。本殿拝殿ともに比較的新しい建物のようだ。
本殿を正面より望む。扁額にはなにか書いてあるのだが読めない…。本殿自体は比較的シンプルで状態も良い。
本殿を正面より望む。扁額にはなにか書いてあるのだが読めない…。本殿自体は比較的シンプルで状態も良い。
拝殿より山門(参集殿?)を望む。舞殿なのかもしれない。
拝殿より山門(参集殿?)を望む。舞殿なのかもしれない。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、高皇産靈神、(配祀)誉田別命・御年神。
仁和3年(887年)地震で社頭破損。
寛平5年(893年)社殿再建。
建武4年(1337年)兵火で社頭焼失。
天和2年(1682年)再建。
明治6年(1873年)村社。
明治41年(1908年)本殿の位置を境内の山腹に変更。
初め高見山に鎮座。
とある。

兵庫県神社庁によると

創立年月不詳。高見山に鎮座せしも、其山麓に大沼あれば、沼池大神と尊稱す。
仁和3年(887)、地震により社頭破損し、同年大雨にて社殿倒壊す。故に仮殿を建て、寛平5年(893)、社殿を再建す。
延長4年(926)、神社古跡調査の際由縁を上申し、嘉暦2年(1327)當社境界に仁木越後守城郭を築き、高宮城と云ひ當社を守護神とす。
建武2年(1335)、仁木伊賀守久下時重と計り、足利高氏に應ず。江田義行之を攻めて、同4年落城せしむ時に、社頭悉く焼失せしも、幣及び鏡矢等は稲畑村東方へ降るにより其所を矢降塚と云ひ、泉山西の麓に幣矢を勧請して矢降塚と名付け、社殿を造り矢降大明神と号す。
天和2年(1682)、再建の時、大年神を祭る。
明治6年(1873)、村社に列せられる。同41年(1908)、本殿の位置を境内の山腹に変更。拝殿を新設す。
合祀神社には、同35年(1902)佐田神社、同41年(1908)大年神社、同42年(1909)無格社(兵庫県神社誌)八幡神社である。

とある

創建時のお話は伝わっていないようだが、当初は南へ2kmほどの高見城山に鎮座していたようだが場所はハッキリしない。
また、建武年間には兵火により消失とあるが、天正年間の兵火で消失の記録は無いようだ。

社域は集落より1段高くなった山裾に横に細長く作られている、神社自体は西を向いている。
特徴的なのは、入口が階段でその上に割拝殿のような形で建物があること、珍しい形式だ。
社域が横に長く縦に短いために寸詰まり感がある。

社殿は天和2年(1682)の建築だと思われるが状態は良い、ひょっとしたらもっと新しいかもしれない。
本殿には扁額がかかっているのだが、読めないため神社名を表示するものがない状態となっている。

かつては氷上と山南を結ぶ街道筋だったと思われ、割拝殿でお茶屋でもしていたのかもしれない(個人的見解です)。
神社前には道標があり、右かいばら(柏原)、左くらゐ(黒井)とある。
社域はよく手入れされていて気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100